第8話 お買い物指南

 近鉄阿倍野橋きんてつあべのばし駅の正面に、あべのハルカス近鉄本店の地下2階に直接降りることができるエスカレータがあるので、それを利用する。


 到着すると、賑わいのあるお惣菜売り場が広がった。さっき話に出たウイング館だ。途端に美味しそうな香りに鼻が襲われ、紗奈さなは一気に空腹を感じてしまった。なんという飯テロだろうか。「だらだらになるで」の意味を瞬時に理解する。


 しかし今日の目的はお惣菜では無い。紗奈は「こっちや」と言う岡薗おかぞのさんに付いてすぐ近くの短いエスカレータに乗り、タワー館の地下2階に降りた。


 平日の昼間だと言うのに混雑していて、紗奈は驚く。主婦の方々なのだろうか、皆さんかごを手に所狭しと並べられたお野菜を品定めしている。


 岡薗さんはざっと陳列台を眺め、「お、椎茸が安いな」と呟いた。


「先に肉か魚見に行こうか。天野あまのさん、どっちがええ?」


「あ、お肉がええです」


 つい思ったまま応えてしまって、紗奈はしまったと目をつぶる。昨日が鶏肉だったのだから、今日はお魚の方が良かったのでは無いか。岡薗さんは若いからお肉が好きな可能性が高いが、牧田まきたさんはお魚が好きかも知れない。すると岡薗さんは「そうやんなぁ」と全く気にする風も無く言った。


「俺も牧田さんも魚より肉の方が好きやしな。せやからどうしても肉が多くなるわ」


「あ、そうなんですね」


 紗奈はほっとする。万里子まりこはお肉とお魚バランス良く作ってくれるが、やはりお肉の方が嬉しいと感じてしまう。お魚もさけぶりの切り身なら好きなのだが、あじの干物の様な骨が多い魚は苦手だった。


「魚はどうしてもな、グリルの掃除が面倒やからなぁ。フライパンかオーブンで焼いて、味噌汁をめっちゃ具沢山にする時もあるけどな」


「栄養バランスとか、そういうのんですか?」


「そうそう。そこはやっぱりな。特に牧田さんができるだけちゃんとしたいってな。俺もひとり暮らしで、どうしても朝と晩が適当になってまうから、せめて昼ぐらいはと思って。天野さんはせっかくの実家暮らしやねんから、お母さんの料理とか参考にしたらええと思うわ」


 万里子は朝昼晩と作ってくれる。朝ごはんとお弁当は用意しやすい様にかいくつかの定番があり、休日の昼ごはんはワンプレートが多い。だが晩ごはんは一汁三菜と言うのだろうか、メインのおかずに小鉢がふたつ以上と、汁物を用意してくれる。


 お肉やお魚もだが、たくさんのお野菜やきのこなどが使われているのが分かる。正直お料理ができない紗奈にとってはハードルが高く、今では参考にできそうにも無い。


 つい唸る様な顔になってしまうと、岡薗さんは「まぁ難しく考えんと」とからりと笑った。それで紗奈は少し気が楽になる。


 そうして精肉エリアに到着する。いくつかの精肉店がのきを連ねていた。ガラス張りの陳列棚にずらりと並ぶ、綺麗な色のお肉たち。紗奈はついつい見惚れてしまう。だが岡薗さんの目は違う。


「うん、豚の切り落としがええ感じやな」


 岡薗さんの視線は、こんもりと盛られた豚肉の切り落としに注がれていた。


「天野さん、豚の切り落としを使った煮物か炒め物はどうやろ」


 それを使って、どういうお料理を作ることができるのか紗奈にはぴんと来ない。肉野菜炒めとかか? なので正直にそう言った。


「わはは。じゃ、メニューは俺に任せてもらおうか」


 岡薗さんは笑って、豚肉の切り落としを購入した。


「で、あとは野菜やな。行こか」


 紗奈は岡薗さんに付いて歩く。人の波を縫いながらもゆっくり進んでくれるので、難なく追い付けた。


 岡薗さんはかごを持つ。そしてまずは「安い」と言っていた椎茸をかごに放り込んだ。


「椎茸っちゅうか、きのこはええ出汁だしが出んねん。えーと、他には」


 そうして八百一やおいちを巡りながらしろ菜をかごに入れ、併設されている成城石井せいじょういしいの陳列棚からお揚げと絹ごし豆腐をかごに収めた。


「豆腐は味噌汁の具やな。嫌いなもんとか食べられへんもんとか無いか?」


「大丈夫です。豆腐のお味噌汁大好きです」


「良かった。ほなレジ行って来るから、レジの向こう、詰め替え台のところで待っててな」


「は、はい」


 紗奈はすっかり言われるがままである。レジは八百一と成城石井で共通だ。並んだ岡薗さんと別れ、ぐるりと回りながら台に向かう。


 会計を済ませた岡薗さんは台にかごを置き、エコバッグに手際良く買ったものを詰める。しろ菜は葉を上に立てて、透明のビニール袋に入れた絹ごし豆腐と豚肉の切り落としを底に、椎茸とお揚げを置く。


「基本、葉物野菜は立てて、潰れやすいもんは上にな。ほら、旅行とかの荷造りやったら、軽いもんを下に置いたら軽く仕上がるって言うけど、食材はそんなんしたらあかんくなることもあるから。それと肉とか魚はトレイに入ってたら横にしたらあかんで。ドリップが出てたら漏れるからな。ここでは買う時に陳列棚から袋に入れるから出てへんけど」


「ドリップ……」


 紗奈の中でドリップと言えばコーヒーを思い起こさせる。だがお肉などから出ると言うのだから関係無いのだろう。紗奈が首を傾げると、岡薗さんは丁寧に教えてくれる。


「鮮度が落ちれば落ちるほど、肉とか魚とかから水分が出て来るねん。それをドリップって言うねん」


「じゃあ、それが出てるやつは買わん方がええんですか?」


「とは限らん。ドリップに透明感があったら大丈夫や。そういうんが見切り品になってたりして、その日中に使うんやったら問題あらへん。濁っとったら買わんほうがええかな。食べられへんことは無いけど、臭みが出てたりするから」


 買い物ひとつでも、いろいろ気を付けねばならないことがあるのだな。紗奈は覚えておかねばと懸命に頭の中で反芻はんすうする。


「ほな戻って作ろうか」


「あ、私持ちます」


 何から何まで頼ってしまって、何もしないのはさすがに心苦しい。紗奈が手を伸ばすと、岡薗さんは「いやいや」と言いながら、ひょいとエコバッグを肩に掛けた。


「いくらなんでも女の子に荷物持たせられへんわ。男や女や無い言う世の中やとしても、身体的な力は男の方が強いんやから。役割分担っちゅうやつやな」


 岡薗さんがからっと言ってくれるので、紗奈は素直に「あ、ありがとうございます」と頭を下げた。その分作る時には少しでも足を引っ張らない様に、少しでもお役に立てる様に頑張ろうと心に誓った。

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