1、始まりのイチゴクリームサンド

 色とりどりの花が可愛らしく咲く園で。

 気付いたら、わたくしは見知らぬ貴公子とティータイムを過ごしていました。

 

「俺はオヴリオだ」

 貴公子が名乗ると、わたくしの中にその名前がストンと落ち着くような感覚があります。

「オヴリオ様」

 名前を口にすると、なんだか懐かしい感じがするような……。


「そう。最初に言うが、俺は悪い男だ。流行小説でよくいる悪役ってやつだ。クズだ。馬鹿王子とか言われるような男だ。悪の権力者だ」

「は、はい?」


 わたくしより年上のオヴリオ様は、日焼けしていて、健康的な肌の色をなさっています。

 体格は骨ばった感じと筋肉の隆起したバランスの絶妙な雄々しさで、お顔立ちは令嬢方がキャアキャアと喜ぶような男らしさや匂い立つような気品のある、美形です。

 それが、とても高貴な王子様って感じの衣装に身を包んで……王子様です。


 この方、王子様です。思い出しました。この国の第二王子様ですわ。

 

 思い出しましたわ。この方、ふとした瞬間にのぞかせる切なさのような感情が色っぽいと評判なのです。色気がある殿方って素敵、という黄色い声が、わたくしの記憶にいくつも蘇りました。


 けれど、悪い男……でしたかしら?

 そうでしたかしら……?

 

 オヴリオ様は広げていた本に押し花のしおりをはさみ、閉じました。

 本は、流行小説です。

 本を置き、オヴリオ様はわたくしに紅茶を薦めてくれました。


「ありがとうございます、オヴリオ様。いただきますわ」

 

 顔の動きに合わせて、おばあさま譲りのわたくしの黒髪がさらさらと揺れるのが視界に映ります。

 

 紫の瞳も、黒い髪も、わたくしはおばあさまの若い頃ととてもよく似ている……という記憶がふと思い出せました。

 元聖女であるおばあさまは認知症の症状があり、修道院付属の施療院にお世話になっているのです。


 わたくしにも、おばあさまみたいな症状が出たのかしら?

 これ、隠した方が良いんじゃなくて?

 弱みを握られたら、よくないのでは?

 

「あぁーっ、またぼんやりしてる……おーい、おぉい、メモリア嬢」

「な、なんでもなくてよ! 失礼しましたわ……っ」


 オヴリオ様は気を引くように大きく手を振り、わたくしを現実に引き戻しました。


「理由はわかるよ。わたくし記憶がないですわ〜ってなってるんだろう?」

「えっ、えっ」

「隠した方が良いかしら……弱みは見せられませんわ、とか思ってたんだろう」

「なんと!」


 お見通しではありませんか!


「あとは、そうだな……思い出せることは何かしら、と記憶を探っていた?」

「オヴリオ様。おばあさまのお見舞いの予定を思い出していましたの」

「そうか。まあ、それほど今回は症状がひどくなさそうでよかった。いいか、君はほんの一部だけ記憶をなくしただけで、あとは大丈夫だ。医者にお世話になる必要もない。よくあることだ!」


 オヴリオ様は謎の自信を持って、断言するのです。ところで、わたくしの隣の席で白ネコのぬいぐるみが生き物みたいにウンウンって頷いているのですが?

 それに、足元に本物の白ネコもいるのですが……?

 

「……そうですの。ところで、あの、ネコ。ネコが」

「皆言わないだけで、大なり小なり物忘れはよくあるっ! 俺も、たった今君の名前を忘れた! ネコは可愛いっ!」

「ええ……」

 

 オヴリオ様は肩をすくめて、薄くて平たいひと口サイズのビスケットにイチゴのジャムをぺとっと塗りたくっています。

 ふむ、王子様……甘党なのですね?

 ぺた、ぺたとビスケットにイチゴジャムを塗り、上からスプーンでのぺっとホイップクリームを乗せ、ビスケットをもう一枚上に重ね……、


 何をしていらっしゃるのでしょう。

 何?

 誇らしげに見せてきて……なんです?

 

「できたぞメモリア嬢。これを……『始まりのイチゴクリームサンド』と名付けよう」

「あ、くださるのですね。あと、わたくしの名前ちゃんと覚えててくださるのですね」

「忘れたことというのは、案外ぽろっと思い出すこともあるんだよ。さあ、召し上がれ」


 どうも、わたくしにくださるらしいです。

 

 ツッコミをいれてはいけないのでしょう。少しずつ思い出してきたのですが、第二王子オヴリオ様には、逆らってはいけないのです。この王子様、身分が高い方なのはもちろん、国王陛下にも特別寵愛されている方なので。

 

「ありがとうございます」

 

 イチゴクリームサンドは、サクッとした口当たり。

 口の中でイチゴジャムとホイップクリームがなめらかな甘酸っぱさを広げて、ビスケットの素朴な小麦粉感のある味が優しくバランスをとっています。

 

 ……美味しい!

 

「美味しいですわ」


 わたくしが美味しいと告げた瞬間、オヴリオ様がパァッと笑顔を咲かせました。

 ああ、美形。

 美男子です。

 美青年の輝く笑顔です。

 とても嬉しそうで、好意にあふれていて、見ている側があったかい気持ちになるような笑顔です。


 ちょっとイチゴクリームサンドを美味しいと言っただけですのに。

 そんなに嬉しそうにしますの?

 何故ですの?

 

「ちなみに俺は今、君の名前を忘れたぞ!」

「それは嘘でしょう……いえ、失礼。メモリアですわ、オヴリオ様」

「そう、それだ! それと、えーと、記憶喪失って自分の名前も忘れたりするよな」

「そういえば、そうかしら」


 それは、そうですね。

 でもわたくし、自分の名前はちゃんと覚えているのです。メモリア、と。

 オヴリオ様は、その思考を読んだように仰いました。

 

「でも俺たち、自分の名前わかるよなっ」

「そう……ですわね」

「よしっ、これは単なる物忘れで、病などの異常ではないっ」

「……そうでしょうか……」

 

 なんだか、隣の椅子でネコのぬいぐるみがしきりにウンウンって動いてるのがわたくし、とっても気になります。

 ……この子、わたくしのぬいぐるみだった気がするのですが。


「それでは本題に入ろう」

「本題……あったのですね」

 オヴリオ様は白ネコのぬいぐるみと同じようにウンウンっと頷きました。そして、また意味不明なことを仰るのです。


「俺たちはこのままだと断罪される……」

「はい?」

「そんな話をしようと思う」


 なんだか、とっても不穏なお話ではありませんか。

 わたくしがびっくりしていると、その前にと真剣な顔をなさるのです。

 

「本題に入る前に、とても大切なお願いがある」

「なんでしょうか?」


 ドキドキと言葉を待つこと、数秒。

 ふうっ、と大きく息を吸って、なんだかとっても言いにくそうに、勇気を振り絞るみたいに、言葉が発せられました。


「俺は君のことを好きじゃないから、君も俺のことが好きじゃないと言って欲しい」


 ……王子様は、そう仰ったのでした。

 

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