第236話 クマちゃん達の穏やかでスローな時間。「そっかぁ」

 現在クマちゃんは仲良しなリオちゃんと仲良くお風呂に入るため、みんなで作った露天風呂に来ている。

 うむ。とてもいい香りである。



 南国風中庭名物、天空露天風呂。

 ブドウ棚のような雰囲気の、植物の天井を眺められる洗い場。


 リオは白っぽいタイルの上に子猫のような我が子を降ろした。

 彼が座ると、ヨチヨチと寄ってきたクマちゃんがお膝に乗りたいとつぶらな瞳でお願いしてくる。


「ごめんねクマちゃんちょっとだけ待っててねー」


 声をかけつつ、光る花から降り注ぐ浄化のシャワーと見覚えのある石鹼で甘い匂いを落とす。


「クマちゃ……クマちゃ……」


 愛らしすぎる声が、寂しそうに『リオちゃ……』と彼を呼んでいる。

 時々キュ、と鼻を鳴らしているのが余計にせつない。


「なにこの罪悪感……」


 胸が痛い。自分は間違っているのか? 

 否、汚れたままクマちゃんを洗う方が間違っているはずだ。


「クマちゃ……クマちゃ……」

『リオちゃ……リオちゃ……』


 子猫がミィ……、ミィ……と温もりを求めて鳴くように、ほんの少し離れた場所からクマちゃんが彼を呼ぶ。


「もう無理……ほらクマちゃんおいでー」


 リオは『じゃあ俺が先に洗うからクマちゃん待っててね』計画を断念した。

 両手の肉球を彼に向け、ヨチヨチ、ヨチヨチと寄ってきたもこもこをそっと両手で包み込み


「あークマちゃん可愛いほんとはちょっと待ってて欲しい感じだけどめっちゃ可愛い」


『あと少しでいいんだけど……』というもどかしさを湯に流した。


 魔王のような男なら小さな結界も瞬時に作ることが出来る。

 リオの手の中で「クマちゃ……」と彼を見上げている甘えっこもこもこは、いつもは彼の膝に乗ったままお風呂の時間を過ごしているのだろう。


 リオが視線をチラ、と動かす。

 古木で作られたように見えるが実は例の砂で作られた棚には、クマちゃん専用のお肌に優しい高級石鹼も置かれている。


「…………」


 ルークはクマちゃんを甘やかし過ぎである。

 いったいいくつ予備があるのか。 



「はいクマちゃん後ろ向いてねー」


「クマちゃ……」


 膝に乗せたもこもこを後ろ向きにしようとすると肉球で抵抗された。  

『クマちゃんはこのままで結構です……』と言っている気がする。


「そっかぁ」


 クマちゃんが良くてもリオちゃんが良くないが、彼は向かい合わせのまま『そっかぁ』ともこもこの後頭部を洗い始めた。



 ――クマちゃん泡流したいから後ろ向いてねー――。


 優しい泡に包まれた、洗浄の儀。伸ばされる彼の手。


 ――クマちゃ……――。


 そっと肉球で押し返す、慎み深いクマの赤ちゃん。


 ――そっかぁ……――。


 見失う答え。



 一人と一匹の幸せな時間はふんわりと過ぎて行った。



 特別なことはしていないのに妙に時間のかかる風呂から戻ってきた、村長と副村長。


 まったく乾いていないびちゃクマちゃんを彼から奪う魔王。


「あ……俺のクマちゃん……」


 リオは寂しそうな声を出したが、もこもこを美しく整えられるのは自分ではないと分かっていた。


 被毛にやさしいそよ風の魔法など使えない。

 複数のブラシでクマちゃんをサラフワにする技術もない。


 ルークに乾かされ甘えているもこもこをキッと睨みつける。


 育もこ修行中の新米ママはもこもこ専用ブラシの使い方を勉強するべくベテランママの隣を陣取ると、彼の手元を真剣な表情で見つめ始めた。


 その横ではウィルが「うーん。その魔法はとても素敵だけれど、少し難しいね。僕にはまだ使えないかもしれない」もこもこの被毛をふわっと乾かす魔法を習得しようとしていた。


「…………」 


 死神のような男の周りで小さな吹雪が発生している。


「そこの氷の人俺の手に吹雪当てんのやめて欲しいんだけど」指の動きが悪くなる。


 金髪の先が凍っている新米ママが『俺の指先!』と細かいことを言い、無表情な男から『細けぇな』という視線を向けられている。


 

 マスターは円形祭壇風魔法陣ベッドの上で行われる高度な魔法大会とブラッシング大会を、離れた場所から眺めていた。


「おまえら戦闘より真面目だな……」


 渋い声が苦く笑う。

 

 もこもこを乾かす役を狙っているのだろう。

 気持ちは分かる。

 仰向けで寝転がり、舌だけチャ、チャ、と動かしているもこもこは最高に愛らしい。



 南国風の民家の中央にある、儀式の場――のようなベッド。


 真っ赤なシーツに流れる美しい黒髪に、雪が積もり、風が吹く。


 マスターは彼らが『お兄さん』と呼んだり呼ばなかったりしている高位な存在に、小さな吹雪やそよ風というには強めの魔法が当たっているのを見ないことにした。

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