誰にもできない役目 第三話

 首都の中心部の一画に設けられた革命記念広場に集まった大群衆(これは愛国心により引き寄せられ、自主的に集まったのである)は、五重奏によるオーケストラの響きや、様々な民族衣装をまとった踊り手による華やかなダンスを堪能したり、各々が感激して歓声を上げていた。誰もが建国以来最大ともいえる祭典を前に酔いしれ、老いも若きも賑やかに騒ぎ立て、都市全体が熱気を帯びていた。沿道沿いにずらりと並ぶ、三階建てのビルの窓からは、住民たちが桃色や黄色の美しい花吹雪を沿道を歩む人々の頭上に向けて、まるで、それが良いことでもあるかのようにまき散らしていた。どんな偏った思想を有する者も、人に言えないような職に就く者も、皆、祖国の旗を強く握りしめ、それを誇らしく掲げていた。そして、選ばれた人々の織りなす、大聖堂へと向かう華やかな馬車列が通り過ぎていくたびに、その笑顔を絶やさず、歓声を爆発させ、その旗を大きく左右に振って、国家に従順なる愛国心を示していた。貴族と華族の煌びやかな隊列がすべて行き過ぎると、本命である王族たちが到着するまでに若干の空き時間が生まれた。これを利用して、派手な衣装に身を包んだ女学生たち(事前に行われた、ダンス試験においては、肌の露出が多すぎることを理由に落選していたため、本来なら、出番は生まれないはずであった)による、野性的で美しい身のこなしのダンスや、人気ポップ歌手による国歌斉唱などが行われた。


 今日この日だけは、都市の中央区画のほとんどの店は、一切の強制のない、店主自らの意志によって臨時休業を決めていた。往来のすべてには、一般人用の乗用車が動いている姿は見受けられなかった。他の大陸からやって来た移民の申請受付や、博士号取得者による官吏への資格審査、揉めに揉めて解決の見えない各種民事裁判、先日の大嵐の中での落雷により完全に破壊されたいくつかの信号機の修理、すべてのスポーツイベントの開催とその報道、それに挑む選手たちの日常訓練、それに加えて、職を持たない貧困者向けのパンや牛乳の配給なども、この日だけは、そのいっさいがっさいが行われなかった。政府や行政の無責任ぶりを如実に示すものではあるが、何の取り柄もない庶民にとって、この日の外出には特別な意味があるわけだ。つまり、イベントに貢献する取り柄を持ち得ないのであれば、素直に家に篭っていろ、というわけである。


 テレビとラジオは、いつもの幼稚でくだらないバラエティー番組の報道をすべて中止し、千台以上のカメラを宮殿の周りに設置して、この祝典の実況を詳細に行うなど、この重大な日が持つ意味を、無能な国民の知識の片隅に叩き込むために、同じ場面を注釈付きで何度となく繰り返し放送した。そのために、他に食い扶持のない芸人や脳なしの御用学者たちは、この日から二週間に渡り、どんなにちっぽけな番組にも出演する機会を奪われたため、数千人単位で廃業する羽目になった。当然の如く、保育園も学校も大学もすべて休校になる。体育関係を始めとする、身体の丈夫な先生方のほとんどが、近辺の警備や、会場までの荷物運びに動員されるからである。突然の休暇に歓喜し湧く学生たちには、これから催されるイベントの意味を、まったく知らされていないわけである。彼らは家に引き篭もることになる二日分を埋めるために与えられた、膨大な数の問題集をその目にすると、学校を休めるということが、それすなわち、「抑圧からの解放」という概念には必ずしも結びつかないことを悟ったようである。着慣れない礼服を着込んで、王族の見送りのために動員された小学生たちは、何の知識もないゆえに、この特別な日のことを素直に喜び、花びらが舞い散る美しい歩道を無邪気に走り回っていた。


