第64話 フラグ

 エアリーたちの家で夕食を食べたあと、カメリアの待つ宿に帰って翌日。


 外から流れてくる喧騒で目を覚ました。


 瞼を開けると、太陽の光が窓から差し込んでいるのが見えた。


 もう朝か。


 最近は充実した生活習慣を送っているおかげで、気持ちよく寝れている。


 前世ならもっと睡眠時間は短かっただろうし、スマホやパソコンを触ってどうしても睡眠の質も落ちていた。


 それに比べると、スマホもパソコンもない異世界は実に平和だ。


 たまに退屈に感じることもあるが、冒険者として外に出ればそんな気持ちも晴れる。


「今日はどんな冒険が僕を待ってるかな…………って、そうか。もしかしたらもう第四王女様がこの町に来てるかもしれないんだっけ。暇だけど、外に出るのはなしかな」


 町の外にいるあいだは、恐らく王女様に会わずに済むだろうが、必然的に宿へ帰るために町中を歩かなきゃいけない。


 当然、ここに閉じこもるより遭遇する確率は高くなる。


 やはり自室に籠もるのが一番か……。


「でも特にやることないんだよなぁ……。ゲーム機もネットも異世界にはないし」


 ついさっき睡眠の質が上がって喜んだばかりなのにこれだ。


 前世の記憶を持っているのって地味に辛い。あの娯楽世界で過ごした経験が、文明の劣るこの世界で牙を剥く。


 もう少し寝てから考えようかな……。


 そう思ってベッドに腰かけると、そのタイミングで扉がノックされた。


 ……まさか、王女様じゃないよね?


 頭に残ったギルドマスターの言葉が脳裏に浮かぶ。


 おそるおそる「だれですか?」と返すと、反対側からカメリアの声が聞こえた。


「マーリンさん? もう起きてましたか?」


「カメリア? どうしたの、こんな早朝に」


 知り合いだったことにホッと胸を撫で下ろして扉を開ける。


 ひょっこりと顔を出したカメリアは、部屋の中に入るなり可愛らしい笑みを浮かべた。


「えへへ。ごめんなさい。ちょっとマーリンさんに会いたくなっちゃって。ご迷惑……ですよね」


「そんなわけないだろ? 僕もカメリアに会えて嬉しいよ」


 ほぼ毎日のように顔を会わせているが、それは言わないのができる男だ。そういうムーブをしておこう。


 照れる彼女の頬にキスをして、にこりと笑う。


 みるみる内にカメリアの顔が赤くなった。


「う、うぅっ……! マーリンさんが手馴れてる。嬉しいような、他の人にもこういうことをしてるのかと哀しむべきか……」


「カメリアは、僕が他の子とそういうことしてたら嫌? 嫌だよね、そりゃあ」


「嫌……というか、手が早くてちょっと寂しいです」


「寂しい、だけ?」


「? はい。マーリンさんほどの男性なら、複数の女性と関係を持つのはいたって普通ですし、私もむしろ誇らしいくらいです! まあ、私たちの関係はそこまで親密なものではありませんが……」


 な、なにそれ……。


 一夫多妻が普通なの? この異世界では。


 ナチュラルに彼女に手を出してしまったが、いま初めて衝撃の事実を知った。


 前世なら他の女性と関係を持つ——いわゆる浮気をしようものなら金を請求されるは刺されるわ、非難されるわ殴られるわの嵐だったのに、カメリアの態度を見るかぎり、別に嫉妬のような感情はそこまでない。


 前世と違う文化があれば、前世とは違った価値観がここにはあるのだと認識した。


「いや、その……僕は、カメリアのことが好きだよ? 親密な関係だと思ってる」


「ほ、本当ですか!? う、嬉しい……!」


「だから自分を卑下するようなことは言わないでね? ちゃんと大切にしてるよ。じゃなきゃ部屋の中に入れたりしないし」


「はい! ありがとうございます、マーリンさん! 私もマーリンさんのことが大好きです!」


 朗らかな笑顔でそう言ってくれるカメリア。


 この顔を見るだけで嫌なことはすべて吹き飛びそうだな……。


 そうだ。どうせこの部屋からあまり出られないし、彼女に話し相手にでもなってもらうか。


 理由は伏せつつ、ちょっと外に出られない個人的な理由があると言えば彼女は納得してくれるだろう。


「ありがとうカメリア。ねぇ、カメリアは——」


 言いかけて、途中で声が遮られる。


 またしても部屋の扉が控えめな音でノックされたからだ。


 今日は朝からお客さんが多いな……今度はソフィアたちかな?


 冒険者だから早朝から来ることはよくある。


 扉に近付き、なんの警戒もなくドアノブを捻った。




 この時の僕は忘れていたんだ。ギルドマスターの話を。


 ガチャリ。


 扉が開く。反対側の廊下に立っていたのは、僕みたいにローブとフードを被った……恐らく女性。


 内側からさらりとわずかに銀色の髪が見えた。


 ドクン、と心臓が高鳴る。


 僕の動揺に気付くはずもない目の前の女性は、こちらを見るなり紫色の瞳をめいっぱい見開いて言った。




「ああ……! 情報どおり、ここに神がいました!!」


 と、両手を合わせて。

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