本編
僕には愛する人がいた。
彼女は僕が運転する車の中で死んだ。事故だったのだ。逆走車との正面衝突事故。もちろん百パーセント相手側の過失だが、彼女だけが死んだ。人はいつか死ぬものだから、仕方ないと思った。そう思うしかなかったけど、僕には一つ心残りがある。僕らは、その日喧嘩していた。喧嘩の種は僕だった。その日は彼女がずっと楽しみにしていた映画を見に行く約束をしていたのだけど、僕が寝坊して上映時間に間に合わなかったのだ。彼女を怒らせてしまった。その上、僕は彼女に逆ギレしてしまったのだ。
僕が悪い。僕だけが悪い。
僕がちゃんと起きていれば、何も彼女は死なずに済んだのかもしれない。彼女もそれを根に持って僕を祟るようなことはしないだろうし、もしかしたらもう生まれ変わってどこかで幸せに暮らしているかもしれない。だけど、僕は今でもただ一言謝りたいと思っている。多分一生思い続ける。そんな僕が救われるまで、僕は人を騙し続ける。
僕はタイムマシンを開発した。世の中は僕を「宵谷博士」と慕っている。僕は科学者らしい。でも本当の職業は詐欺師だ。いや、科学者というのは嘘ではない。タイムマシンを開発したのは僕だし、今もその研究を続けている。ただそのタイムマシンに問題があるのだ。
タイムマシンなんてものは存在しない。
仕組みは簡単だ。タイムマシンを作るにあたって僕はたくさんのデータを観測した。人工衛星や街中に設置されたカメラを使って、気象情報や人の流れ、一人一人の発言まで、記録、保存した。時には、個人のパソコンやスマホなどのデバイスに潜り込んで、会話や映像を細かく集めた。そして集めた情報を、架空空間に映し出す。いわばVR空間のようなものだ。高クオリティなVR映像を思い浮かべてもらえれば簡単かもしれない。だからこのタイムマシンは未来には行けない。
このタイムマシンを作ったのは国からのお願いだった。大切な人を失い途方に暮れていた僕に、電話があったのだ。
「近年この国では自殺者が増加している。今生きている我々には、自ら命を絶つ程の苦しみは分からない。それと同時に、遺族の苦しみも分からない。寄り添うことや、話を聞くことはできても、過去を変えることはできない。だから、大切な人を突然失った宵谷博士にタイムマシンを開発してほしい。別に本当に過去に戻らなくてもいい。タイムトラベルが不可能なことは我々も十分承知している。だから、そのタイムマシンは偽物でいい。架空空間を見せるだけでいい。残された遺族に、最期の会話をさせてあげたいのだ。宵谷博士、どうかこの依頼を引き受けてくれないか」
あぁ、国は本当に汚いことを考える。彼女を失い弱った僕の心を利用しようなんて。でも同時に、その依頼を引き受けたいと思った。実際僕は、あの事故からなんの研究もしていない。というより何かをする気になれなかった。
最低限の食事をとり、部屋に転がる。テレビをつけてみるけど、面白いとも、面白くないとも感じられない。食料を買いに、近くのスーパーまで出かけてみても、特に食べたいものもなく、店にあるだけの栄養調整食品を買い、帰宅する。そんな生活をここ三か月送っていた。身体はやせ細り、きれいに整えていた髭や髪も伸びきっていた。
僕は完全に感情を失っていたのだ。彼女を失ったショックなのか、良い気持ちで彼女を死なせてやれなかった後悔なのか、考える余裕もなかった。
そんな中、突然鳴った電話の着信音。無視しようかと思ったけど、出ないと僕はこのまま生涯を終える気がして電話に出た。それが国からの依頼だった。国への不信感ですら、久しぶりに感じた感情で心地よかった。
僕はこの依頼を受けるために生きてきたのだと頷いて、すぐ研究室に向かった。
完成したタイムマシンは、世の中に衝撃を与えた。称賛の声もある一方で、多大な批判も受けた。だから、国はタイムマシンに関する法律を定めた。
過去を変えた時点で、無期懲役の刑が課せられること。
なぜこんな法律ができたか。本当に過去を変えることはできないし、タイムマシンが偽物であることがばれてしまうからだ。
この法律に、ほとんどの国民は賛成だった。それと同時にそんなリスクを起こしてまで過去に戻る必要はないと、タイムマシンへの興味も薄れていった。
現在の生活にどうしようもない重荷を抱えている人を除いては。