 それとは反対に、中央都市の高級住宅街に住む、裕福な住民たちは、比較的落ち着いた心持ちで、この日が来るのを待ち望んでいた。いわゆる上流階級の人々は今回のイベントが時代の変わり目になることをよく理解しており、この良き日を境に、祖国が新たな理想郷に向けて、大きく前進を果たすのだと蒙昧に信じていたのである。身分上のカーストにおいては、社会の上層へ向かうに連れて、次第に懐疑的な思想は失われていく。これは当然のことである。何億もの貯蓄や莫大な土地や株を有する資産家たちは、自分たちの身に何事もなく、ただ淡々と時間が過ぎていくだけで、その未来に安定という最高の結果を生み出すからである。「できれば、現状維持でいい」という服従型、無思考型の保守思想が生まれるのは至極当然なのである。この国のような独裁型軍事政権に真っ向から反論し、その極端な政策のすべてに真っ向から反発できるのは、元より、社会の下の下のもっとも下に位置する日雇い煉瓦職人や煙突掃除、あるいは貧民街のゴミ回収業程度などに属する人間だけである。彼らからすれば、お役人に睨まれても、今さら奪われる物は何ひとつない、あと一歩でも後ろに引き下がれば、断崖絶壁から生の終わりへと真っ逆さまに転落していく彼らにとっては、例え、どんなに偉大なる者たちにでも反発していかなければ、明日は見えないということである。


 帰還を果たしたディマ氏は、車窓の外の眩い光景を、その疲れ切った目を細めながら眺めた。国家における一大イベントの日を迎えるにあたり、立法や行政や司法の諸制度に一切の関わりを持たないはずの一般市民たちが、このような度を越えたバカ騒ぎを演じていることについて、いささか不快に思っていた。国家が今日この日に、その大舵を切り、未来を新たな方向へと変革する。そのために開催される偉大な祝祭は、優れた家柄や高い知性を持ち、本当にもののわかる選民たちのみにより粛々と行われるべきだと強く感じていたからだ。


「おまえらに、いったい何がわかるんだ」


 沿道で裸同然の卑猥な衣装を身にまとい、肌を大胆に露出しながら踊り狂い、あと一歩で犯罪でも起こしかねないような大騒ぎを長時間演じている脳なしの人民たちに向けて、そう怒鳴りつけてやりたくもなった。もちろん、彼は自分の心に僅かばかり残された優しさから、そのような乱暴な振る舞いには出なかった。まるで、森の奥の暗がりで焚火を囲み猛り狂う獣たちのような、あの愚かな連中に対して、人としてのまともな権利を与えてやるつもりなど、まったくなかったとしても、である。


 彼が率いる装甲車数台と騎馬隊の列は、そんな得体の知れぬお祭りムードの中を、中央官庁ビル群に向けて静々と進んでいた。やがて、ディマ氏が管轄する中央行政庁の庁舎の前に、すべての車両は止められた。二つの部隊は昨日の朝とまったく同じように、そこに整然と並んだ。例の厄介なお荷物を運ぼうとしている、数人の人員以外の兵士たちは、取り敢えず、そこで今回の一連の任務を解かれて、一泊二日に渡る激務の労をねぎらわれて家路についていった。


 この国のシステムは完璧である。法も財力も開発力においても、他の大国とは一線を画している。もし、何らかの理由において、必ずしも完ぺきとはいえない、とするなら、世界中でもっとも理想に近い国と表現しても良いかもしれない。


 この大都市には民衆同士の暴力沙汰や凶悪犯罪やテロリズムがいっさい存在しない。なぜなら、「法を犯す」「権力に逆らう」「常識より欲望を優先する」という三大悪とも表現できる、悪しき選択肢について、それを行う者がないどころか、その存在すら誰も知り得ないからである。この点において、アメリカや西アジアの国々よりも優れている。かの国の民衆は立身出世や我欲のためなら、親友を裏切り、親を追放し、親族を平気で縁切るなど、どんなことでもする。


 次に、この国には強固な身分制度と才能主義が両立している。国家を支えうる優れた才能とは、ほとんどの場合、優れた血統からのみ生まれてくるものである。だが、王族や貴族階級以外の人民の中にも、突出した才能があれば、それに見合う報酬で採用する制度があって然るべしである。この点において、イギリスやフランスを始めとする西欧列強諸国よりも優れている。なぜなら、彼らが伝統的に崇拝する厳格な世襲制は、貯蓄の単純な二極化を生み出し、何か変事が起こるたびに、もっとも人口の多い大衆階級の不満を常に増幅させていくからである。


