第26話 つながり

「で、同族に読み書き学んで欲しいから、本を自分で書こうってね」


「変って思うかしら?」


「いや。わかんなくはねーんだ、あたしがそうだったから」


 エディはカップを揺らして、紅茶を軽く波打たせる。


 物心ついた時から、投げ捨てられたゴミのように生きてきた。


 両親の顔も知らない、手を差し伸べてくれる人もいない。当然、薄汚い浮浪児ガキに教鞭を執る物好きだっていない。それでもエディが最低限、読み書きと会話を身につけられたのは、本を拾ったのがきっかけだった。


 本の文字と街中に溢れた看板や張り紙の文字を照応させ、誰かが声に出して読むのを聞いて繰り返す。短い本を一冊読み切るまでに、大変な苦労をしたものだったが、それでもエディはそうやって言葉を学び、書に親しんだ。


 あの本が無かったら、エディはそれこそ、言葉も知らぬ野良犬と大差なかったかもしれない。


 あるいは二足蟲たちと同じように、利用されるだけされて死ぬだけの存在になっていた可能性さえあった。


「けど、上手く行ってねえんだろ?」


「そうね。問題が色々あって」


 ディグリはシュンと肩を落とした。


 幼い頃から言語に慣れ親しんだフランとディグリは、二足蟲とも人ともコミュニケーションが取れる。


 だからこそ、大きな難題があった。どこまで翻訳できるのか、である。


 二足蟲の意思疎通は実に原始的で単純だ。だから、二足蟲の言葉を人の言葉に変えるのは、難しいことではない。


 だが、逆は難しい。都会には当たり前のように存在する概念を、二足蟲にはそもそも伝えることが出来ない。


 赤ん坊にもわかるように、高度な学術論文を翻訳するようなものだ、とディグリは言う。


「物語を理解するには、初歩的にでも言葉が要るのよ。言語がないと、子供向けの絵本だって読めはしないもの。かといって、二足蟲の意思疎通手段だけでは、物語は作れない。彼は、少ない文脈で、とっかかりになる物語を作ろうとしているけど、上手く行かないのよね」


「それで、あんなとこに引っ付いてるってわけか」


「そう。二足蟲にもわかる物語を作るために、色々調べてるってわけ」


「それであんたは、それを理解させたくて、この課題を手渡してきた、と」


「二十点ね」


「あ?」


 突然の低評価に、きょとんとしてしまう。


 ディグリはエディが持って来た課題の紙を読みなおした。


「そういう考えが全く無いわけじゃないけれど、それは主目的ではないの」


「じゃあ、何が目的だったんだよ」


「フランの言っていたことを理解してもらう。長編小説のアイデア出しを手伝う。他人の人生を想像してもらう。別世界を考えてもらう」


 理由を四つ、淡々と挙げられた。


 ディグリは先ほどまでの憂いを拭い去り、真っ直ぐにエディと視線を合わせる。


 雰囲気が変わった。エディは無意識に背筋を伸ばす。


「物語というものは、長くなればなるほど、人が多くなってしまうものよ。最初の最初から、たったひとりしか存在しないような物語なんて有り得ないの。“孤独”という概念さえ、“他者”がいないと成立しない」


「……ええと、つまり?」


「原稿用紙百枚分の小説を書きたいのなら、最低でも登場人物が二人か三人必要になる、ということよ」


 エディは理解しかねて首をひねった。


 登場人物がひとりでは、物語は成り立たない。そうだろうか。


 エディが後生大事に抱えてきた“消えゆく夢の灯フラジール・ラディアンス”は、可愛そうな少女ひとりのことを描いていたはずだ。


 沈黙から、ある程度のことを読み取ったのだろう。ディグリは一手打つように言った。


「言っておくけれど、名前の有無は関係ないわ。それから、台詞の有無もね。名前もない、何も言わない、物語の主眼となることもない無銘の人々エキストラ。それもまた、物語を動かす登場人物に違いないの。それさえいない小説に、心当たりがあるかしら」


「そう言われると……」


 “消えゆく夢の灯フラジール・ラディアンス”には、浮浪児以外にも登場人物が居た。


 少女が迷い込んだ廃屋で死んでいた人、少女を虐げた者たちが。


 ―――あたし、ヨサ先生に出したヤツに、何人出したっけ。


 ―――何人ってほどじゃないな。エキストラもいなかった。


 ―――ただ、可哀想な女の子が、ひとりぼっちで夢見てただけだ。


 目を覚ましたら、なんとなく暖かい部屋に居て、美味しいものを食べて、幸福を感じている。それだけの話。語るまでもない、茫洋とした願望。


 少女の過去も現在も、“消えゆく夢の灯フラジール・ラディアンス”から引っ張ってきたものを投げっぱなしにして、なんとなく自分を投影していたに過ぎない。


 自分じゃない自分。どこか別の場所で生まれ育った自分。投影するにしたって、それぐらいは考えなければならなかったのではないだろうか。


 ようやく、腑に落ちた。


「ああ、そっか。主人公以外の誰かが“いる”のか」


「他者との関わりが物語を生む。主人公と、主人公に関わる者次第で、悲劇にも喜劇にもなり得る。大事なことよ」


 エディの脳裏に、ここに来るまでに渡された本の数々が蘇ってくる。


 “欠片探しのグレイブホロウ”、“我らの森人りんじん”、“猫から目線”。主題も、ジャンルも異なるそれらは、全てが関わり合いから成り立っていた。


 例えば、主人公の旅路を供にする骸骨の犬や、旅先で出会った幽霊たち。


 例えば、書き手が山奥で出会った精霊・妖精・二足蟲。


 例えば、人を見下していた猫と、猫といがみ合う人々。


 どれもこれも、ひとりでは成り立たなかった物語。


 エディの口から笑い声が溢れた。


 ―――そっか、そういうことだったのか。


 ―――ヨサ先生に提出したあれは、物語にすらなってなかったのか。


 ―――登場人物が本当の本当に一人っきりで、何から何まで空っぽだったから。


 ―――あたしには、あの願望以外なかったから。


 ―――あたしの鍋は、まだまだスッカラカンだったってこったな。

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