プルプルプル プルプルプル
研究室の電話が鳴った。
「はい。宵谷研究室です」
「もしもし? 神村です。宵谷博士、新規のご予約が入ったので、打ち合わせをさせて頂きたいのですが、ご都合がつく日を教えて頂きたいです」
「今週の金曜日の午後三時頃なら空いているよ」
「では、その時間に伺います」
「今度のクライアントもやっぱり……?」
「はい、自殺で大切な人を失ったようです」
「そうか。ではカウンセリングに時間をかけなければだね。またよろしく頼みます」
「はい。失礼いたします」
神村は国の人間だ。もちろんタイムマシンの秘密を知っている。高身長で高学歴、おまけに顔もきれいで、ハイスぺックという言葉は彼のためにあるのかもしれないとすら思う。ただ性格は難ありで、かなりのドライだ。でも彼ほどの意志の強さがなければこの仕事は務まらないのかもしれない。
約束の金曜日。神村がやってきた。コーヒーを二杯用意して、打ち合わせを始める。
「今回のクライアントは
「なるほど。彼女がこの五年間、どんなに重たいものを抱えて生きてきたか想像すると、何とも言えない感情に襲われる。あれ、でも彼女はもう新しい人と結婚しているじゃない?」
「はい。彼女はもう前に進もうとしています。でも前に進もうとする度に、平瀬のことがブレーキのように彼女の心を引き止めてしまって。だからここで、見ないようにしてきた過去のことを整理しておきたいと」
「なるほど。そういうことか……」
「宵谷博士、引き受けてくださいますか」
難しい顔をした僕に神村は聞いた。
「一度彼女と会って話をしてみよう」
「ありがとうございます。では、帰ってすぐに予定を確認します」
喜多川 真知……。つらい記憶から立ち直ろうとしている彼女に過去を見せていいものか。依頼を引き受けたものの、迷っている僕がいた。でも、タイムマシンを使うか使わないかは僕の判断ではない。こちらが提示した料金を彼女が支払えば我々が止めることはできない。
まあいい。とりあえず話をしてみようか。
次の水曜日。神村に連れられて喜多川真知が研究室にやってきた。
小柄だが、凛としていて芯のありそうな女性だった。いかにもしっかりしていそうな彼女に、想像を絶する過去があったとは誰も思わないだろう。順調満風に生きていそうな人でも多少何かを抱えている。人は見た目によらないのだ。
「喜多川真知さんですね? 大体の話は神村君から聞いています。平瀬成に会って話がしたいと?」
「はい」
「過去に区切りをつけたいと伺っているけど、平瀬君とどんな話をしたいか教えて頂けますか」
「はい。五年前、彼は突然居なくなりました。私はなぜ、彼が自ら死を選んだのか見当がつきません。彼は誰かに悩みを相談することなく居なくなってしまったのです。彼はいつもポジティブで、万人から愛されるタイプでした。私もそんな彼に惹かれた一人です。彼が自殺した原因が、仕事なのか、お金なのか、人なのか、はたまた私なのか。それを知りたいと思って」
「私……? 何か心当たりでもあるのですか?」
「いえ、ないです。でも私が彼の悩みに気付けなかったから、彼が居なくなってしまったのかもしれないって」
「なるほど」
「過去は変えられないこと。料金は決して安くないこと。重々承知しております。ただ、彼の苦しみを知らないまま私は死ねません。どうか、彼に会わせてください」
僕は胸の奥が苦しくなった。彼女はタイムマシンを最後の希望だと思って、僕にお願いをしているのに、そのお願いを引き受けてしまったら、僕は彼女を騙すことになってしまう。様々な依頼を引き受けてきたけど、やっぱりこの瞬間は辛い。
唾をごくりと飲んだ後、僕は決まってこう言う。
「ご依頼承りました」
タイムマシン利用料の入金が確認できた後、タイムトラベルをするにあたってのカウンセリングを数回行った。タイムマシンの利用料は決して安くない。一分当たり五万円だ。彼女は、十五分のコースを申し込んだ。また、カウンセリングというのも建前だ。いくら僕の研究室に情報があるとしても、個人の情報はまだ足りない。タイムトラベルに関する彼女の不安や悩みを取り除きながら、平瀬成に関する情報をできるだけ多く聞き出した。そして、その間、架空のシナリオを書き、映像を作る。喜多川真知のタイムトラベルまで、三か月を有した。