 最後に、この国では立法は即実行であり、あらゆる、外交問題や大災害や経済危機への対応、権力闘争から派生した反乱などに、もっとも素早く対応ができる。もう一度述べておくが、法律はそれが生まれた瞬間に施行される。そのため、煌びやかな宮廷の内部にも薄汚れた裏通りにも、一切の混乱や無秩序は生まれることはない。論理的に考えれば、勤勉な法律家や研究者により、日々改良されていく法律とは、前日のそれより常に優れたものであり、昨日まで我が物顔で蔓延っていた誤ったルールなど、すべて反故にする力がある。過去とは法の実行や解釈における誤りの積み重ねであり、そんな古いだけのしきたりを守ってやる必要はない。この点でロシアや中国などよりも優れている。彼らの政治や経済の仕組みは、百年以上前のそれとまったく同じ制度のもとで動いているからである。政治行政や人事制度自体に進化がなければ、どんなに最新の兵器を開発しても、それが生かされることはない。


 ただ、つい先ほど、「この国が完璧でない理由がもし存在するのなら」とも申し上げた。それはこの国にも民衆の反乱や権力の堕落により始まる国家的沈没への足音が、まったく聞こえないわけではない、という意味である。言われてみれば、歴史上、完璧な国家など存在しなかった。悠久の時を刻むと思われた、ローマ帝国やハプスブルク家やオスマン帝国も、時代の流れにより、その制度が崩され、結局のところ、崩壊への道を歩んだわけだ。千年王国とは名ばかりである。


 ではなぜ、ローマ帝国やアステカではなく、この国こそが、もっとも理想に近い国家だと標榜したのか。ディマ氏を始めとする高級官吏たちの能力が、他国よりもひときわ優れているから、という見方もできるだろうが、当然それだけではない。この国の最大の特徴は先ほども申し上げた通り、立法会議招聘からの瞬発力である。しかし、言うに及ばず、それだけには留まらない。実は、この国のすべての執行責任者は、どの部門においても非公開なのである。つまり、「誰がその素晴らしい法律を考え出したのか」「凶悪犯罪者への厳罰を最終的に決める者は誰か」「国家予算の配分は誰が決めたのか」「出世や左遷の判断基準を定める規定の調整をしたのは誰か」「民衆が来期に支払う所得税率を定めるのは誰か」そして、そもそも、「すべての新法の内容や、その執行責任者を、マスコミや国民の前に開示しない、という厳格なルールを決めたのは誰なのか」これらの問いかけについての答えは、すべてにおいて、明確にノン! である。誰も知らない、知ったことじゃない。見たことも聞いたことも考えたこともない。ゆえに、どんな由々しき事態が起ころうとも、それこそ、国全体を揺るがす大失態が露見しようとも、誰もその責任を取ることはない、取るはずがない。赤鬼のような形相の寝不足新聞記者たちから、どのように突き詰められようとも、こればかりは答えようがない。そもそも、誰も知らないのだから……。この辺りの事情が、この国が「神法の都」と呼ばれる最大の理由である。


 突然、耳をつんざくような大歓声が沸き起こり、ディマ氏は、反射的に後ろを振り返った。祝賀会場へと続く平坦な舗装路を、きらびやかな王族の馬車十数台が連なって通り過ぎていくところである。その後には、従者や警護兵たちが乗り込む、二十台以上の警護車両が物々しく続いていた。ディマ氏はその美しい馬車の神々しい後ろ姿に対して、一度帽子を脱ぎ敬礼をした。王族や貴族の面々が心待ちにしている最大のイベントまでには、まだ三時間ほどの猶予がある。ディマ氏はダイヤの装飾が施された腕時計でそれを確認すると、自分の苦労は決して徒労にはなっていない。何とか式典には間に合ったと、安堵の息をついたのだった。


 ディマ氏が最高責任者として取り仕切る、行政庁の三階には三つの執務室がある。ここは王家直下の指導院の許可を得た場合にのみ使用できる取り決めがあった。すなわち、いわゆる上級職の人間であっても、国家の許可なくここに出入ることはできないということである。ディマ氏は重い荷物を両手で抱える二人の部下とともに、平然とここへ侵入していくと、関係職員が今後出入りするためのひとつを残して、正面玄関の扉には厳重に鍵をかけた。二人の隊員は素早い動作で抱えてきた荷物の封印を解き始めた。しかし、顔面を覆うガムテープを剥がしても、足を厳重に縛り付ける縄をほどいてやっても、確かに生命が宿るはずの、その荷物はピクリとも動かなかった。ディマ氏の冷静な心は、そんなことでは少しも揺れなかったが、万が一にも起こりうる、この場の嫌な空気を感じ取ったのか、部下の一人が足のつま先を用いて、何度かこの物体を軽く蹴飛ばしてみた。それでも、首都から数百キロも離れた、遠い寒村からはるばる運ばれてきた、この生物は、具体的な反応を何も示さなかった。


