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友人にヘキ強強枕草子と言われたヤツ【自己検閲済】

か弱さとは、美しさである。古来より人間は、弱きものに愛を注いできた。「可愛らしい」とは、「愛す可きもの」である。亦、古語として、「うつくし」は「可愛らしい」であった。更には、ヒトは、赤ん坊のような、丸く、目がくりくりと大きく、不安定──赤子の場合、歩行など──なものに庇護欲を覚えるものである。つまり、か弱さとは美しさであり、愛すべきものである。それがしも例に漏れず、弱きものに愛らしさを感じるのであった。殊に、精神の弱く、生すら不安定であるものほど、この貧弱な心臓を昂らせ、動悸させるものもないと感じている。


以下、全て例の話である。


此処に上背があり、細身で、筋肉は無駄なく骨身を包み、周囲に人が絶えることがない男が在るとする。冬には友人に、筋肉による体温から、カイロとしてじゃれつかれているような、そんな人間である。実際筋肉は飾りではなく、腕っぷしが強く、身を守る術を知っているような男であった。夜には男の腕を買って、家まで送ってくれと云う女もいた。夜道は怖いから、と云う女を、男は弱っちいな、可哀想だな、とか思っていた。自分なら不審者が来ても対処できるし、何なら警察に突き出して、そのうち感謝状なんか貰えるんじゃなかろうかとすら思っていた。

男には、少し、お調子者と呼ばれるきらいがあった。

男は大学までを、二駅分、電車に揺られていた。講義が始まる前に学食にでも行こうかなんて考えていた。中年と思しき男が、彼の後ろに張り付いていた。周りは満員か、鮨詰めといわないまでも、それなりに人がいた。だから、おかしいとは思っていなかった。チョット、なまぬるい息が首筋にかかって、気色悪い男がいるものだなと感じていた。体温の伝わる手が、布越しに臀を撫でた。この距離なら当たっても仕方なかろうなと思っていた。まさか、男が男を触りはしないだろうと思っていた。二度目、手が触れた。位置を調整しているような動きであった。此処でやっと、アレ、おかしいぞと思ったのである。三度目、手が臀を丸く撫でた。そして股の間にぬるりと侵入してきた。背筋が粟立った。

背後でぬるい息に喜色を滲ませている男は「性的な目的をもって」この俺に触れているのだと、漸く彼は理解したのであった。まさかと、信じ難かった。男である自分がと否定したい思いであった。彼の正確な心情は、「常人よりたくましい体躯をした己が、弱々しい女のように、男に消費される立場になり得たこと」が、叫び出したいほど腹立たしいことであった。衆目があろうと大声を出しそうになって、喉から掠れた声しか出なかったとき、普段弱っちくて、小さくて、男に守られなきゃ生きづらそうだと漠然と感じていた女どもと同列の存在になってしまったようで、悔しくて、悔しくて、体が震えた。恐怖からではないと信じたかった。

目の前が滲んできたとき、在り来りな表現ではあるが、天の声が如く、アナウンスが車内に響いた。呆然として、遠くでなっているんぢゃないかと云うほど小さく聞こえるそれにハッとして、車両を飛び出した。降りるとき、改札へ向かうとき、改札を出るとき、後ろを確認せねば気が気でなかった。西口へ向かうまでに込み上げてくるものを感じて、縺れる足で男性用トイレへ向かったが、またあんな気色悪い男が居るのかもしれないとすら思って、多目的トイレに滑り込んだ。密室ではあるが閉塞感はないほど広い空間に安堵して、すぐに胃液を便器にぶちまけた。朝食さえ食っておけば、まだ出るものもあろうにと思って、出もしない何かを吐き出し続けた。よろめきながら立ち上がって、まだジーンズ越しに触れる手がある気がして、心持ち強く臀ポケットを叩いた。何度も何度も叩いて、叩いて、感覚がなくなって漸く満足出来た。疲れきって、なんだか全身が怠くて、この空間を出て俺はやっていけるんだろうかと思って、一人は嫌だと唐突に感じ始めた。女に連絡をした。夜道が怖いから送ってくれと宣う女とおんなじであることが悔しくて、悲しくて、眦を水滴が伝い、それすら嫌だと思って痛いくらいの強さで拭った。