自殺の理由……。本当に最後まで迷った。迷ったけど、これから先、彼女が誰かを憎んで生きなくていいように。
六月一日。
喜多川真知のタイムトラベルの日。最終確認をし、同意書にサインをしてもらう。ここにいる全員が緊張している。だって今から人を騙すのだから。闇バイトで雇われた受け子のような気持ちかもしれない。神村を除いての話だが。
喜多川真知が、一人乗りの小さな車に乗る。本当は車なんて要らないのだけどタイムマシンと言っているからには、形だけでも必要なのだ。少々厨二病チックな演出である。
彼女がタイムトラベルするのは、平瀬成が自殺する三日前。深呼吸をした後、真知の合図で車が進みだし、彼女を過去に連れていく。
二〇XX年 五月 二十九日 午後三時。
「成なの……?」
五年ぶりに見る彼の姿に私は驚いている。
「急にどうしたん。こちら平瀬成様ですが?」
初めての感情に襲われた。喜びでも、悲しみでも、驚きでも、感動でもない。ただただ目の前の光景を信じられなかった。
「てか、人の話聞いてた? 今度大阪に出張に行くからお土産何がいい?」
どうやら私と成は成の部屋に居るようだ。実際、私たちはよく成こだわりのコーヒーを飲みながらこうして話をしていた。舌がコーヒーの味を覚えていた。
「あぁ、大阪? ええっと、チョコ! 大阪にしかないチョコお願い!」
「またあ? 真知は本当にチョコが好きだよな」
「う、うん……」
「どうかした?」
あぁ、宵谷博士と何回もシミュレーションをしてきたはずなのに、なんて言うべきなのか思い出せない。いや、違う。何を言おうと思っていたかは覚えている。ただ、真実を知るのが怖くて、思うように声が出ない。やるんだ真知。ここで聞かなかったら、お前は重荷を抱えて生きるんだぞ。五年前の私、今が最後のチャンスなの!
「あのさ……?」
「ん?」
こちらを見つめるあどけない顔。そんな彼が好きだったのだ。
「あのさ……! 悩みない?」
「悩み……? 俺は真知ちゃんと居られて幸せだよ」
嘘だ。この男は三日後に死ぬというのに、なんでこうもへらへらしてられるんだ?
「ねえ、なんで、成はいつもニコニコしているの? まあ、私もそんな成の笑顔に惹かれた一人だけどさ、苦しくないの?」
成は黙っている。私は続けた。
「隠していること本当にないの? ちゃんと聞くからさ。話してくれない?」
「黙れ!」
一気に彼の顔つきが変わった。というより目の前にいるこの男は、偽物ではないかとも思った。しかし、日光に当たると黄色く光る猫っ毛が本物の彼だと証明している。成は数秒考えた後、口を開いた。
「僕はとっくの昔に死んだんだ」
その言葉にドキッとして、思わず息を呑む。彼の眼から雫が一粒流れた。次の瞬間、堰を切ったように、彼は話し出した。
「僕の母親は毒親で、幼い頃は特に、僕に過干渉してきた。僕の交友関係にまで口を出してきた時もあって。幼い頃は母親の言うことが一番だと思っていたけど、小学校高学年になった頃に、僕のお母さんはおかしいんじゃないかって思った。母親は、僕の友達にもひどいことを言うものだから、友達もだんだんと居なくなって……」
初めて聞く話だ。冷静に聞いてみる。
「それで、どうしたの?」
「母親に反抗してみた。でも母親は、僕がおかしくなってしまったのではないかって大騒ぎするんだ。精神科に連れていかれたこともあった。早すぎる門限を守らなかったら、友達の家に電話をかけまくって、ちょっと成績が落ちたら僕を勉強部屋に閉じ込める。あぁ、この人には何を言っても無駄だって思ったんだ。僕が反抗するのは友達のせいだ、と言って母親は、僕を隣の隣の校区の公立中学校に入れた」
あぁ、彼の母親は狂っている。
「中学校ではどうだったの?その、門限とか…」
「変わらなかったよ。部活があっても六時には帰って来いって。普通に無理な話だから、部活も一年生の五月に辞めた。中学校三年間だけ我慢しようって思ったんだ。高校は全寮制のところに行こうって。それから必死に勉強した。不思議なもので、人は目標があるといくらでも頑張れるんだよね。授業が終わるとまっすぐ帰り、すぐに勉強部屋に入る。晩御飯とお風呂を済ませ、また勉強した後、十時には寝る。そんな生活を送っていた。母親の望む生活を送り続けた。そして学校では、母親を悪者にした。みんな反抗期とかで、よく親の愚痴を言っているし、丁度良かった。小学校のときの話をするとみんな口を揃えて言うんだ。可哀そうって。自分でもそう思っていた。僕は不幸な星の下に生まれてしまったって。でも、母親のことを言われる度、僕は苦しくなった。友達の言っていることは間違っていないはずなのに、母親のことを言われると腹が立ったんだ。どんなに毒親でも、彼女は僕にとってたった一人の母親だから。それは母親か僕が死ぬまで変わらないし、死んでも変わらないって」
