第58話 発熱する獣クマちゃん
吹雪のような男クライヴは急いでいた。
モンスターの居る場所を探し、湖から遠く離れた場所で戦っていたが、寂しそうなクマちゃんの可愛らしい小さな声が届いたのだ。
早く皆に会いたいと願う寂しがり屋なもこもこの、胸を締め付けるような幼い声。
あの可愛らしく心優しい小さな生き物が、危険な森へ入り自分たちを呼んでいる。戻らないわけにはいかない。
湖へ着き、湖畔の家へ向かう途中、露天風呂の方から知った気配を感じた。
一人しか居ないように感じるが、心優しきもこもこは魔力が弱々しい。
もしかするとクライヴが気付けないだけで、もこもこも一緒にいるのかもしれない。
確認のため露天風呂入り口の葉をガサ、と手で払う。
払った葉の向こうで、金色の髪をさらに美しく輝かせたリオが、裸で膝をつき、桶と牛乳瓶で湯を汲んでいた。
輝く湯汲み男に湯桶が凍り付くような視線を向けたクライヴは、ガサッと葉を戻すと踵を返し湖畔の家へ向かった。
洞窟を探す、という話を始めてすぐ、マスターはクマちゃんがつぶらな瞳を何度もドアへ向け、そわそわとしていることに気付いた。
「あー。クライヴか……。たしかに、あいつがお前の呼び掛けですぐに戻って来ないなんて珍しいな。――森の、かなり奥のほうまで行った可能性があるな」
寂しがり屋のクマちゃんが心配することと言ったら、仲間が戻ってこない、ということだろう。
露天風呂へ行ったばかりのリオは、放っておいても後十分もすれば戻るだろうが、クライヴはどうだろうか。
マスターが考えていると、
「もう着く」
低い、色気のある声が聞こえた。
声の持ち主は、そわそわ占い師クマちゃんを、筋肉質だが長くスラっとした腕で床から攫い、もこもこをドアが見えるように抱える。
ルークがヴェールを被ったクマちゃんのもこもこの首元を、長い指で優しくくすぐった。
クマちゃんは大好きなルークの言うことならなんでも信じるが、それでも少し心配だった。
いつもクマちゃんに優しくしてくれるクライヴは、クマちゃんのお知らせが届かないところまで行ってしまったのではないだろうか。
先程放送を掛けるとき、声が小さかったかもしれない。
クマちゃんは声も可愛いはずだから大丈夫、と思ったが、皆クマちゃんの声を聞いたことがないから不安だったのだ。
少しだけ皆と見た目が違うクマちゃんが人間の言葉を話せたら、聞いた人はびっくりするかもしれない。
もっと大きな声で言えば良かった。『休憩のお時間ですよ』だと分りにくかっただろうか。『至急湖まで来られたし』のほうが良かったのでは。
――クマちゃんが不安を募らせルークの指をくわえていると、外から微かな足音が聞こえ、ドアはすぐに開いた。
そこには、いつも通り冷気を身に纏う、美しいがどこまでも冷たい表情の、黒い革の手袋に包まれた手に魔石が入った袋を持つクライヴが立っていた。
ドアから中へ入ってきた彼は、ルークの膝の上の、ヴェールを被った可愛いもこもこの前へ跪き、雪色の繊細なリボンで結ばれた魔石が入った袋を差し出した。
しかしいつもは物欲の強いクマちゃんが、今日はお宝の詰まった袋ではなく、クライヴに向け、もこもこの短い両手を広げた。
抱っこ、という意味だ。
冬の支配者のような男クライヴは、自身に向けて二つも差し出されたピンク色の肉球を見て、苦しみを表現した美しい氷像のような顔で、そっと可愛いもこもこを抱き上げる。
約三時間ぶりに感動の再会を果たした一人と一匹を横目にマスターが、
「間に合って良かったな。外のやつらにも声を掛けてくる。――少し借りるぞ」
と言い、占い師クマちゃんが選んだ怪しげな洞窟が描かれたカードを手に、外へ出て行った。
子供のくじ引きのようなクマちゃん占いが気に入ったウィルは、シャラ、と腕の装飾品を鳴らし、残りのカードを裏返す。
