第31話 有栖川記念病院

 有栖川記念病院の産婦人科がある五階へ向かう。

 萩原の一件があり、来訪を見送っていた森谷と三國であったが満を持して聞き込みに参上したのだ。闇バイトの被害者になった可能性のある女性が通っているであろう場所。個人情報にきびしい昨今、どこまで情報を引き出せるかは疑問だが──。

 科医、松方友義まつかたともよし

 丸眼鏡をかけた小太りの中年男だが、産婦人科界隈ならびに多くの患者から信頼されているという。警察が来たと聞くなりあからさまに迷惑そうな顔をしたが、忙しい合間をぬって聴取時間を設けてくれた。

 患者のなかにレイプ被害を受けた人間はいるか──というのが、直球の質問である。が、いきなりぶっ込むにはあまりに刺激が強すぎる。

 すみません、と森谷が頭を下げてから、さっそく本題に入った。

「ここひと月のあいだで、変わったようすの患者さんはいらっしゃいますか。怪我をなされたとか、元気がないとか」

「患者のことを聞かれてもねえ。個人情報ですから──それに、妊娠中の方はみなさん情緒不安定になりがち。いちいち元気かなんて気にしてられないですよ。おなかの赤ちゃんに影響があるほどの異変があれば注視しますが、そうでもなきゃあ」

「ではその、影響があるほどの異変を抱えられた方は?」

「さあね。そんなこと急に聞かれたってパッとは出てこないです。だいたい、その事件とうちとなにか関係があるんですか。あんまり警察の方に出入りされると、うちが怪しまれているみたいで気分わるいんですけどねえ」

 すべてにおいて攻撃的な男だ。

 森谷も三國も、こういう対応は慣れている。とはいえ気分がわるいものはわるい。三國はずいと前に出て懐から二枚の紙を取り出した。一人目と三人目の被害者である藤井と萩原の写真である。

「このふたりの顔はご存じですか」

「いや──知りません。あ、いやニュースで見たかな。でも直接は知りません。産婦人科ですよ。男の人なんてそうそう接点もないです」

「ですよねェ。じゃあこの子」

 と、今度は携帯画像を突き出した。こちらは、二人目の被害者である宮内少年の画像である。父親の会社で開催されたレクリエーションで微笑みながら肉を焼く少年の画が写っている。先日宮内家で聞き込みを行なった際、あの場にいた松下からもらった画像だった。

 産婦人科医はろくに見もせず馬鹿にしたような表情を浮かべたが、すぐに写真を注視した。

「この子──ハヤトくん?」

「ご存じで?」

「あ、いや。こっちもニュースで、知って。よくはそんなに」

「なんでもええです。教えてください」

「まあ、その──」

 と、松方は少々ことばを濁してから、ほかにだれもいない部屋をぎょろりと見渡す。そのまま太い首をのったり伸ばしてこちらに顔を近づけると、囁き混じりにつぶやいた。

「とある患者さんがね、携帯で撮った写真をこちらに見せてきてこう言ったんです。『こんな子になってほしいんだ』って。まあ、どんな子が産まれても愛してあげてくださいなんつって流したんですけどね。その人、検診のたびにその『ハヤトくん』の写真を見せてくるもんで。──」

「その患者さんというのは?」

「いや、だからそれは個人情報が」

「松方先生」

 森谷の声が尖った。

「この子、殺されたんですよ」

「────」

「将来有望で、みなから愛されてた。走ることがだいすきやったのに殺害後その脚を切断されてもうた。しかもまだ部位は見つかってへん。ひとつでも多くの手がかりが必要なんですよ。このまま、犯人を逃がすわけにゃいかんのです」