彼の笑顔の裏に隠された重たい鉛のようなものに、言葉が出なかった。彼は話を続けた。
「それで、高校は僕の希望通り全寮制のところに行ったんだ。最初は反対されたけど何とか説得して。それからは自由の身だったよ。友達と初めて遊びに行ったし、勉強が忙しいと言ってほとんど家には帰らなかった。でも、本当の自分は出せなかった。中学まで、家と学校しか世界がなかった僕は、自分を守るためにどちらの世界でもずっとニコニコしてきた。どんなに嫌なことを言われようがへらへらしていた。争いは嫌いだし、穏便に生きたかったんだ。ただ、自分を偽るたびに心だけは消耗されて行って。正面から立ち向かえない僕も悪いんだ。でも、それに気づいた頃には本当の僕が思い出せなくなった。僕は僕を殺してしまったんだ。社会に出るとそういう僕の弱さを利用してくる人もいる。僕に責任を押し付けたり、心無いことを言ったりして。それが社会なのかもしれない。理不尽ってやつなのかもしれない。きっとよくある話だし、その時は頭に来ても、みんな何もなかったかのように朝を迎えるんだ。でも僕にはそれができない。心の貯蓄が無いし、僕が正面からぶつかることをしてこなかったから、やるせない気持ちの消化の仕方を知らない。でもいいんだ。僕は一度僕の心を殺しているから、命なんて惜しくないの。僕は機械同然だから」
パチンッ
私は思わず成の頬をぶった。
「そんなこと言わないの! 私は何度も成との未来を想像したのに。なんでそんな言い方するの? あんたの過去なんか知ったこっちゃないわよ! 私は今の成に惹かれたわけで。過去もその一つだけど、今の成を作っているものをひどい言い方しないで! 自分は毒親に育てられた? 自分は不幸だ? そうかもしれない。本当のことは知らないけど、今、成の周りにいる人たちを否定しないで!」
私は今にも涙がこぼれそうだったけど、一粒許すともう止まらない気がして、ここで泣いたら、成はまたいい顔をして私を慰めると思って、必死に堪えた。
少しの間、沈黙が流れた。成は少し考えた後こう言った。
「ありがとう。真知ちゃん。俺を見つけてくれて」
初めて見る表情だった。もはや、別人ではないかと思った。いや、目の前にいる男は、成とは別人だ。成の肉体を着た本物の成なのだ。
「当たり前でしょ。死んでも私を忘れないでね」
真知は小さく微笑んだ。
その瞬間、真知は白い光の中に吸い込まれていった。時間が来たのだ。
「おかえりなさい」
研究所にいた人間全員でこう言う。
真知は、虚無感に襲われているのか、まっすぐ前を見つめている。いや、違う。彼女の中で、過去と今の状況を機械的に整理しているのだ。タイムトラベルから帰ってきた人間は大体こうなる。数分して、真知が口を開いた。
「ありがとうございました。本物の成と話ができて満足です。おかげで前に進めそうです。本当にありがとうございました」
彼女の言葉に嘘はないようだった。
「お役に立てて光栄です。また何か気になることがありましたら、気軽にご相談ください」
「はい。ありがとうございます。では」
真知はタイムマシンから降り、係に連れられて、待合室に行った。
あぁ、また助けてしまった。また、死者と取り残された人たちをつないでしまった。
偽物のタイムマシンでも、ただの映像でも、僕にとっては羨ましい話なのだ。だって僕はもう二度と彼女に会えないから。僕もタイムトラベルをすることを考えたけど、僕は開発者だし、過去に行く前に答えを知ってしまうし。いや、そもそも答えなんか存在しないのだけど、きっと僕の望み通りのシナリオを書いてしまうから。
今でも彼女が僕を恨んでいるのならそれでいい。
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