第17話 命題:二足蟲について

「……参ったな。話、聞けたには聞けたけど……」


 廊下を歩きながら、エディは気難しく口を引き結ぶ。


 授業開始のチャイムが鳴ったあとではあるが、廊下の往来はそれなりに多い。


 人種の坩堝たるグラインランス芸術学院の廊下は、とにかく色んな人が通りを行き交う。


 もはや見慣れた光景だが、この坩堝の中にも、ほとんど混ざらない者がいるとは。


 その中を一緒になって歩きながら、ベル先輩が訪ねてくる。


「ヨサ先生の話だけじゃ足りなかった?」


「足りなかったっつうか、話題が起点に戻ってきちまった感じが……」


 何せ、ヨサ先生の口から出たふたりの名前こそ、今エディが向き合う課題の発端なのだ。なんなら、ディグリは出題者である。


 ―――情報は多少集まったっちゃ集まったかもしれないけど。


 ―――これだけで自分が二足蟲として生まれてきた時のことを想像しろ、ってのは難しいよな。


 これまでに得られた情報を、頭の中で整理する。


 二足蟲は、精霊や妖精と故郷ルーツを同じくする。


 国家共通の言語を理解するだけの知能はある。しかし、基本的に言語を介して会話をしない。


 故郷ルーツの山にほど近い街では、交配が進んでいる。


 重要なのは、ざっとこんなところだろうか。


 なんというか、イメージの難しい人種だ。暮らしぶりがいまいちわからない。


 ―――っつーか、ディグリさんは、なんで“我らの森人このほん”を渡して来たんだ?


 ―――二足蟲のこと、書いてなくはないけど……記述が少なすぎない?


 ―――もっと他にあるんじゃねえのか。最近出版た、二足蟲について詳しく書かれた本とかさ。


 ―――司書なら、その辺わかるんじゃねえの?


 悶々と考え込むエディの肩を、ベル先輩が叩いてくる。


「じゃあさ、やっぱり行ってみるしかないんじゃない? その山の麓の街に!」


「ナイスアイディアだよ、ベル先輩。時間さえあればな」


 グラインランス芸術学院は、どちらかというと国の北側にある。反対側の山に行くには、片道だけでも三週間はかかる距離だ。


 言い渡された提出期限は一か月。とても間に合わない。


 ベル先輩に連れて行ってもらうという手もないことはないが……。


「先輩、この後もバイト山積みなんだろ? いくら風になれるからって、数分で行って帰ってこれる距離か?」


「さ、流石に無理……私が山からこのあたりに来るのは……どれぐらいかかったかなあ? 寄り道も散々したからなぁ……」


「気になるぜ、先輩の珍道中。ってか、山の近くにある街なんだろ、寄ったりしなかったのか?」


「しなかったんだよねぇ……あの頃はとにかく先へ先へ! って感じだったから」


 てへへ、と困り気味の笑顔を浮かべて見せる。


 なんだか先輩とは思えない仕草が微笑ましかった。


「ま、でもさ、それだったらやっぱり、突撃取材してみるしかないんじゃない? ダメとは言われてないんでしょ?」


「言われてねーけど……いいのかな? なんか、それじゃあ意味ない気がするんだよな、なんとなく」


「意味ねぇ……」


 本当に、口にすると難しいのだが、ディグリに直接聞いてしまうのは違う気がする。


 単なる勘に過ぎないけれど、それをしたらお終いだ、というか。


 ベル先輩は、少し考えてから、別の話題を切り出した。


「……ねえエディちゃん。なんで、学院ここ来たの?」


「んだよ急に。他に行くとこなかったからだけど」


「じゃあ、その、えーっと……名前なんて言ったかな。二足蟲の人は、なんで来たのかな?」


「そりゃあ……文学好きだから……? 図書館に籠もってるみたいだし」


「じゃあさじゃあさ、エディちゃんはその人たちと、どこで出会ったの?」


「小説書くための、指南書の場所で……ん?」


 ぱちっ、と頭の奥で火花が弾けた。


 思い出すのは図書館から去る際に出た、自分の愚痴だ。


“今思えばあいつ、あんだけあたしに偉そうなこと言って、自分も指南書の棚漁ってたじゃねえかよ”


“なんであんな偉そうなこと言われなきゃならねえんだ? もしかして指南書書いてる人か?”


 ―――なんで、だ?


 ―――なんであのゴキブリ、指南書の棚漁ってた?


 ―――つか、そもそも二足蟲の人って、言語でコミュニケーションをあまりしないんじゃなかったっけ。


 ―――なのに、フランもディグリさんも共通言語ペラペラだよな。


 ―――一部の変人と混血が言語を使う……。


 違和感。頭に何か引っかかっている。上手く言葉に出来ない何かが。


 はたと立ち止まったエディの手を、ベル先輩が引いてくる。


 彼女に促されるまま、エディはカフェへと足を向けた。

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