19、ハンカチを、およこしなさ、なっ……くださる?

 学園に登校する朝。

 わたくしはメイドのアンにお願いしてみることにしました。


「アン。今日はその……強そうな感じで……格好良い雰囲気で……優雅で華麗な悪役令嬢風を意識した髪型にしてくださる?」

 

 『周りを気にして卑屈になったり劣等感を抱くわたくしに王子様は、君は堂々としてていい、何も他人に引け目を感じることはない、偉そうにしてていい立場なんだ、と仰ったのです』

 日記につづられた思い出を見ていて、わたくしはこれまでオヴリオ様にかけられた言葉を思い出したのです。

 


 『わたくしに踏まれて光栄に思いなさいな、くらいの勢いでいけ!』


 『俺がついているから、誰にも非難はさせない』


 『君はやりたい放題できる身分なんだ。何事においても、遠慮するな。父上のカツラを取り上げても、罰せられない』


 『君が主役だ。一番綺麗だ。世界一だ』


 『周りを気にせずのびのびとして、健やかに贅沢を満喫してくれたらいい』

 


 ……オヴリオ様はわたくしのためを思ってくださっていたのでしょう。

 周りを気にすることはない、と。

 堂々としていていいんだ、と。

 思えばずっと、そう声をかけてくれていたのです。


 悪役令嬢とか、高笑いとかも、それくらい強気でいいんだって言ってくれていたのでしょう。

 わたくしが何をしても、ご自分の権力を使って守ってくださると請け負われたのは、きっと本当に純粋な好意からで、ご自分が「悪い権力者だ」と仰ったのは、本当に何でもするお覚悟なのでしょう。

 

「ご自分が当て馬だと仰り、悪い権力者だと仰るなら、もっとアミティエ様へのアプローチに権力を使えばよいですのに、ねえ。ナイトくん」


 ナイトくんを抱っこすると、むずがるように手足をバタバタさせています。


「ナイトくんは、オヴリオ様がプレゼントしてくださったのね。ユスティス様やオヴリオ様の服を脱がせようとしていたのは、日記の王子様がどちらなのかをわたくしに教えたかったのかしら?」

 おそらく、オヴリオ様は胸元に傷があるのでしょう。

 だから、日記を読んでいたわたくしがそれに気付くと思って、教えようとしていたのではないかしら。  

 

 そう思うと、わたくしはナイトくんがいっそう愛しくなりました。

 

「できましたよ、お嬢様」

 アンも流行小説を読んでいるので、いつもより堅めにわたくしの髪を巻いてくれました。

「くるくるの、巻き巻きですっ」

「ありがとう、アン。わたくし、行ってまいりますわ」

 くるくるの巻き巻きになったわたくしは、張り切って家を出ました。

   


「おはようメモリア。今日は何かあるのか? いつもより気合いが感じられる……」

 

 お迎えに来てくださったオヴリオ様は、髪型の圧を感じたようです。

 わたくしはしとやかに微笑み、扇をぱらりと開きました。本日の扇は、異世界料理人のリックが描いてくれた『悪上等』という異世界文字が印象的ですの。

 

「悪上等」

 オヴリオ様は異世界文字を読み、「クールだな」と褒めてくださいました。

 この方は、大体わたくしが何をしても褒めてくださるのです。もうわたくしには、わかっていますわ。今、本当はちょっと引いていらっしゃるでしょう、あなた?

 

「わたくし、悪役令嬢らしさを意識したのですわ。おほほほ」

「なるほど、それっぽいかもしれない。可愛い……と、ユスティス兄上は思われるのではないかな。俺は好きじゃないけど」

 

「……さようでございますかぁ~?」

「な、なんだよ。君も言うんだよ」

「はいはい、わたくしも好きじゃありません……言わせておいてしょんぼりなさらないでくださいますか……」


 すっかりお約束と化した「好きじゃないけど」に妙な日常感を味わいつつ、やがて馬車は学園に到着しました。


「オヴリオ様、あちらにアミティエ様がいらっしゃいますわ。さあ、いつもの笑顔で甘い言葉を」

「台本がないと甘い言葉なんて出てこないなぁ」


 ……いつも仰ってるくせに、オヴリオ様はやる気のなさそうな笑顔で「兄上、俺の婚約者がクールな扇を持ってきたんですよ」とユスティス様に話しかけています。


 ならば、わたくしが頑張ろうではありませんか。

「ア、アミティエ様」

 わたくしが声をかけると、アミティエ様は「あら」と意外そうに目を丸くしています。わたくしから話しかけることなんて、あまりなかったからでしょう。

 わたくしはパラリと扇をひらき、「悪上等」の文字をアピールしました。そして、あごを持ち上げるようにして、口の端をニィッともちあげて、笑ってみました。きっとイジワルそうな顔になっているはずです。

 

「ハンカチを、およこしなさ、なっ……くださる?」

「ハンカチですか? はい、どうぞ」

 

 アミティエ様は、あっさりとハンカチを貸してくださいました。


「あ、ありがとうですわ。お借りしますわ」

 あまりにあっさりだったので、ついついお礼を言ってしまって、わたくしは慌てました。

「ふ、ふん。素直で結構ですわ」


 王子二人とアミティエ様が不思議そうにわたくしを見ています。これは、小心者にはちょっと辛いのではなくて?

 わたくしは軽く涙目になりながらオヴリオ様のそばにトコトコと寄りました。


「……何をしたいんだ?」

 本気でわからない、といった顔でそっと問われるので、わたくしはハンカチを手に取らせました。

「それを、取り戻したよってお返ししてくださいまし」


 イジワルなわたくしが奪ったハンカチを、ヒーローが取り返すのですわ。

 しかし、わたくしお礼とか言っちゃいましたし、あんまり奪った感じになっていないのですが。


「兄上。これ返しておいて。用事は済んだらしいから」

「うん。わかったよ」


 オヴリオ様! どうしてわざわざユスティス様経由でお返しするんですっ!


「くぅ……。それではオヴリオ様、またランチタイムに」

「ああ……そういえば、あのクッキーは今日はあるのか?」

「えっ」

 

 あのクッキーというのは、わたくしのアレでしょうか。

 たぶん、そうなのでしょうね?

 

 オヴリオ様は、物欲しそうな目でジーっとわたくしを見ています。 

 

「今日は、ありませんけど」

「……そうか」

 

 オヴリオ様の端正な顔がしゅんとなり、わたくしの目にはハッキリと残念そうなオーラが見えました。

 わかりやすい。

 以前から思っていたけど、この王子様って、わかりやすすぎませんか……。

 

「今度作ってきてくれないか。食べてみたいんだ」

 

 しかも、きゅぅん、という効果音が聞こえそうな、切なそうな顔で、おねだりをなさるではありませんか。

 

 な、なんてお顔をなさるんですっ……!? 整った顔立ちでそういう表情は、ずるいですわっ……!?


 わたくしは扇でふわふわと紅潮した顔を隠して、こくこくと頷くのみでした。

 

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