夏夜と死の怪談会

サトウ・レン

怪談会のはじまり

コーヒーショップで出会った女性は

 彼らは、僕とは違うにおいがした。


 鳴り止まない蝉時雨に、見上げれば高所で舞う龍のような形を成す入道雲、これでもか、とおのれを前面に出した今年の夏は、もしも人間ならば、これ以上ないほど、自己顕示欲の高い奴だな、と思う。


 相手の気持ちなんてたいして考えもせず、自分のフィールドへと引っ張ろうとするような。


 爽やかさを押し付けようとする人間が嫌いな、そして暑がりな僕は、いまの季節にうんざりとする。冬は冬で寒いのを嫌がるくせに、夏になると、その冬が恋しくなる。


 約束の時間は、まだまだ先だ。

 本当なら、こんなに早く来る予定ではなかったのだけれど、きょうの朝に、同棲中の恋人と喧嘩してしまったことがきっかけで、家でのんびり過ごしているわけにはいかなくなった。あんなところにいたら、心が荒んでしまう。


 定期的に、地元に帰省していたのだけれど、実家にすこし帰って、もし誰かに会うとしても近所に住む古馴染みの同級生くらいなので、町の中心部に来るのは久し振りだった。大学の時にはもう地元を離れていたので、高校の時以来だろうか。久々の光景は、すっかり変わった、とまでは言わないけれど、かつて僕が住んでいた頃よりも、間違いなく栄えていた。


 とはいえ、喧嘩した恋人のことやこれから会う相手のことを考えていると、のんびり眺めよう、という気持ちにはなれない。せっかくなので僕がまだ住んでいた頃にはなかった全国チェーンのコーヒーショップに入り、ゆっくり時間を潰すことにした。


 まったく、あんなことで怒らなくても……。

 席に座って、ゆらめくコーヒーの湯気を見ながら、僕は気付けばため息をついていた。すると、くすり、と笑い声が聞こえた。声のほうを見ると、細身の眼鏡を掛けた女性が、申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなさい。悪気はなかったんですけど……」

「僕、なにか変でしたか?」

「あぁ、いえ、そうじゃないんです。コーヒーカップとずっと睨めっこしながら、表情をころころと変えていたので、つい気になって」


 周囲にお客さんの姿は、僕と、僕の隣の席に座る彼女と、あとは母娘連れが一組いるくらいで、とても閑散としている。そんな場所にあって、僕の姿はやけに気になる存在だったのかもしれない。平日の日中、頼りない雰囲気の二十代なかばの若者がため息をついていたら、確かに悪目立ちする。店員さんとかにも奇異な目で見られていたのかな、と思うと、恥ずかしくなった。


「あ、いえ、たいしたことではないんです。ちょっと付き合っている彼女と、喧嘩してしまって」

「彼女さんと? それは大変でしたね。ここで会ったのも何かの縁、ですし、もし良かったら、愚痴くらいなら聞きますよ」

「そんな、会ったばかりのひとに」

「でもこういう話、ってまったく知らない他人のほうが言いやすかったりしませんか? 私、実は占い師をしているので、口の堅さには自信があるんです。間違っても他の誰かに言ったりはしませんから」

「じゃあ、ちょっとお言葉に甘えて」


 時間の余裕はまだまだある。せっかくなので、すこし雑談するのも悪くなさそうだ。そんなに人見知りをする性格ではないけれど、さすがに初対面の相手は緊張するものだが、彼女は職業柄なのか聞き役に徹してくれて、相槌がうまく、とても話しやすかった。


 占い師をしている、という彼女の名は、相瀬あいせさん、といった。

 彼女に愚痴を聞いてもらいながら、僕は恋人の朝里あさりとの、朝の喧嘩を思い出していた。勘違いするひとも多いが、朝里は名字ではなく下の名前だ。


 本当にたいしたことじゃない。いやひとによって、たいした、の基準は違っていて、彼女にとってはたいした出来事だったのだろう。きょうは僕と朝里が付き合って六年目の記念日だった、らしい。忘れていた、という表現は適切ではない。僕はそういう記念日とかイベント事に無頓着な人間で、もともと覚えよう、とも思っていなかったのだ。朝里はカレンダーに丸印を付けていたみたいなのだが、カレンダーを見る習慣もない。


 朝里だって、僕のそんな性格は知っているはずなのだが、「もう我慢の限界! あなたはいつもそう。私のこと、もうちょっとは考えてよ」と怒り出したのだ。付き合って一、二年、というならば、まぁ分からないでもないけれど、もうこれだけ長い付き合いなんだから、そんなに怒らないでも、なんて気持ちがあったのも事実だ。でもまぁ、長い付き合いだったからこそ、蓄積する怒りがあったのかもしれない。本当の気持ちは、彼女にしか分からないところだ。


 用事が無ければ、僕だって、ごめんごめん、なんて言って、彼女との付き合った記念日を楽しんでいたはずだ。だけど事前に約束していた用事を断るわけにもいかず、困惑する僕の態度に余計に腹が立ったのかもしれない。喧嘩はいままで一番、というくらいの激しいものになった。食器や時計を投げ付けられた時は、思わず僕も我を忘れてしまった。


