第56話 クマちゃん放送
「リーダー。なんかまたモンスター減ってない?」
先程までいたはずの敵の気配がまた遠のいたことに気付き、リオが尋ねる。
そして手の甲に装着された武器――動物の爪を長く伸ばしたような形状――を軽く振って消し、乱れた金髪をかき上げた。
使用者の意志で簡単に爪の出し入れが出来るリオの武器は、実は古代の技術で作られた貴重なものだ。しかし『めっちゃ便利』の一言で片付ける大雑把な酒場の冒険者達の間で、その価値が話題に上ることはない。
因みに、爪が消えた状態だとただの指輪にしか見えないそれは普段から身に着けることも可能だが、装飾品を着ける習慣のないリオは『なんか邪魔』と言って適当に仕舞っていることも多い。
――歴史研究者らが見たら血圧が上がりそうな所業である。
「……遠くからニャーと聞こえるね。もしかすると、あの可愛らしい小さな太陽は寂しいのではない?」
ニャーが聞こえなくなるほど離れたはずが、また自分たちの方へ近付いてきてしまっているクマちゃんの小さな太陽の声を聞き、ウィルが言った。
ルーク達の居る方へ寄ってきてしまうというのは、制作者がクマちゃんということを考えると、おかしなことではない。
「時間だ」
ルークがニャーという鳴き声の聞こえる方へチラリと視線を流し言う。
「え? 時間ってなんの?」
全く意味のわかっていないリオは、持ちきれない魔石を地面に広げた布の中央へ集めていた手を止め、尋ねる。
――普段は適当に木の根元に集め、後日取りに行く、という誰かの眉間の皺が深くなりそうなことをしている彼らだが、今日からは毎日持ち帰ることになった。
「湖に戻る」
最小限の説明と視線でお前らも来いと指示を出すルークは、地面に転がる魔石を纏めて浮かせ、言葉の通りフッとその場から居なくなった。
消えたと感じるほど疾い移動は、仲間の彼らでも追いつけない。
「えぇ……。あんなん出来るならいつもしてくれればいいのに……」
魔石を布で適当に包み、それを鷲掴むように持つリオがぐれた子供のように文句を言う。
リオの魔力は少なくない。前衛職の中では多いほうだ。風の魔法も使えるが、息をするように魔力を自在に操る、というわけではなく、型通りの攻撃魔法を使えるだけだ。
魔力でそれを運ぼうとすれば、強風に煽られた魔石はどこか遠くへ飛んでいくだろう。
「少し前までは帰る道にだってモンスターはいたのだから、戦闘のたびに下ろすのは面倒だったのではない? 僕は彼ほど自在に風を操れるわけではないけれど、後で纏めて持って帰るほうが楽だとは思うよ」
魔法が得意なウィルは魔石を運ぶことが出来ないわけではないが、決まった場所に目的の物を移動することなら可能であっても、好きな時に好きな物を自身の周りに浮かせる、などという離れ技は使えない。ルークがどのくらいあの魔法に能力を割いているかなど、自身と比べて測ることは出来ない。
しかし魔法で何でも出来るルークであっても、短時間に何度も荷物を上げ下げするくらいなら、後日纏めて運ぶ方が面倒は少ないのではないか、とウィルは思った。
地面にもう魔石がないことを確認した二人も、何かの時間らしいルークの後を追い、湖へ向かう。
周りにまったく敵が居ないここから戻るのは難しいことではない。先程より少し大きく聞こえるニャーという鳴き声の方へ、二人は駆ける速度を上げた。
「その肉球は一体どこを指してるんだろうな……」
可愛い頭巾姿のクマちゃんを抱きかかえ撫でながら森を徘徊するマスターが、ピンク色の肉球を見て呟く。
この肉球は、本当に意味を持ってどこかへ向けているのだろうか。まさか、ただ前に出しているだけなのでは。
マスターがどこかへ向けられた肉球について考え始めたとき、クマちゃんが肉球を引っ込めた。
何かあったかと思い、クマちゃんの顔を見ると、ペロペロと肉球をなめている。
――どうやら手が疲れたようだ。
マスターはクマちゃんの可愛いもこもこの腕をそっとさすってやりつつ、考えた。
もう湖へ戻っていいだろうか――。
どこか遠くからニャーという鳴き声が聞こえる。あの声はクマちゃんの小さい太陽だろう。
クライヴの言っていた通り、癒しの力を感じるとモンスターは離れて行くようだ。創造主クマちゃんが大量の魔石を投入して創ったあの可愛い太陽は、相当な癒しの力を持っているに違いない。
付近からは何の気配も感じない。居たとしても小鳥か小動物くらいだ。モンスターが逃げて行ったということは、それを追う冒険者達もどこか遠くへ――。
うっすらと気付いてしまったマスターは、クマちゃんに湖へ戻ることを提案しようとしたが、もこもこはリュックから何かを出したがっている。
「……何か出したいのか。手伝ってやるからちょっと待て」
こんな森の奥で何をしようというのだろうか。しかし頭巾姿の可愛いクマちゃんが、もこもこの短い手で一生懸命リュックを下ろそうとしているのに、放っておくことなど出来ない。
