第十一話【次期戦略】

 図書館の会議室。

 白い板の左上、KIOSK 42台/学校 2校/河川公園 1 と昨日までの数字が並ぶ。

 その下に、黒で法人②と書いた。丸を二重にする。


「——また法人化する」俺が言う。

「いいね。水は水、夜は夜で分けるべきだ」姫宮。

「代表はカグヤ。株は三等分。配当の線は前と同じ」七瀬。


 机の上に紙が積まれていく。定款/就任承諾/口座申込/印鑑届。

 俺は株主の欄にサインして、鼻の奥がすこし熱くなる。

 夜の会社(封鎖・整頓・監視)はすでにカグヤに預けた。

 水の会社も、いま渡す。俺は持株と配当で生きながら、次に行く。


「条件が一つ」姫宮がペン先を持ち上げる。

「経営に入る。紙の線と数字を、私が毎週なぞる。水+夜の両方」

「反対しない」七瀬の声は短い。「現場はカグヤ。紙は姫宮。お前は——次」


 次。

 白い板の右半分を空ける。ゆっくりと、四角を書いた。プラ完全除去。

 黒で小さく、ZERO-PLAST(ゼロプラスト)β と書く。


 *


「What」俺が口に出して書く。

 水・砂・土・空気から、検出限界未満までプラ粒子を落とす。

 0.3μm以下、1m³あたり1個未満を目標。“ゼロ宣言”はしない。

 商用は非接触。魔法は見せない。表向きは**“冷光凝集+多段膜”**。


「How」青。

 段① 前処理:スクリーン/サイクロン/ファーストフラッシュ。

 段② 凝集:“冷光”(=夜冷面+微弱電界)で粒子に偏極と皮膜形成。

 段③ 分離:UF 0.01μm/RO(地域次第)→活性炭→UV。

 段④ 監視:ラマン散乱簡易カウント+濁度・導電率→QR公開。

 段⑤ 廃棄:回収プラは固形化→産廃委託(売らない/撒かない)


「Why」赤。

 雨線(水事業)の信頼の根になる。

 海岸・河川・工場排水で**“見える数字”**を置ける。

 同業の“天然”コピーに数字で勝つ。

「やらない線」黒で縁取り。

“完全にゼロ”と言わない。

 検査をごまかさない。

 魔法の直接演出をしない。


 七瀬が赤で足す。「R&D 30日。β実証 60日。量産設計 90日」

 姫宮は端末から試験水の採取許可、第三者検査の見積を並べる。

 「川・工場・海の三系統でやる。公表日は毎週火曜固定。数字を嘘つかない曜日にする」


 白い板の右下、空いている隅に小さく魔法と書いて、俺はすぐに四角で隠す。

 夜冷面という名の薄い板。表では放射冷却+プラズマ冷光。

 実際は——手のひらの温度を一滴だけ下げる。音は出ない。


 *


 法人登記の帰り、カグヤが書類バッグを肩にかけて、振り向いた。

「二社めも預かった。遅延利息、冗談じゃないから」

「わかってる」

「じゃ、走れ。紙はこっちで持つ。姫宮、明日から週次レビューやるよ」

「いいよ。数字は用意する」姫宮は笑わないで言う。頼もしい。


 ドアが閉まり、会議室には俺と七瀬だけが残った。

 静かさが、少しだけ強くなる。

「二人きり、久しぶりだな」七瀬。

「そうだな」

 視線が白い板でぶつかって、すぐ外れる。

「βに入る。装置、図面、見積。現場は海・川・工場の順」

「了解。踵の下に一滴は、現場じゃ使うなよ」

「わかってる」

 七瀬の唇が、ほんの少しだけ笑う。火花が短く跳ねる。それだけ。


 *


 その夜から、メールの音が止まらなくなった。

 投資家。CVC。銀行。商社。大企業。

 件名は似ている。

 > “ZERO-PLAST”にご関心——面談のお願い

 > リード投資のご提案(条件仮)

 > 共同研究・独占供給について


 白い板の左端に、Term Sheetの山を短冊にして貼る。


 VC α:¥5億/評価 ¥30億/1x非参与/清算優先/取締役1/独占交渉45日

 CVC β:共同ラボ資金 ¥1.2億/先買権/エリア独占(工場排水)