「まぁ私も、彼氏にそんなことをされたら、良い気持ちはしないかな。適当に扱われてるのかな、って」

 僕の愚痴を聞き終えた後、相瀬さんはそう言った。癖なのか、ときおりすこし小首を傾げる姿が魅力的だった。その、彼氏、は現在進行形の彼氏なのだろうか、と考えてしまったのは、僕がもう彼女に惹かれていたから、かもしれない。


「そう言ってもらえると安心します。そんなもんなんですかね。女性、って」

「女性、とひとくくりにする必要はないと思うけど、ね。そういう女性もいれば、そうじゃない女性も、いる。それだけの話。主語なんて大きくしても、いいことないよ」

 話しているうちに、相瀬さんの口調はフランクになっていたが、嫌な感じのするしゃべり方ではなかった。


「相瀬さんは、後者ですか?」

「あれ、もしかして口説いている。駄目だよ。彼女、いるんでしょ」

「でも、もう別れたみたいなものですよ。だって最後に言ってましたもん。もう二度と私の目の前に、姿を現すな、って」

 もう僕たちの関係が前のように戻ることないだろう。まさに、覆水盆に返らず、だ。


 ふぅん、と相瀬さんはつぶやくと、コーヒーを一口すすった。


「ちゃんと仲直りしなさい。せめてそのくらいの誠意を見せるのが、恋人関係だと、私は思うけど。もしもそれで駄目だったら、考えてあげるから」


 母娘のお客さんは気付くともう店から出ていて、店内には僕たちと店員さんの姿しかない。店員さんは僕たちふたりの様子をどう見ているのだろう、とふと気になり、ナンパみたいなことをしている自分が気恥ずかしくなってきた。勢いに任せて、今回は言ってしまったが、普段から他人を口説く癖があるわけじゃない。というか、こんなことはじめてだ。朝里との喧嘩と、相瀬さんの魅力に、背中を押される形になってしまったのだろう。まだ冷静な心の中の自分が、引き返せ、と言ってくるが、ここまで来て、あとには引けない。


「分かりました。じゃあ、彼女と話し合いますから。もし駄目だった時のために、連絡先、交換してください」

「本気? だって、こっちに住んでるわけじゃないんでしょ」

「僕は、意外と遠距離も嫌じゃないタイプです」

「あなたは良いかもしれないけど、私は彼氏とは頻繁に会いたいタイプだけど」

「じゃあ、頻繁に帰ってきます」

「福井まで。遠いよ」

「遠い、って言っても、県をふたつ挟んだ程度の距離ですから」

「強引だね……」

「連絡先、交換してください」

 もう一度、僕が言うと、相瀬さんが、ちいさくため息を吐く。


「分かった。……でも大丈夫、私たちはまた会えるから。その時に、交換しましょう」

「それは遠回しの断り、ですか?」

「ううん。本当の話。私の予感は、むかしからすごく当たるんだ。だから大丈夫。私たちはまたすぐに、再会する。私に好意があるなら、私の言葉も信じられるでしょ」


 彼女は意味ありげにほほ笑んで、そして店から出ていく。

 ひとりだけになった僕は、店員さんと目が合って、強烈な恥ずかしさが込み上げてくる。外に出ると、もう相瀬さんの姿はなかった。また会える、なんて、きっと嘘だろう。手の甲で、首すじの汗をぬぐう。さっきまで涼しい店内で過ごしていたからか、より暑く感じる。仲直り、か……。


 最後に見た朝里の顔が浮かぶ。怒りが、ひんやりと冷たくなっていくあの時の表情を思い出して、僕自身の背中に冷たいものがつたう。

 やめよう。朝里のことばかり考えるのは。


 僕は新たに時間を潰す場所を探した。学生時代によく通っていた本屋はむかしのまま、いまも残っていて、整理の行き届いていない棚をぼんやりと眺める。中学、高校の頃、僕は実話怪談の類がすごく好きで、店の規模のわりに充実していたのが、この書店だったのだ。もしかしたら店長さんも、同好の士だったのかもしれない。


 いまでも変わらず、しっかりと怪談系の文庫がしっかりと並んでいるが、背表紙はヤケてしまって、白っぽくなっている。まったく売れておらず、さらに入れ替えもしていないのだ。僕はまだ持っていない文庫を一冊買った。書店の玄関付近に置かれたベンチに座って、購入したばかりの文庫本の、ページを開く。


 これからのことを考えると、そこまで怪談本を読みたい、という気持ちになれなかったのだが、心の準備に、ちょうどいい、と思ったのだ。


 思ったよりも、良い時間潰しになったかもしれない。

 気付くと、夕暮れの光が、あたりを緋色に染めていた。

 僕は約束のアパートへと向かって、歩きはじめた。


 きっかけは高校時代の知り合いからの電話だった。もう聞くこともない、と思っていた相手の懐かしい声を電話越しに聞きながら、思い出すのはあまり良い想い出ではなかった。

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