日給5万円のラブコメ~その青春ノート、私と埋めてみない?~
大豆の神
春の訪れ
#1 春は遅れてやってくる・上
高校生というものには、否が応でも惹かれてしまうものである。俺、
――そう、そのはずだったのに。
「どうして、俺は一人で昼飯を食べてるんだ……」
生徒棟と管理棟を繋ぐ渡り廊下の隅で、俺は孤独にパンを頬張っていた。
季節は初夏。入学から一ヶ月経っても、俺には友達の一人もいなかった。
おかしい。こんなはずではなかったのに。そんな恨めしい気持ちを抱えながら、俺は中庭へと目を向ける。
中庭で友達と弁当を広げ、話に花を咲かせる生徒達。本来であれば、俺もあそこに加わるはずだった。だが、クラスメイトを誘おうにも言葉が思い浮かばず、誘われ待ちをしている間に、いつしか俺はここに座り込むことが習慣となってしまった。
ぼっちならぼっちらしく、大人しく教室で昼食を取る選択肢もある。なんなら、ぼっちには教室ですらなくトイレがお似合いだという話もあるくらいだ。
では、なぜ俺がこの中庭に面した渡り廊下にいるのか。その理由は一つしかない。青春を謳歌するためだ。
俺は、ブレザーのポケットから小さなノートを取り出す。表紙に書かれた文字は、『青春ノート』。これには、俺が高校生活で叶えたいことを記している。恥ずかしいタイトルを手書きで大きく書いたのは、俺なりの覚悟みたいなものだ。サインペンでタイトルを書き、ボールペンで中身を書く。そうすれば、決心が鈍っても消すことはできない。これを書いた以上、俺はもう引くことはできないのだ。
「まぁ、引けなくなった結果が、未練がましくここに通う今なんだけどな……」
青春ノートの最初の一ページには、こんな項目がある。
『中庭で友達と昼を食べる』
これを疑似的にでも叶えようと、俺はこうして知りもしない同級生(あるいは先輩)の横顔を眺めて昼休みを過ごしているわけだ。
他にも、色々な理想がこのノートには書かれている。『一緒に登下校をする』『文化祭で思い出を作る』『ノートの貸し借りをする』『放課後にゲームセンターで遊ぶ』『彼女を作る』
「はぁ……」
浮かれた内容に、ついため息が出てしまう。恋人を作るよりも先に、まず友達を作れ。憎らしい太陽の光が、俺の影を斜めに伸ばす。それが中庭に向いているのを見て、自己嫌悪で気分を落とした。
思わぬ宝くじの高額当選、夢に見た一人暮らし、目前に迫った憧れの高校生活。ノートを書いていた時の俺は、持ち手を離した風船のように宙へと舞い上がっていた。しかし、現実を前に俺の心は音を立てて割れてしまった。
「はぁ……」
二度目のため息に合わせて風が吹きつけ、流した前髪に視界が遮られる。鬱陶しさを感じた俺は、教室へと戻った。――その背中に、声をかけられているとも知らず。
「もう、何度も呼んだのに気付いてもらえなかったんだから!」
それを俺が知ったのは、放課後になってからだった。
空がまだ橙になる前、俺は屋上に呼び出されていた。ラブレターではなく、脅迫状で。
「『あなたの秘密を持ってます』。……あの脅迫、本当だったのか」
「ああ、これのこと? 悪いとは思ったけど、興味本位で覗いちゃった。てへっ」
そう言って舌を出すのは、同じクラスの陽キャ女子――
そんな彼女が手に持っているのは、『青春ノート』と書かれたA6サイズのノート。つまり、俺の夢が詰まったあのノートだ。
どうやら昼休みに渡り廊下で落としたらしく、拾った明海の声を俺は無視してしまったのだという。
今日は気分が落ち込んでいたし、周りの音が入ってこなかったのだろう。そうでなくとも、この学校で俺の名前を呼ぶやつなんていないと思っていた。
「すごいよねー、こんなにやりたいことがあるなんてさ! ねね、どれくらい達成できたの?」
「……ゼロだ」
「え?」
「一番左にチェックボックスがあるだろ。達成できたら、そこにチェックを入れる予定……だったんだ」
呆気に取られたような明海は、ノートに一気に目を通す。恥ずかしいから、そんなに見ないでほしいんだが。
「わぁ、ほんとだ。一個もチェックついてない」
最後のページまで到達すると、明海はくりっとした目を丸くした。透き通った瞳が水晶玉みたいだと、柄にもない感想を抱いてしまう。
ノートを閉じた明海は、何を思ったのか俺へと近づいてくる。俺を顔を覗き込むように、上目遣いになった彼女は口元に笑みを湛えて言った。
「新宮君、彼女欲しいんだ」
「……っ!」
俺は動揺のあまり、明海から勢いよく距離を取る。けれど、その背中が屋上唯一の扉にぶつかった。固い、金属質な音が響く。しまった、これより後ろには下がれない。
「いいじゃん、教えてよ」
「……返してくれ」
「ん?」
意を決して、俺は明海に申し出る。
「ノート、返してくれ。それに、口止め料で金も払う」
「へぇ、どのくらい払ってくれるのかな? 千円? それとも一万円かな?」
ずいっと、またしても距離を詰めてくる明海は、おちょくるつもりで俺を見ている。焦りで早くなる呼吸に合わせて、明海の柔らかな香りが脳を刺激していた。
だが、舐めないでもらいたい。金銭面に関しては、全校生徒だけじゃなく先生達にだって負ける気がしなかった。
「……この前宝くじが当たったんだ。満足いく額を払える自信がある」
「おお……すごいね」
さすがの明海も、これには言葉を詰まらせる。そして、ノートを俺に握らせると、明海は俺の手を握ってきたのだ。
生まれて初めて触れる、同い年の異性の手。その温かさに、俺は思わず背中に回した手でドアノブを捻った。
「おわっ……!」
「え、ちょ、新宮君!?」
俺は踊り場に身を投げ出し、そのまま階段を全身で滑り落ちる。
「っぐ……ったた……」
幸い、怪我はないようだ。それに、手中にはちゃんとノートがある。この手がさっきまで明海に握られていたというのは、夢だと思うことにした。
「ねぇ、新宮君。私が君の彼女になってあげるよ」
「は?」
突然の提案に、上体を起こして明海を見上げる。
明海が俺の彼女? 一体どういうつもりだ?
「その代わり、きちんと日給をちょうだいね。口止め料も払えて彼女もできるなんて、お得じゃない?」
「え、何言って……」
「私が手伝ってあげる。その青春ノート、私と埋めてみない?」
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