 商社 γ:海外販路/最低購入保証(年2億)/手形60日

 銀行 δ:設備資金¥1億(金利 1.1%)/融資実行の条件=第三者検査合格


 姫宮が赤で下線を引く。独占交渉/先買権/清算優先。

 七瀬が黒で書く。「全部の“はい”は、全部の“いいえ”」

 俺は喉の奥がきゅっとなる。金は欲しい。でも、線は崩せない。


「一次は受けない」姫宮が決めるみたいに言う。

「R&D 30日の数字を出してから。非拘束の覚書だけ置く。独占は結ばない」

「先買権も当面なし。品質が出たら、公開入札で地域パートナーを決める」七瀬。

「銀行の設備資金は条件付きで進める。第三者検査を板に貼るところまでがワンセット」俺。


 白い板の真ん中に太字で書く。

 やらない線:独占交渉/先買権/“ゼロ宣言”/秘密の検査。

 やる線:公開ログ/第三者検査/公開入札。


 *


 R&D 1日目。海。

 小雨。波の音の向こうで、カモメが騒ぐ。

 サンプル採水→前処理→冷光凝集→多段膜。

 ラマン簡易カウントで、1m³あたり 132→6。

 検出限界の壁が紙に浮かぶ。6は小さいが、ゼロじゃない。

 「嘘つくな」七瀬。

 「嘘はつかない」俺。

 姫宮が第三者へ同一ロットを出す。結果は来週。


 R&D 5日目。川。

 雨上がり。白い欠片が目で見える。

 1320→14。

 14は美しい。でも、ゼロじゃない。

 「“未満”の言い方を探す」姫宮。

「**“検出限界未満(当社法)”じゃダメ。“第三者法”に合わせる」七瀬。

 俺は、ペンの粉を指でまとめて、トレーの端に寄せる。深呼吸ひとつ。


 R&D 11日目。工場(排水テスト・立会い)。

 現場責任者が腕を組む。「本当に落ちるの?」

 流入 480→流出 3(0.01–5μm帯)。

 グラフが黙って立つ。

 責任者は腕をほどいて、「一ヶ月、置くよ」と言った。

 一ヶ月の数字で決める、と。いい返事だ。


 *


 勧誘合戦は、熱を増す。

 昼は実験、夜は電話。

 “今なら評価を上げます”、“役員報酬を倍に”、“ボード席を——”。

 白い板の右下のやらない線が、じりじり熱を帯びる。

 金が、線をたわませる音がする。


「疲れたら、走るな」七瀬が言う。

 会議室の隅で、冷たいペットボトルを俺の手に押しつける。

「喉が熱い」

「嘘をつかなきゃ、すぐ冷める」

 短い会話。火花。それだけ。


 *


 R&D 20日目。海(二回目)。

 夜冷面の角度を**3°変える。電界を5%**上げる。

 132→4。

 第三者速報:5±2。

 “公的機関の方法に準拠”の注記が添えられる。

 紙の温度が下がる。

 ゼロ宣言はしない。

 “検出限界未満(第三者法)”を使える可能性が、ようやく見える。


 その夜、VC αから独占交渉45日の催促。

 姫宮が定型文を返す。「独占は結びません。R&D完了後に公開入札の予定です」

 CVC βは共同ラボの契約書案(ドラフト)を送ってきた。独占なし/先買権なしに修正済。

 七瀬が「これなら読める」と丸をつける。進行。


 *


 R&D 30日目。板の前。

 海・川・工場の3系統、第三者法準拠で**“未満”に収まった。

 ログはQRへ、検査票はPDFへ。

 姫宮が公開日の火曜に合わせてダッシュボードの鍵を外す。

 七瀬が量産設計に青で矢印を引く。「90日」

 俺は、白い板の隅に、手元現金と口座残高**、配当予定を書いた。


 手元現金:¥5,560 / 口座残高:¥3,114,000 / 配当見込み(夜+水):¥128,000/月

 勧誘:受領中(独占なし・覚書3)


 黒インクが乾く。粉が落ちる。

 勧誘合戦の音は外から続いている。

 でも、白い板の上では、線のほうが太い。

 俺は、いつもの三行をなぞる。


 消すな。移せ。そして、残せ。


 息を吐く。

 ゼロとは言わない。未満を、積む。

 魔法は、音だけ消す。

 数字だけ、残す。

 次の火曜まで、靴紐を結び直す。

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