この後、この男は飯も満足に食えず、外にも怯えて別人のようになって、下に見ていた女に寄り添って貰わねば生きていけなくなったとすれば、それはとても素晴らしいと思う。弱っている男ほど寄り添い甲斐が有る存在もなく、自分の傍でしか飯を食えないとは、何てトキメキを感じることなのだろう。食事は命を握る手綱であり、それを自分が握っていると思うと、えも言われぬ感情を覚える。

一人の人間を下に見て自分が上位に立っていると錯覚しているような人間が落ちぶれて自己に失望し、呆然としたときの美しさといったら、他に類を見ないだろう。


例えば此処に、大店を切り盛りしている男が在るとする。美しい顔をもって生まれ、女に困ったことがなく、商いは繁盛し、金もあった。まさに軌道にのった人生であった。男は見合いに引き出される有象無象に興味はなく、嫁や家庭に縛られる窮屈な人生など厭だと云っては、遊郭に通っていた。そこでは決して太夫以下とは遊ばずに、浮気者と云われようが見目のよい女を見繕っては夜を更かしていた。遊び女と話はしなかった。顔合わせをしては、こんなにツンケン気取った女も、結局は売女なのかと勝手に落胆した心地で店を出るのであった。そんな男が出会って初めて胸をトキめかせた女がいた。まだ振袖だが、初々しい様子が実に良くて、オヤマァ可愛らしいなと思ったのであった。まだケバケバしくないのがとても良かった。男はその振袖に会うために、その姉女郎を呼びつけた。いつか必ずこの振袖の水揚げをしてやろうと勝手に思って、通い詰めた。

さて、男は総じて馬鹿な生き物なので──言葉を選んで言うのならば、古来より狩りを主だってしてきたもので、一つの物事に猪突猛進になれども、複数を狙い撃つことは出来ない生き物である。今まで女に入れこまず程々に遊び、亦商いも程々にきちんとしてきた男が、振袖に夢中になってからのことなど、わざわざ記す必要もあるまい。

念の為に記述しておくと、姉女郎に会うために店の金を持ち出していた男は、振袖の水揚げ頃にはとうに金もなくなり、周囲からも遊び女に溺れている姿を覚えられておるので、人も寄り付かなくなり、とうとう孤独となるのであった。


この男は結局水揚げも商売敵の爺にとられ、残るのは大量の借財と、孤独になったことによる静けさだけであった。人の生き方を見下す男が、見下していた女に入れ込んで破滅していく様は、見ていて清々しいものである。いつの時代も懲悪が人気であるのも納得である。


次である。


此処にひとりの女がいる。町内で評判の、淑やかな娘で、町で一番大きな家に嫁いだが、驕らず、腐らず、他の町民にも平等に接する優しい娘であった。若く美しく嫋やかで、他家に羨ましがられるほどの器量よしであった。対して亭主はと云えば、亭主関白と云う文字が人の形を取ったような男であった。町内で一番の器量よしを手中におさめたことで驕り昂り、他人を見下しては嘲り笑い、優しさなど欠片もないおとこであった。男は散歩をすることを好んだ。女を、妻を三歩後ろに侍らせて町を練り歩き、然も道中ご覧と言いたげで、他者の蔑む視線を羨望の眼差しだと思い込んでは下衆な笑みを浮かべた。更に悪いことには、男は妻はこうあるべきという理想を、女に押し付けていたことがあった。例えばこの散歩中の出来事で云えば、妻は三歩後ろを歩くべきという言葉をそのまま覚えていて、それを妻に押し付けているのであった。三歩は三歩、二歩でも四歩でも男は怒りを吐き散らし、女を拳の裏で張り倒したのであった。

女はこれをただ石のように耐えている──わけもなく、張り倒されて俯いて、肩から垂れた黒髪に、野犬のように獰猛な光を隠しているのであった。


か弱きものは美しいが、強きものも亦美しい。日本国は████になることはあれど、████にはならず、かといって████████████████。しかし、時代遅れはまさにそうであるが、██████████は、それはそれで美しい。家を守る女は強くたくましく美しい。己の境遇を理不尽とし、いつか█の立ち位置に取って代わってやろうと牙を隠す姿が美しい。そして、████████████████████も、████████████████。


この世は美しいもので溢れていて、世界を創りたもうた神も実に満足していることだろう。

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