上洛伝説の萌芽
私企業は究極的には利益追求集団であるが、だからといって
「儲け第一主義」
などと本音を掲げている企業は少ない。たいていの場合は、営利活動を通じた社会貢献などを、理念や社是として掲げているものだ。
だからといって真に社会貢献を目的として、利益を度外視してでも社会のために働けば、企業はたちどころに倒産してしまうだろう。
ここでは企業理念や社是を
「本音(利益獲得を実質目的とする本質論)と建前(営利企業活動を通じた社会貢献などの理想論)を一致させ、社員の目的意識を任意の方針にコントロールするためのオプション(装置)」
と定義づけておきたい。
戦国大名も現代の営利企業と同じで、
「うちは弱いところをどんどん切り取って領土を拡げてきます」
と利益追求の実質目的を剥き出しにしていたわけではない。企業理念めいたものを掲げていた事例をいくつか挙げることができる。
織田信長が掲げた天下布武は有名だし、上杉謙信が、幕府と鎌倉府の復活を目指したというのもその一つだろう。
これらは信長や謙信の個人的な願望というよりは、家中をまとめ上げるために掲げられた企業理念の側面が強い。
晴信初期の武田家の企業理念を挙げるとすれば
「武田家は社員の利益を最優先に考えます」
といったところか。
もっとも武田家としても、自ら好んでこんな理念を掲げたとは思えない。
当時の武田家は、鎌倉府崩壊のあと、長い乱国状態の末に他の国衆と比較してその地位を相対的に下落させており、求心力の回復は喫緊の課題であった。
そのため、なりふり構わず利益獲得の本質論だけで社員をコントロールしようとした結果、こんなことになってしまったというのが実体だっただろう。
しかし山中の敗戦で躓いた信虎社長は佐久切り取りに汲々とし、唯一の理念だった利益獲得を達成できず、強引にその座から引き摺りおろされてしまったのである(もっとも信虎とてそれでよしとしていたわけではなかったはずだ。後に信玄が掲げることとなる上洛の理念は、はやくも信虎期にその萌芽が見られるのだが、それはまた別の機会に述べることとしたい)。
こんなことでは自己の利益獲得に狂奔する不良社員のやりたい放題になってしまう。
事実、信虎追放の立役者といわれた板垣信方は、本来は総大将しか執り行うことが出来ない首実検を、戦場で執り行ったと伝えられている。
これは見方によっては謀反である(ちなみに板垣信方はこの首実検の隙を突かれ、村上義清に討ち取られている(上田原の戦い)。晴信にとっては絶妙のタイミングで謀反人が戦死した形だ。体よく粛清されたようにしか見えないのだが、これなど飽くまで余談である)。
当然新社長晴信も、不良社員のやりたい放題が理想的な在り方だとは思っていなかった。宿老政治を脱し、側近政治を目指すようになるのである。
板垣信方と甘利虎泰といった二大宿老が一度に戦死した上田原での敗戦も、家中の若返りを後押しした。
さて若社長は、新たに取り立てた若い側近たちに、武田家の利益と人々の利益を一致させるような理念を説いて、彼らを晴信が志向する任意の方針にコントロールしはじめる。
後年、信玄は西上作戦実施にあたり、
「(前略)存命の間に天下を取つて都に旗をたて、仏法、王法、神道、諸侍の作法を定め、
と言ったと伝わる。
おそらくこれが晴信が唱えた企業理念だったのではないか。
ここでは信玄の政権構想が明示されているが、特に目新しい理念とは言えない。
当時は公武一体、祭政一致の復活が望まれていたのであり、これ以外の理念を掲げたとすれば、奇異の目で見られかねなかった。
信玄が唱えた理念は、現代の企業が、利益獲得を究極の目的としながらも、社是としては
「企業活動を通じて社会貢献する」
といった、当たり障りのない建前論を掲げているのと同じなのである。
上洛の理念は、ともすれば利益追求に狂奔しがちだった国衆の力を、武田家のために利用するオプションだった。
では、建前として上洛の理念を掲げていた信玄は、やはり本音ではそのつもりがなかったということになるのだろうか。
そう考えるのはやや早計であろう。
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