第145話 広場の人だかりと「クマちゃ」なクマちゃん

 大きな樹が並ぶ、木漏れ日の落ちる大きな通り。樹と樹の隙間から、真っ白な外壁の店が立ち並んでいるのが見える。

 道行く人々の足元に広がる、白に近い色合いの石畳。少しずつ色味の違うそれが直線や曲線に並べられ、複雑ではない模様を描きながら美しく道を作っていた。


 やわらかな雰囲気の通りを抜け、噴水のある広場の方へ向かおうとしていたリオが、


「うん、クマちゃんも一緒に行こー」


と言いなおした。


『クマちゃ』と言った愛らしいもこもこに『ちゃんとクマちゃんも連れてくよー』と伝えるためだ。

 しかし、もこもこは幼く愛らしい声でもう一度「クマちゃ」と言った。


『クマちゃも出る』と。


「出る? あー、袋から出るってこと?」


 リオは『出る』と聞いて思いついたことをそのまま尋ねた。

 しかし、その直後、同じ方向へ向かおうとしていた通行人達の話し声が聞こえてしまったのだ。


 通行人の女性が彼らの近くで足を止め、不思議そうに言った。


「えっ、なに? 美少女コンテストって。誰が出るの?」


 その女性と一緒に歩いていた女性が彼女に振り返り、


「あっ、美少女祭りだったかな? ……私も人から聞いただけで、詳しくはないんだけど……たしか王都? でそういう大会? お祭り? が流行ってるって誰かが言ってー、それを聞いた? ……えーと、多分服屋とか? が『開催すればあれが売れるかも……』って――」


本当に詳しくはないらしく、疑問符にまみれていそうな説明を始めた。

 本題に全く辿り着かない説明を聞いた女性が考え込むような顔をしながら首を傾げ、本来彼女が聞きたかったことと関係があるのか無いのか分からない話を始める。


「美少女――祭り? なんなの? その祭り……ん? あれが売れる? ……それ、もしかして、いつも困った顔してる服屋さんのこと? わたし……あの人がこの間裏通りで――――」



 彼女たちのふわふわした会話に出てくる服屋の末路も気になるが、もこもこの『クマちゃ』の意味も気になる。


「クマちゃんまさか『出る』ってあの人達が言ってた美少女……祭り? のことじゃないよね」


 まさかこのもこもこは主催者が裏通りで怪しい行動をしていたというそれに『出る』と言っているのだろうか。

 いや、それよりも――。


「クマちゃん可愛いけど美少女じゃなくね?」


 リオがそれを言った瞬間。


「寒い寒い寒い俺だけ寒冷地いるみたいになってんだけど」


 脳に口が付いているような男の周囲が極寒に変わった。金髪に雪が積もっている。

 あまりにひどい暴言に驚いた冬の支配者が、無意識に魔力を放ったようだ。


 魔王のような男がクライヴの手元へ飛ばした温かい魔力に包まれている赤ちゃんクマちゃんは大雪に見舞われること無く無事だったが、仲直りしたばかりのリオちゃんにひどいことを言われた衝撃で、もこもこした口元を両手の肉球で押さえ、もこもこもこもこと震えている。


 ピンク色の肉球ともこもこの隙間から、幼く愛らしい「……クマちゃ……」という声が震え、零れる。


『……美少女ちゃ……』


 もこもこの悲し気な声を耳にした彼らには分かった。

 クマちゃんは美少女ではないのですか……? という意味だと――。


 もこもこの潤む瞳と見つめ合い、リオは小さく「えぇ……」と呟きながら考える。

 クマちゃんは美少女だろうか――。

 ぬいぐるみのようなクマちゃんには性別がない。世界一愛らしく、被毛が美しいのだから美もこもこな美クマちゃんではあるが、全身もこもこしているし赤ちゃんすぎる。おそらく――美少女ではない。

 しかしそのままそれを伝えると、繊細なもこもこが深く傷つき、もっともこもこもこもこ震えてしまうかもしれない。


「……ごめんクマちゃん言い方間違えた。クマちゃんは美……マ……ゃんかもだけど、赤ちゃ……あー……美少女祭り出るには若すぎるんじゃない?」

 

 リオは保護者達の厳しい視線に耐えながら言葉を探し、もこもこもこもこ震えている悲しそうなクマちゃんに丁寧に答えるが、根本的な考えは変わらなかった。森の街で開催されるそれにもこもこの、しかも赤ちゃんの参加枠があるとは考えにくい。


「うーん。でもクマちゃんはこんなにふわふわで愛らしいのだから、若くても出場出来るのではない?」


 常に可愛いもこもこの味方なウィルが『もこもこしていても可愛ければ出場出来る』と勝手なことを言う。

 それが認められるなら可愛いと評判のニャンちゃんやワンちゃんたちまで『ではわたしも……』と肉球を挙げ、やりたい放題になるだろう。

 開催者の思惑を無視したそれに「えぇ……」の止まらないリオだったが、ふと考えた。

 

 直接聞いたほうが早い、と。



『聞いてからのがいいって!』というリオの話を少しも聞かない保護者達は、可愛いもこもこを更に可愛くすべく、クマちゃんの服やヘアスタイルを整え始めた。

 現在のもこもこ衣装部屋は、広場へと続く道に設置されているベンチである。

 巨大な樹に茂る葉が天井のように日を遮り、サァ――と吹く風と共に緑が強く香る。

 森の街らしい、非常に落ち着く場所だ。

「いやそっちに会場あるんだから聞きに行ったほうが絶対早いって」というかすれた声を聞く者は、誰もいない。


「レースが付いていた方が華やかなのではない?」


 美しさを競うなら豪華な衣装がいいと主張する派手な男。

 彼が持っているのは柔らかそうな生地で出来た青いリボンだ。

 繊細な白のレースとふわふわな青、中央に青いバラが飾られたそのリボンは、まるで令嬢の着るドレスのように美しく、華やかである。


「控えめな色の方が白いのの清らかさが引き立つだろう」 

 

