第10話 ていねいに、ていねいに

 豚肉に火が通って来たのか、ふちが淡いピンクから白っぽい色に変わって来た。


「そろそろええかな。へら使って豚肉をひっくり返したって」


「は、はい」


 1度に全部はさすがに慣れていないので無理だ。紗奈さなは部分部分ごとに豚肉をひっくり返して行く。すると洗い物を終えた岡薗おかぞのさんの手がそっと伸びた。


「ちょっとへら貸してな。これをこうしてな、ほぐして行くねん」


 岡薗さんがへらを細かく動かして、くっついている豚肉同士を剥がして行く。


「火が入ったらほぐれやすくなるから」


「はい」


 へらを返してもらった紗奈は、岡薗さんがやっていた様にへらを動かす。少し手間取りながらも、豚肉はどうにかばらばらになって行った。


「この後野菜なんかと煮込むんやけど、肉は先に炒めておいたらあくが出にくくなるねん。あくも旨味やって言う話もあるんやけど、まぁ見た目があんまり良う無いからな、こうして閉じ込めてやるねん」


「なるほどです」


「豚肉からも脂が出てるやろ。それが透明になるまで炒めてな」


「はい」


 紗奈はゆっくりとへらを動かして行く。あまり勢いを付けると豚肉がフライパンから飛び出しそうで怖い。


「あ、脂が透明になって来た気がします」


 紗奈の声に、岡薗さんが「どれ」とフライパンを見下ろす。そして「よしよし」と満足げに頷いた。


「人参と椎茸入れるから、全体に油が回る様に混ぜてな」


「はいっ」


 岡薗さんの手によって食材が追加され、紗奈はまた恐々とへらを動かす。


「底から返す様に混ぜるねん。やってみよか」


 岡薗さんにへらを渡すと、食材の上下を入れ替える様に返しながら混ぜて行った。食材は散らかることも無く、粛々とフライパンの中で場所を移動する。


「こんな感じや」


「はい」


 紗奈は辿々たどたどしいながらも岡薗さんを真似して混ぜて行く。やがて全体に油が回って艶が出て来た。


「よっしゃ。ここから煮込んで行くで」


 岡薗さんが計量カップに入れた水を注ぐ。食材が時折顔を出すぐらいの量だ。


「沸いたら顆粒だし入れて、お揚げ入れて少し煮込んで、それからしろ菜の軸入れて、調味して、しろ菜の葉を入れて、火が通ったら完成や。味付けは俺がやるな。目分量やし」


「計らへんのですか?」


「おう。計量スプーンもあるけど、俺も牧田まきたさんも慣れとるからな。天野さんは不安やったら軽量スプーンもカップも使ってな。あ、キッチンスケールもあるで」


「はい。そうします」


 初心者本だけで無く、紗奈でも作れそうなお料理レシピ本も探さねば。やはり今度の休みは本屋行脚あんぎゃだ。


 地元のあびこにも本屋はあるが、家の近くにあるのはあびこ中央商店街の通りにあるこぢんまりとした店舗なので、種類がそう多くは無いだろう。大きな本屋と言えば、御堂筋みどうすじ線で1駅南下した北花田きたはなだのイオンモールに大きめの紀伊国屋きのくにや書店が入っているが、それよりは天王寺てんのうじに出て巨大書店を巡った方が確実だと思う。


 スマートフォンで調べて、隆史たかしにパソコンとプリンタを借りて出力をするのも手だが、まずどの料理が比較的簡単に作れるのかが分からない。レシピ本は数多あまたあるだろうから、探せば紗奈の様な初心者に向いている分かりやすい本が見付けられるだろう。


 フライパンの中が沸いて来たので、岡薗さんが顆粒かりゅうだしを入れて混ぜる。


「ほんまはな、昆布とかつおで出汁だし取った方が旨いんやけど、出汁がらの処理に困るし時間も掛かるしな。ここでは顆粒使ってんねん。これは昆布とかつおの合わせだしやけど、かつおだけのやつ、昆布だけのやつ、いりこだしもあるわ。洋食用にブイヨンとコンソメ、中華用にシャンタンもな」


 言いながら、岡薗さんはもうひとつのコンロに水を張った片手鍋を置いた。


「これは味噌汁用な。沸いたら顆粒だし入れて、豆腐入れて、味噌溶いて、ねぎ入れたら完成や」


「じゃあお豆腐とおねぎを切らんとあきませんね」


 包丁とまな板は洗われて水切りかごに置かれている。紗奈が手を伸ばしかけると、岡薗さんが「あ、ええねん」と止める。


「豆腐は小さいスプーンですくって入れんねん。ねぎはな、小口切りになってる冷凍野菜があんねん。そういうのも時短のテクニックやな。30分ぐらいで作らなあかんからな」


 そこで紗奈ははっとして、慌てて壁に掛けてある時計を見る。紗奈がとろくさいせいで、時間をかなり使ってしまったかも知れない。すると時間はもうすぐ12時になろうとしていた。


 紗奈にとってはあっという間の時間だったが、こんなに経ってしまっているだなんて。紗奈は(どうしよう)と慌ててしまった。

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