第3話

 


 私の態度に下女が呆然としたのもつかの間、彼女はきいきいと甲高い声で喚き始めた。


「はぁ!? 貧相でみすぼらしいアンタが、公爵家に生まれたからって令嬢として生きていけると思ってるの!?」


 煩わしい。だけどその感情も薄かった。どちらかというとやっぱり、どうでもいいという気持ちの方が強い。

 むしろこれは、気持ちと呼んで良いのかすら分からないほど、麻痺していた。


「生まれた家を変えることは出来ないわ。いまさらなにを言ってるの?」

「ふん。花としての力も、権力も、取り柄も、フローラすらも無い、開花も出来てない上に誰にも必要とされてないアンタに、何が出来るっていうんです?」

「それになんの意味があるの?」


 嫌味たらしく鼻白む下女の醜さが、私の気分をただただ下げていく。

 元からそんなに良い気分ではなかったけれど、更に悪くなっている気がした。


 確かに、あの頃はいつも何もかもが恐ろしかった。

 大声や怒声、苛立つ声、悪口、馬鹿にする声、すべてが。

 だからこそ萎縮して何も言わなかった。いや、言えなかった。そのせいか、日を追うごとに口数は減り、結果、反論や意見を言うための声なんてほとんど出せなくなっていった。


 だけど、『死』に比べたら何も怖くない。むしろ、その程度でしかないことに拍子抜けしてしまう。だから私は冷めた目で、苛立たしげに表情を歪めている下女を見るだけだ。


「フローラは授かりものよ? 権力も、愛も、誰かから貰うもの。そんなのあってもなくても変わらないわ」


 どれもこれも、私の意思で手に入るものじゃない。

 望んだところで自由にはならない。


 つまり、今と何も変わらない。


 初めから自分の物なら、私はここまで壊れたりしなかっただろう。


「なによ疫病神のくせに……っ! 生意気な!」


 動揺、苛立ち、それから、反論できなかった羞恥でか、声を荒らげながらずかずかと近寄って来た下女が手を振り上げる。私はその様子を、どこか他人事のようにぼんやりと見ていた。

 叩くなら叩けばいい。どうせ誰も気にしないし、こんなもので死にはしないから。


「そこまで」

「か、家政婦長さま!?」


 だけどその手は私に届く前に、歳かさの女によって止められた。

 がっちりと掴むその手は少し荒れていて、皮膚が分厚くなっているようだった。

 そんなのが見えるくらいに近い距離なのに、気配も全く分からなかった。……なにもかも、どうでもよかったからかもしれないけれど。

 そして、下女が家政婦長と呼んだその人物には、覚えがあった。


 12歳の頃のあの時にも、学園の入学書類を持ってきた人で、この家で唯一、私に何もしなかった人だ。

 でもたしかその日は素直に硬いパンを拾って、それを見つめながらそのままぼんやりしていたから、こんなことは起きなかった。


 この人が、私を庇うなんて。


 ……まぁ、私があの日と違う行動を取ったから、齟齬が起こっただけなのだろうけれど。


「お嬢様、マリンフォード学園から、入学の申請書類が来ています。サインを」

「……えぇ」


 よく分からないけど、彼女の目的はあの時と同じであるようだ。

 渡された書類をじっと見つめる。こんな私でも最低限の勉強は許されたから、文字の読み書きだけは出来た。

 この書類が私の元へと届かなかったら、宣託の力を発現することもなかった。監禁された初めの頃は、それを恨んでいた時期だってあった。だが、その場合はこの屋敷で死ぬまで飼い殺しにされたことだろう。

 あの頃の私に出来ることなんて何も無かった。何も、知らなかったのだから。

 だけど、私はもう知っている。


 この先に何が待っているのか、そして、私にとって何が一番最善なのかを。


 差し出すペンを手に取ろうとしたその時、下女がまた喚きだした。


「どうしてお前なんかに!!」

「言葉を慎みなさい。お嬢様にはこのノーザランド家の血が流れているのです」

「でも、サリオン様にはこんなの来なかったじゃないですか!」


 サリオンとは私の兄の名だ。公爵家の子女は花の名前を冠した名を付けられるにも関わらず、なぜか兄にはそれが適用されなかった。名付けは母であるらしい。

 その理由を、私は知らない。

 聞くことは禁じられた。あまりにも理不尽な言葉と暴力を受けたからだ。


 私には知らないことが多く、そしてそれは悪だと断じられてしまった。今考えれば、兄には花としての能力に問題があったのかもしれない。だが、当時の私はそんなことを考える頭も無かった。

 今はそれもどうでもいい。

 そんなものに囚われて生きていくのは、時間の無駄だった。


「サリオン様とカレンデュラお嬢様では花の資質が違うと学園側が判断したのです。見苦しいですよ。黙りなさい」

「ぐぅ……っ」


 下女が悔しげに顔を歪めている。だけどそれに対してなんの感情も湧いてこなかった。

 哀れみも、優越感すらも、怒りや喜びも、本当になにも。


 あらゆる感情が消失している。だけど、それはむしろ私にとっては良いことなのではないだろうか。

 昨日までの私は、感情という感情に流されて、翻弄され、その結果死んだのだから。


 差し出されたままだったペンを手に取って、さらさらとサインを書く。これで私はここを出て、学園へ行けるようになった。

 あとは学園を卒業するまで、家に帰らなければいい。

 卒業さえしてしまえば、世間は私を放置することはないだろう。


 マリンフォード学園は優秀である者にしか入学書類が届かないことで有名だが、その選定方法は誰も知らない。しかし、世界中の占術師の卵が集まる、占術師たちの学び舎であるがゆえに、その信頼度は高かった。


 卒業するだけで引く手数多の占術師になれる、世界有数の全寮制名門校なのだから。


 

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