 純粋なもこもこ、クマちゃんには清楚な服装が合う、と氷の紳士は言う。

 彼が手にしているのは薄い水色と白のストライプを白のレースで縁取る、氷と雪のような色合いの控えめなリボンだ。


「…………」


 彼の愛しのクマちゃんがどのような衣装でも着こなせる素晴らしいもこもこであることを知っているルークは、キュ、と甘えた声で鳴くもこもこの美しい被毛を、もこもこ専用ブラシで優しく整えている。

 ルークの腕の中でじっとしているもこもこは、頬や耳をブラシがスッと通るたび、気持ちよさそうにチャ――、チャ――、チャ――、と舌を鳴らし、彼の顔を見上げている。

 一緒に毛繕いをしているつもりのようだ。


 結局「うーん。それなら、全員の意見を組み合わせたらいいのではない?」というウィルの提案により、それぞれが一つずつ意見を出すこととなった。


 それまで「出られなかったら逆に可哀相じゃん……」とぶつぶつ呟いていたリオも、


「じゃあ可愛い系で」


かすれ声でシュッ――と素早く口を挟む。

 何も言わなければ〝派手で清楚でレースだらけの少し格好いいクマちゃん〟などというわけのわからないもこもこになってしまうかもしれない。

 クマちゃんはいつも通りの幼くて可愛い赤ちゃんクマちゃんが良い。サングラスも長い毛も不要である。そこは絶対に譲れなかった。


 ずっと黙っていたお兄さんまで、頭に響く不思議な美声を響かせ「――これを」と、もこもこに似合いそうなブローチを出してきた。

 銀の台座の中央に、巨大なダイヤらしき石がはめ込まれている。


「えぇ……お兄さん……なにそのやばそうなブローチ……」


 もこもこのバックにはやばい奴が付いている――と開催者に見せつけるようなブツに、リオがかすれた声を出す。

 大雑把で吞気な人間ばかりの森の街には周囲の人間を金の力で黙らせるようなやばい奴は居ない。

 お兄さんはもこもこをどうしたいのだろうか。


 皆から「凄く愛らしいね」「ああ」「よく似合っている」と着せてもらった衣装を褒められ、感激したらしいクマちゃんが、サッともこもこの口元に両手の肉球を当て、幼く愛らしい声で「クマちゃん……、クマちゃん……」と恥ずかしそうにお話ししている。


『クマちゃん可愛い……? 美少女……?』と。


「俺ちょっとクマちゃんも出れるか聞いてくる」


 これでもこもこが噂の美少女祭りに出られなかったらリオのほうが泣いてしまう。

 彼は受け付けがあるはずの広場へ、全力で走った。



「えーと……、その『クマちゃん』は……クマという名前の人間のお嬢さんってことですか?」


 いきなり金髪の美青年から『これってクマちゃんでも出れんの?』とかすれた声で聞かれた受付の人間が、『はいそうです』という答えだけを期待した質問をする。


「普通にもこもこだけど……人間より可愛いから大丈夫だと思う」


 受付の質問に真っ直ぐな答えを返さない、卑怯な手を使う男リオ。


「もこもこの方はちょっと……えーと、どのくらいもこもこな感じですか?」


 出来れば参加者を人間の美少女で固めたい受付。

 しかし仕事熱心な彼は、一応『クマちゃん』のもこもこ度を確かめる。

 もしかすると、髪の毛が大分もこもこした美少女なのかもしれない。


「え、もこもこ具合で出れるか決まんの? ちょっとなら良いってこと?」


 受付の合格ラインを鋭い視線で探るリオ。

 今のクマちゃんはどちらかというと短髪だ。全身短髪なのだから『ちょっともこもこなクマちゃん』で通るだろう。


「ちょっともこもこな感じですか…………ん? ちょっとってどんなちょっとです?」


 ちょっともこもこな美少女『クマちゃん』に興味を示す受付。


「…………耳は結構もこもこだけど」


 策士リオは『クマちゃん』が耳も体も顔も結構もこもこした存在であることを伏せる。


「もこもこ耳の『クマちゃん』ですか…………それは……なかなか良いですね……」


 受付の頭に浮かぶ、頭上のクマ耳だけもこもこな美少女クマちゃん。


「……あのさー……肉球付いててもいい?」


 勝負師リオが大胆な賭けに出る。

 鼻が湿っていることは言わなくても良いだろう。

 

「肉球ですか?! 肉球を持つ美少女……! それは、凄く人気が出そうですね……!」


 更に輝きを増した受付の中の美少女クマちゃん。


「あー、やっぱそう思う? ――じゃあそれ記入するからペン貸して」


 詐欺師リオは受付が「もこもこ耳と肉球かぁ……」とのんびり呟いている隙に、シャッ――と素早い動作で彼の手元からペンを奪い取った。



 こうして、もこもこのクマ耳とピンク色の肉球を持つ――ついでにもこもこの被毛と湿った鼻も持っている美少女クマちゃんは無事、森の街で行われる美少女祭りの参加権をもぎ取った。

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