鈴木翔平

殺せ、と彼の声がする 前編

 佐藤くんは……。


 あっ、俺の年齢? 俺は今年で二十三だよ。ふぅん、そっか、佐藤く……さんは年上なんだ。同じくらいかと思ってたよ。まぁでも、一、二歳なんて微差みたいなもんじゃないか。あぁそう言えば、神原さんと同級生だっけ。なんとなく雰囲気は神原さんのほうが上に見えるな。俺もさっきまで佐藤さんのこと、年下に思っていたくらいだし。


 フリーターしてるんだ。

 ネットカフェで、さ。ここ一年は。


 俺、大学は中退してるんだけど、さ。中退したあとは、コンビニの深夜バイトしてて、ちょっと一緒に働く奴と合わなくて。で、辞めてからは、ずっとそのネットカフェで働いてるんだ。


 貧乏フリーターだよ。

 だからこの部屋を格安で借りられたのは、本当に幸運だった。誰かから聞いたかもしれないが、ここ、いわゆるいわくつきの物件……ぶっちゃけ言うと、死体の見つかった事故物件なんだよ。あんまり詳しいことは知らないけど、大家さんの話だと、ストーカーに遭った男性が刺された状態で見つかったらしいんだ。身体中を、めった刺しにされていた、と聞いているな。いやぁ、怖い話だ。


 で、俺が話そうと思っていたのが、ここで幽霊と遭遇した話……、

 をしようと思ってたんだけど、さ。実はどうしても違う話をしたくなってな。あぁ小野寺さん、意外だろ。俺も最初は、前に集まった時と同じ話をしようと思ってたんだけど、な。


 まぁ幽霊の出てくる話に、変わりはないんだけどさ。

 んっ、なんでほっとしてるんだ。


 ふぅん、小野寺さんと新倉さんが殺人の話だったからか。怪談っぽい怪談に変わって、ほっとしてるのかな。でも。……あぁ、いや。とりあえず話を続けようか。勝手に安堵したのは佐藤さんで、俺に罪はないからな。後で文句を言われても受け付けないよ。


 うーん、しかしどこから話しはじめるか、ちょっと悩むんだよな。

 そうだな、一週間前の話からにしようか。


 深夜中心の仕事をしてるから、俺、いつも電車は始発に乗るんだ。いつもバイト先の最寄りの駅の始発が出発する時刻に合わせて、仕事を退勤するんだ。店長的にはもっと長い時間、俺に働いてもらいたいみたいなんだが、車も免許も持ってない、って事情があって、そこの始発で帰るのが、シフトの交代のタイミングの兼ね合いも含めて、一番都合が良いんだよ。ほらシフト、ってまぁ俺が作るわけじゃないから、あれだけど。人間関係の問題もあって、いつも店長が大変そうに作ってるよ。


 それで、そう一週間前、仕事が終わって帰りの始発に乗るわけなんだけど、こういう田舎だから、車内にひとなんて全然乗ってなくて、寂しいもんだよ。いつもはスマホでも見ながら時間を潰すんだけど、さ。その時は、どうも見る気が起きなくて、ただ窓越しに朝陽の射した景色を、ぼんやり眺めていたよ。


 俺があくびをした時だ。


 隣に気配を感じたんだ。さっきまでは何も感じなかったのに、急に右隣に、こっちを見ろ、みたいな視線……なのかなんなのか分からないが、そんなものを感じてさ。とっさに俺はそっちを向くことができなかった。


 見ちゃいけないものを見てしまいそうな気がして。

 嫌な予感がしたからだ。そういう予感ってあるだろ。大体そういう予感、って当たるんだ。

 まぁ結論から言うと、見ちゃいけないもんだったんだけどな。

 それが幽霊だよ。

 死んだ男が、そこに座ってたんだ。


 なんで死んだ男と分かるか、って。そりゃ俺の知っている男だったからだよ。ついこの間、死んだばかりの職場の同僚だったんだ。


 そうだな……仮にS君とでもしておこうか。


 仮名をでっち上げてもいいんだが、こういう話をする時、俺はイニシャルで話すほうが好きなんだ。他のひとの話と統一感がなかったら悪いんだが、俺の話は俺の話、ってことで許してくれ。


 こっちからしゃべりかけないと返してくれない物静かな性格で、みんなで話してたりすると、ちいさく笑っている、そんなやつって、学生の時、ひとりくらいはいるだろ。言い方は悪いけど、いてもいなくても一緒、っていうかな。透明人間、というか、空気みたいな奴、っていうか。


 まぁとにかく、

 ついこの間、葬式があったばかりの死んだ同僚が隣にいたら驚くだろ。

 で、さ。ずっとぶつぶつ何かつぶやいてるんだ。

 一度だけ見てからは、そっぽを向いてた。怖いからな。

 でも何か言ってるのは、聞こえるんだ。


 内容までは全然聞き取れなくて。聞き取れなきゃおかしいくらい、近くにいるのに、さ。かすかすぎる声は幽霊だからなのか、電車の走行音に負けるような声だった。


 無視すればいいんだろうけど、さ。気にしていないと思い込むのは、結局は気にしていることの裏返しでしかないし、な。


 殺せ……、殺せ……。


 ようやく聞き取れたのは、そんな声だったよ。まったく気持ち悪いよな。もう死んでるやつが、殺してくれ、殺してくれ、なんて言うのは。だったらはやく成仏して、俺の前から消えてくれよ、って話だ。


