第4話

 ジリジリと焼け付くアスファルトの上を、やや下向きながら歩いていた。


 いつも通り図書館で時間を潰したとはいえ、まだ16時を回ったくらいの時間。


 暑いという言葉以外何も出ては来ない。


 明日から始まる夏休みをどう乗り切るか。


 毎日、家と図書館の往復はさすがに考えてしまう。



「はぁ……」



 こういう時、帰宅部というのは考え物だ。


 あの子と被りたくない一心で帰宅部にしたけど、家にも帰りたくないからこれはこれで失敗ね。


 受験まではあと一年あり、本格的に勉強を始めるには早く、かといって家にも居場所はない。


 友達もろくにいない私には、長い休みは苦痛でしかない。



「どうしたものかな」



 汗が、頬を伝う。


 まるで涙のようなその汗を、持っていたタオルで拭った。


 いつ変わるとも分からない田舎の長い信号は、余計に気を滅入らせた。



「姉ぇさーん。今日はずいぶん遅かったんだねぇ」



 ふいに後から声をかけられた。


 振り向かなくても、誰かは分かっている。


 同じ時間に帰らないようにしていたのに、今日は本当に運が悪い。



「ねぇ、無視しなでよぅ~」



 やや上ずって、甘えたような声。


 他人から言わせると、この声もすごく似ているのだという。


 ただ、しゃべり方や抑揚が全く違うだけで。



「別に無視しているわけじゃないけど」


「でもなんか冷たいしぃ。なんか、怒ってるのー?」


「怒ってはないわ。ただ、姉さんと呼ぶのをやめてって、何度も言っているよね」


「やっだぁ。なんだ、そんなこと。まだそんなこと言っているの? 戸籍上は唯花ゆいかが長女なのだから別にいいじゃない」


「そういう問題じゃないでしょ」


「えー。何それ。じゃぁ、どーいう問題なのょ」



 小馬鹿にしたように、妹の唯奈ゆいなは鼻で笑った。


 睨みつけるように後ろを振り返ると、そこには私となんら変わりない顔がある。


 姉・妹と言っても、私たちは双子なのだ。


 一卵性双生児。


 顔も声も、背の高さもほとんど同じ。


 この子にあって私にないものはなんだろう。


 私はいつも鏡を覗いてはそんなことばかり考えていた。


 髪型など同じにしてしまえば、親でも見分けはつかない。


 それなのに友達もほとんどいない帰宅部の私と、活発でテニス部の唯奈。


 同じようでそのすべてが違う。


 別に羨ましいわけではない。


 そう、羨ましくなんてない。


 私は、私がしたいように生きているのだから。


 いつものように、そう言い聞かせた。



「ねぇ、夏休みはどーするの? また図書館?」


「別になんだっていいでしょう」


「何だって良くないよー、わたしたち家族なんだしぃ。そぅそぅお母さんが、今年は花火が見える旅館に泊まりた~いって言っていたの知ってる?」


「……」


「あれぇ? 母さん、姉ぇさんに言うのを忘れちゃったのかなぁ」



 クスクスと笑う唯奈の声に、かばんを持つ手に力が入った。


 それでも、絶対に表情は変えない。


 この16年で覚えたことだ。


 どんなに嫌なことであっても、悲しいことであっても、表情を変えれば惨めになるのは自分だから。


 弱みを見せたらダメ。


 責めさせるポイントを持ってはダメ。


 もう二度と繰り返さないためにも。



「そう……」



 私は何も言われていない。


 お母さんに誘われることも、予定を尋ねられることもなくなったのはいつの頃からだろうか。


 当時はあまりの悲しさに、よく隠れて泣いていた。


 そんな時期すらも通り越してしまえば、なんとも思わなくなるのだ。


 私は家族の中の空気でしかない。


 ただ、そこにいるだけ。


 それでもタダで居させてもらっているのだから、文句を言うわけにはいかない。


 高校を卒業するまでは。


 成績がいくら良くても大学まで行く気はない。


 元より興味がない私の進路など、両親は気にすることはないだろう。


 だからこそ高校を出たら家を出て働くつもりだ。


 そうすれば、やっと解放される。


 それまであと少し……あと少し我慢すればいい。



「あ、青になったよー。早く渡っちゃぉ~よ~」



 ややうつむいて、ぼんやり考え事をしていた私に唯奈が声をかけた。


 先ほどの問など、もうどうでもいいようなにこやかな声で。



「やだぁ、雨降ってきたしー。傘持ってきてないのに、最悪ぅ」



 信号を渡り始めたあたりで、ぽつぽつと雨が降ってきた。


 先ほどまでせわしなく鳴いていた蝉の声は消え、アスファルトから雨の匂いが立ち込める。



「もー、急がないと」



 唯奈が小走りで信号を渡り出す。


 つられるように走り出した私の目に、横から来るトラックが見えた。


 向こうの側の信号は赤だ。


 それなのに携帯か何かに気を取られているのか、トラックがスピードを緩める気配はない。


 嫌な予感と共に、自分の周りのすべてがスローモーションで進みだした。


 トラックに気付かず、ただ後ろを振り返る唯奈。


 その唯奈の手を必死に掴み、引き寄せた。


 唯奈はいきなりの行動に文句を言うように、ただ顔をしかめる。


 しかし私はそれを無視して唯奈を抱き止めた。


 ドスーンという大きな音と、これまで感じたことないような衝撃が全身を襲う。


 目の前が一瞬真っ暗になり、アスファルトに接している背中が冷たい。


 その逆に抱き抱える唯奈は温かかったが、ぴくりとも動かない。


 ぼんやりとする意識が、その冷たい地面に溶け込んで行くようだった。


 唯奈を助けることが出来たのか、助けられなかったのか。


 今の私にはそれすら確認することは出来ない。


 体は痛いという感覚を通り越し、もう何も分からないのだから。



「……なんで……」



 誰の声か、もう私には確認することは出来ない。


 これは何に対する疑問だろうか。


 もし私が助けたコトなのだとしたら。


 そんなこと、私が知りたい。


 そして全てが、暗闇の中に飲まれていった。

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