「こいつ、身動きひとつしないが、この大騒ぎの中でも遠慮せずに寝てんじゃねーのか。おい、さっさと起き上がれ。まったく、図々しい奴だな」


 隊員の一人は不機嫌そうにそう呟くと、激しい実力行使によって、この男を目覚めさせようとした。しかしながら、賢明なるディマ氏はそこで部下を一端制止させた。未来への選択の余地が、たったひとつしかなくなった今、余計な暴力や折檻は何のプラスにも働かないからだ。


「もういい、これ以上のことは私の方でやろう。君たちの任務もここで解くことにする。後は、家でゆっくりと休んでくれ。今回は色々とご苦労だったな」


 ここまでディマ氏に連れ添ってきた二人は、上官によるその丁寧な指令を受けて、一度深々と頭を下げてから、これ以上の邪魔にはならぬよう、足早に立ち去って行った。二人の背中が完全に見えなくなるのを確認してから、ディマ氏は人づてに一等執行官のダリメル氏を、すぐに呼ぶように告げた。待っている間、ディマ氏はしばし、横たわるその男の様子を見つめていた。動き出す気配はまるで感じられなかったが、カーストの底にぽっかりと開いた穴の一番奥底まで落伍した庶民のおぞましい思考回路については、これまでも嫌というほど思い知らされている。この男が先ほどの負傷により体よく意識を失っている可能性は、きわめて薄いと考えていた。


『こんな擬態を見せられたところで、誰が騙されてやるものか』


 ディマ氏はピューローと名乗る、このみすぼらしい男の傍らにしゃがみ込むと、土気色の顔へと手を伸ばし、その口に張られていた最後の粘着テープを強引に引っ剥がした。男の青紫色の唇は微かに動き出し、口呼吸を始めた。その様子を見て、水を与えたり、治療を行わなくとも、十分に口をきける状態だと判断した。


「おい、いいか、いよいよ事態は差し迫っている。これ以上、おまえとの不毛なやり取りで時間の無駄使いをすることなどできない。今さら、くだらない抵抗はするなよ。わかったか?」


 そう声をかけてから、男の手を長時間封じていた手錠も、すみやかに外してやることにした。男はしばしの間、前後不覚に陥ったようではあったが、少しの間をおいて、ゆっくりとその身体を起こした。


「お願いだ……。これ以上の横暴はやめてくれ……。あんたらが宝石のような大宮殿で暮らす金持ち連中の仲間だってことはよく知っている……。だが、いくら何でもやりすぎだ……。いったい、俺が何をしたと言うのだ……。あまりにも、あまりにも酷すぎる……」


「いいか? もうすでに大舞台の開始時刻は差し迫っている。おまえと真面目な顔で向き合い、『誰にでも人権はあるのか否か』『国家からの指令に逆らうことは可能か』などの、まったく無意味な論議をしている猶予など、すでにない。今さら、おまえを焼けた鉄窯に放り込んで拷問にかけ、反省を促していくような時間もない。まあ、貴様の方でまだ反抗する余裕があるというのであれば、そういう手立てを取るのもいいが、すでに弱りきっているお前にとっても、それは不本意だと思う。とにかく、今日はもうこの重大なイベントに際して、入念な準備をする余分な時間などないのだ。そこで、おまえが就く任務に関する具体的な指針については、明日以降に決めることにする。今日の顔見せイベントに関しては、とにかく、こちらで単純なレジュメを用意するから、中央大聖堂に入ったら、兎にも角にもその通りに行動しろ。互いのためにも、それがもっとも賢明な方策だ、いいな?」


 ディマ氏は噛んで含めるようにそう説明した。男はこの追い詰められた状況に、すっかり脅えていた。ただ、こんな遠地に連れて来られて、今さら反論したり暴れ回ったりすることも虚しくなってきたのか、その説明を黙って聞いていた。

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