 結局電車をおりるまでそいつは俺の横にいて、電車をおりると消えていた。付いて来なかった、って意味じゃなくて、窓越しにも車内に座っていたS君の姿は消えていたんだ。まるで俺に何かを言いにきたみたいに、さ。いやまぁ、言いにきたんだろうけど、な。


 ははっ。

 その日、俺はこの部屋に帰ってきても、あの言葉が頭に残って、全然消えてくれなかった。さっきも言ったけど、この部屋にも幽霊は出るんだ。これもこれで厄介な霊なんだけど、さ。でもS君の霊がこっちまで追いかけてくるくらいなら、こっちの霊が出てきてくれるほうが、百倍マシだったし、そう願ってた。願いが通じたのか、その日は、S君は現れなかった。


 翌日、職場に行った時、同僚にこの話をしたくなった。誰かに話して、自分の中にあるもやもやした気持ちを晴らしたい感じだ。でもわざわざ口に出して馬鹿にはしないだろうが、変な目で見られてしまうのは嫌で、話さなかった。


 その日の帰りもまったく同じ時間の電車で、座席の場所は全然違うのに、またS君が横にいるんだ。


「来んなよ、こっちに」

 前の日よりはすこし慣れもあってか、試しに俺はS君に声を掛けてみた。でも当然と言えば当然なんだけど、反応はなくて、


 殺せ、殺せ……、

 また嫌な声が聞こえてくるだけだ。

 えっ、『殺せ』に心当たりはないか、って……? さぁどうなんだろうな。まぁ話はまだ続いているわけだから、聞いてくれよ。


 電車をおりると、S君は消えていた。きのうと同じだ。だけど全部がきのうと同じ、ってわけじゃなかった。部屋に帰ると、嫌な気配を感じた。でもその時点じゃ気配だけで、その正体が何かまったく分からなかった。


 寝ようと、部屋を暗くした時だった。

 殺せ、殺せ……。

 声が聞こえてきたんだ。S君の。


 部屋を明るくすると、S君はそこにいて、さ。俺、思わず手が出てた。俺、怖くなると、すぐに手が出ちゃうんだよ。むかしから。でも拳はあいつの身体をすり抜けていった。幽霊だから、まぁ当然なんだけど、人間なら殺せばそれで済むのにな。ほら、よく言うだろ。幽霊より人間のほうが怖い、って。あんなの嘘だよ。嘘、って言うか、怖いんだよ、どっちも。ただ恐怖のベクトルが違うだけで。


 怯える俺にS君は何をするわけでもなく、ただ俺を見ているのか見ていないのかも分からない表情で、同じつぶやきを繰り返すだけだった。気持ち悪い奴だよな。生きている時から気持ち悪い奴だったけど、死んで、気持ち悪さが増したのかな。ははっ。


「S君の霊に追いかけられている?」

「そうなんです。ちょっと前から」

 そんな日が、そこから三日ほど続いたくらい、かな。


 俺が同僚に相談したのは。Rさん、っていう、俺よりすこし年上の、女性のスタッフさんだ。さばさばとした物言いをする感じのひとで、このひとなら、気のせいだよ、って笑い飛ばしてくれるんじゃないかな、って、そんな甘い期待があったんだけどな。


「それ、って、やっぱり翔平くん、恨まれてるんじゃないの」

 ……佐藤さん、そんな目で見るなよ。まだ何も言ってないじゃないか。まぁそりゃ俺が何かした、ってのは、想像できてるのかもしれないが、だけど白か黒かも分からない灰色のまま、他人を疑いの目で見るのは、駄目な人間の典型だな。俺のもっとも嫌いな性格だ。すぐに直したほうがいい。


「なんで、ですか」

「だって、ねぇ」

 Rさんは含みのあるような言い方をした。


 実際、俺とS君の関係があまり良好じゃないのは、端から見ても一目瞭然だっただろうから、別に驚きもしないけど、全部を知ってるわけでもないのに、勝手な憶測で、恨まれてる、なんて言われたら腹が立つ。


 仲は良くなかったな。

 そしてまぁ金を借りてた。S君から。

 S君の実家は結構裕福で、さ。


 本人が納得済みのものか、って。まぁ……快く貸してくれた、ってわけではないな。うん。

 カツアゲじゃないか、って?


 人聞きの悪いこと言うなよ。カツアゲってのは、返す気のない人間がお金を脅し取る犯罪だ。どんな形であれ、相手から了承を取ったうえで借りた金は、正当な借金だよ。後からそれを、わーわー、文句言うのは、卑怯者のすることだ。返すつもりは、って? そりゃ、手元に金があれば返すさ。無ければ返さない。それだけの話だろ。何、変なことを言ってるんだよ。


 まぁいいじゃないか、こんなのは話の本筋でもなくて、別に掘り下げるところでもない。

 俺が金に困ってて、S君から借りた。そこだけ分かっていれば、何も問題ないよ。あんまりそっちから深くは詮索しないことだ。


 金に困ってた理由?


 学生時代からの先輩で、さ。暴走族ともつるむような、いわゆる不良の先輩だよ。そんなに仲が良かったわけじゃない。友達と、ちょっと悪い遊びをしたりした時期もあったけど、俺は暴走族だったり不良グループみたいなものに属したことは一度もない。ああいうところの縦社会って、なんか怖いじゃないか。だらだらと無軌道に生きるのなら、絶対にどこかのグループに入るより、ひとりのほうがいい。


 名前はそうだな。これはじゃあ、Oさんにしておこうか。結構登場人物が増えてきたな。アルファベットばかりだと頭に入りづらいかもしれないが、まぁ頑張ってくれ。これで最後だから。もう必要な人物は出揃っている。


 Oさんはどんなひとか、って。そうだな。

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