そして灰色の飲み物が当たったのを見て、ルークの方へ腕を伸ばし景品を要求する。
鳥のように自由な男である。
ウィルは一口目が刺激的なクマちゃん特製野菜ジュースを飲みつつ、少しお行儀悪く最後のカードを裏返すと、――いつもの優しそうな表情とは違う、攻撃的に目を細めた貌でフッと笑った。
◇
クマちゃんの小さな太陽――暖かい癒しの光が出ている球体というだけで、燃えているわけではない――が〝ニャー〟と鳴き、縄張りにしている場所は安全だ。
森の中を皆でゆっくり探索出来るとあって、冒険者達も楽し気な雰囲気に包まれている。
「ここら辺ゆっくり歩いたのって初めてかも」
「ああ。前はここにもモンスターいたし」
「最近だよねぇ。ここら辺に出なくなったの」
「もういねぇんじゃねーのって言いたいとこだけど、奥にはうじゃうじゃいるんだよなぁ」
「どっかに穴掘って纏めて倒すのは?」
「じゃあ俺はお前が穴掘り終わったら行くわ」
「俺も」
「俺も待ってる」
「頑張れ穴掘り野郎」
「俺はお前らを許さない。俺が最高の穴を掘ってもお前らには絶対に教えない」
皆がふらふらと湖周辺を探索する中、
「じゃあお前ら、なんか見つけたら適当に魔法でも打ち上げろ。緊急のはやめろよ」
マスターが皆に声を掛ける。
始めに言っておかねばこの大雑把な冒険者達は、普通に緊急連絡用の魔法を打ち上げるだろう。
「洞窟ってことは段差見つけないとダメな感じ? 全く心当たりないんだけど」
金色にさらに輝きが増したリオが、髪をかき上げ言う。
露天風呂で色々あったのだが、戻った時には皆出かける雰囲気だったのですぐにそちらに気を取られ、伝え損ねてしまった。
皆一瞬リオを見たときに動きを止めるのは何故だったのだろうか。一瞬だけ、ということは大したことではなさそうだが。
ただ、ルークとウィルとクライヴまで反応したというのが少し気になる。
――まぁ何かあるならそのうち分かるだろう。
気にはなるが、今は探索が先だろう、と気持ちを切り替えたリオは集中して崖や段差を探すことにした。
大好きなルークと長時間一緒で、しかも仲良しな仲間たちと共に冒険することになったクマちゃんは興奮を抑えきれず、ずっとふんふんと彼の指をくわえている。
「随分と興奮してるな……そのもこもこの体力は大丈夫なのか」
興奮しすぎて小さな黒い鼻の上に皺がよった、獣のような可愛いクマちゃんを見てマスターが言う。
「……ああ」
腕の中でルークの指を掴まえ、はぐはぐとくわえている、若干野性味のあるクマちゃんを優しく撫で、一拍置いて答えるルーク。
野生に返ったクマちゃんのもふもふの奥にある口の中が熱い。興奮しすぎて発熱している。
早く目的の洞窟を見つけ、落ち着く場所で休んだ方がいい。
白い野獣の飼い主ルークは色々と心配が尽きない。
「僕たちはクマちゃんから離れない方がいいだろうから、このまま一緒に行動しよう」
ウィルは、普段単独行動を好む吹雪の男クライヴへ視線を送り、それでいいかと尋ねる。
「わかった」
可愛いクマちゃんの護衛をクライヴが断るはずがない。
それにクライヴは元々、一人が大好きというわけではない。美しいが冷酷な表情で周囲に冷気を放つ彼から、怖がり、そして寒がって人々が離れていくだけなのだが、本人もそれを気にしていないため、孤独を好む冷たい人間だと勘違いされている。
こうして、いつも一人で居るが実は孤独を好んでいないクライヴを仲間に加えた野獣クマちゃん率いるパーティ一行は、カードに描かれた洞窟を見つけるため、ニャーという声を聞きながら森の探索を開始した。
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