クマちゃんを、ポフ、と優しく地面に降ろす。
そしてもこもこの背中のリュックを、もこもこの腕から抜きクマちゃんの目の前に持ってくると、ごそごそと中に手を入れて何かを探しだした。
「そうか、なんか作りてぇんだな……」
冒険者時代の乱れた口調が出てきたマスター。彼は少し疲れている。
目元を隠すように額に手を当て、やや下を向いたままこめかみを揉む。
可愛いクマちゃんが魔石と紙を地面に置いた。あの見覚えのある大きさ。びっしりと書かれた文字。まさかあれは。
――書類。
「待て待て待て! 何か作る前に一旦それを――」
ぼーっとしていたマスターが、ハッと気づいたように声をかけるも、クマちゃんはもう杖を振ってしまっていた。
書類と魔石は光となり、クマちゃんの素敵なアイテムへ生まれ変わった。
「そうだな、ちゃんと保管してねぇ俺が悪い……」
フッと渋く笑ったマスターは、どうしたの? というように自分を見上げるクマちゃんを優しく抱き上げ、
「いや、問題ない。気にするな」
と言ってつぶらな瞳の可愛いクマちゃんの頬をくすぐるように撫でた。
素敵なアイテムに生まれ変わってしまった元書類と杖、リュックを拾い元書類だけクマちゃんに手渡す。
杖をリュックに仕舞いながらクマちゃんの手の中のそれをよく見る。するとそれは拡声器のような形の、紙で出来たおもちゃだった。
「おもちゃにしか見えねぇが……」
紙製のおもちゃの拡声器には、文字がびっしりと書かれている。後でなんの書類だったのか確認する必要がありそうだ。
頭巾姿のクマちゃんはそれを肉球が付いたもこもこの両手で持つと、もふもふの口元へ寄せ、
「クマちゃん」
と、幼い子供のような可愛らしい声で呟いた。
「お前がクマちゃんなのはわかってる――」
それを聞いていたマスターが、お前の名前は知っているから拡声器を使って言わなくても大丈夫だぞ、と伝える途中で、何かに気付き言葉を切った。
拡声器っぽいわりに、大きな音が出るわけでもないそれから聞こえた『クマちゃん』という可愛らしい幼い声。
何故か、『きゅうけいまだ?』と寂しそうに言われた気がした。
気のせいかというくらい、なんとなくそんな意味に感じる、という程度だが。
きゅうけいまだ? が森で彷徨う自身の心が聞かせた幻聴ではないかと考えていたマスターだったが、ニャーという鳴き声と主張の強い魔力を感じ、前方に視線を移す。
あの強すぎる魔力の持ち主はルーク以外にいない。そんな時間じゃねぇだろ、という気持ちと、これでもこもこも寂しくないだろう、という気持ちが複雑に絡み合い、感情が色々忙しいマスターだった。
かすかに愛しいもこもこの声を聞き取り、その中に『きゅうけいまだ?』という気持ちが含まれていることに気付いたルークは、寂しくて森に来てしまったであろうクマちゃんのもとへ急いだ。
もこもこが想定していた時間より遅くなってしまったようだ。可哀相なことをしてしまった。
あのもこもこがどうやって声を届けたのかわからないが、早く迎えに行き安心させてやりたい。
少し先に弱弱しい癒しの魔力と、仕事を中断してクマちゃんを森へ連れてきたらしい人物の魔力を感じる。ニャーという声が聞こえるこの場所は安全だ。森の中であっても問題はないだろう。
「今クマちゃんの『クマちゃん』て声聞こえなかった?」
寂しそうに『きゅうけいまだ?』と言われた気がしたリオは、隣で走っている、シャラシャラと涼し気な音を立てるウィルに尋ねる。
「寂しくて森まで来てしまったようだね。マスターが付いているはずだから、大丈夫だろうとは思うけれど」
ウィルは、可哀相なことをしてしまったとは思っているが、なぜ『きゅうけいまだ?』と聞こえたかについてはあまり気にしていない。
あの不思議な生き物が感情を伝えるのが上手なのは演奏を聞けば解る。
それに大体何でも最強なルークであれば、もう寂しがり屋なクマちゃんのもとに着いているだろう。
◇
クマちゃんがもう一度拡声器で、休憩のお時間ですよ、と伝えようとしたとき、
「遅くなって悪かった」
大好きなルークの声が聞こえ、もこもこの体が、フワリ、と彼の腕の中へ移動した。
長い指の背で頬をくすぐるその仕草も、間違いなくルークのものだ。
ちゃんとクマちゃんのお知らせは届いていたようだ。
きっと、討伐に集中していて休憩を忘れてしまっていたのだろう。皆クマちゃんのお知らせを聞いて湖へ戻ってくるはずだ。
キリリとした声で『休憩のお時間ですよ』と伝えたつもりのクマちゃんだったが、感情を伝えるのが上手なせいで『寂しい、皆まだ?』という内容が多めに伝わってしまったことには気付いていなかった。
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