「────ぼ、」

 松方は額ににじむ脂汗をハンカチでぬぐい、つぶやいた。

「僕から聞いたって言わんでくださいよ?」

「当然。守秘義務がありますから」

「ええっとたしか、ああそうだ山下」


 ──山下朋子さん、つったっけ。


 森谷と三國は顔を見合せて固まった。

 山下朋子。

 脳裏によぎるは、左目の泣きボクロ。

「そ、の山下さんというのは──ご妊娠されていた?」

「はあ。不妊治療からの高齢妊娠だもんで、定期健診もこまめにやっていて」

「いまも、ですか? 最後に検診へ来たのはいつです」

「は? えっと、先日の定期検診は体調不良だって言って休んだんで、最後は──ひと月前くらいじゃないか」

「ちょうど闇バイトの辺りですぜ森谷さん」

「ああ。その、妊娠何か月とかは覚えてはります?」

「いやそれはプライバシーが──ああ、いや。まだおなかは目立たない程度です、とだけ」

「──なるほど」

 森谷は険しい顔をして頭を下げた。

 連続バラバラ殺人事件──闇バイト──有栖川病院──そして、ふたたびバラバラ殺人事件。つながった。三國は手早く荷物をまとめて立ち上がる。

「ほかにも気になることがあればこちらまで」

 と、メモ帳の切れ端に警視庁刑事課の番号もつけ添えて。

 松方は安堵と好奇心の入り混じった顔で、森谷と三國が退室する背を見送った。


 病院から出た瞬間、三國の携帯が鳴った。

 着信相手は三橋である。

「三國です」

『お疲れ。三橋ですけど──いまどこ?』

「有栖川記念病院から出たとこです。先日話した闇バイトの件、聞き込みで」

『どうだった』

「とんでもねえ話が聞けましたよ。いまからその裏付けを聞きに行こうとしてるとこでさァ」

『どこに?』

「どこって、──森谷さん」

 と、三國が耳から携帯を外した。

 となりで漏れ聞こえる声を聞いていた森谷は、ふうむと顎に手を当てる。

「直接山下家に当たるんもありやけど、一度外野に聞いた方がええかもしらんな。松下さんとかケリーさんとか。宮内父の会社なら松下さんも山下さんの旦那もいてるやろうし、そっち当たるか」

「了解。だ、そうでさァ」

『その会社ってどこです?』

 電話口の三橋は、ひたすらに場所を問うてきた。

 いつもとすこし様子がちがう、と思いつつ三國はメモ帳をめくりながら素直に答える。

「ええっと──宮内の旦那さんは、あーSK商事。大手の」

『SK商事? SK商事って』

「そういやSKって有栖川グループ傘下やな。手広いわァ」

 感心する森谷。

 瞬間、三橋は『また有栖川!』と怒鳴った。

 突然の怒声に三國は取り落としかけた携帯を両手で抑える。その怒声は森谷にも聞こえていたようで、目を丸くして三國と携帯を見比べていた。

「な、なんすか」

『三國、あんたまほろばの経営母体は知ってる?』

「は。そりゃ──そういやあの法人も有栖川財団の支援でしたっけ」

『そう。それとこっちの事件、被害者の小宮山夫妻も有栖川傘下の会社に勤めてたのよ。SK商事じゃないけど。そのつながりで灯里ちゃんがまほろばに引き取られたって流れ』

「────」

『ただでさえR.I.Pとプロの犯行って共通点が見えていた事件同士に、さらなる共通点が出てきたのって、どう思うか聞きたくて。そりゃ母体がでかいから必然的に可能性はあがるけど──』

「ええ視点やな」

 と。

 なぜか森谷が食い気味で会話に入って来た。

「それ龍クンに言うたか?」

『いえ。いま出先だったんで、戻ったら言おうかと』

「龍クンがなんていうか気になるわ。とりあえず──こっちの聞き込みが終わったらまた連絡するから、そん時教えてくれ」

『わかりました』

 森谷はさっさと助手席のドアを開けて乗り込んだ。

 途中から置いてけぼりを食らった三國は、いま一度三橋へ挨拶をしたのち電話を切って運転席に乗る。

「なんか、おもった以上にでけえヤマになりそうな気がしてきたんですが」

「オレははなっから覚悟しよったで。とにかくSK商事に行くぞ。話はそれからや」

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