第28話 大講堂にて

 親が消えたの、と。

 白泉大学正門前で出くわした一花は、開口一番嬉々としてそう言った。

「きのう車に乗ってどっか行ったきり帰ってこなくって。荷物もないから、おばあちゃんに帰ったのか聞いたらそのあとずっと泣いて謝られたわ。なんだったんだろう?」

「おまえ、そこ有耶無耶にして来たのか」

「だって泣いてばっかりで教えてくれないんだもん。おばあちゃんがそんなに悲しいなら、もういいかなって。────」

 というと、一花はまじまじと恭太郎と将臣を見比べた。

 めずらしく肩を並べて登校してきたふたりを妙だとおもったらしい。

 あれから帰るのが面倒くさくなった恭太郎は、宝泉寺に行ってそのまま泊まったわけだが、たしかに単体で泊まるのは滅多にないことではある。一花の表情がみるみる不機嫌に変わる。

「さては恭ちゃん、宝泉寺泊まったな?」

「泊まったけど?」

「ずるウい。なんであたしのことも誘ってくれなかったの!」

「おまえがきのう『今日は家に帰る』って言ったんじゃないか。気を利かせて誘わないでやったんだありがたくおもえ。それより今日は講義が終わったらまほろばだからな、忘れるなよ」

「あー話そらしたア」

「行くぞ将臣」

「あー無視したア!」

「うるさいっ」

 肩を怒らせる恭太郎とじゃれつく一花。

 ふたりを背後から見守りつつ、将臣は幼き頃の記憶をたぐる。正直“いっかちゃん”と話した記憶はほとんどない。彼女は早生まれということもあってか九月生まれの将臣よりも成長が遅く、いつまでも母親──たまに景一──にべったりと張り付いて離れなかった。

 おまけによく寝る子だった。ゆえに、目を見合わせて会話すること自体がそうそうなかったのだろう。あまり記憶にないのはそのせいだ。あらためて一花の背を見つめて(大きくなったなあ)と自分を棚に上げて、おもう。

 霧崎夫妻の消息。一花に起きた空白の四年。古賀家の歪な愛情。

 そして霧崎一家をさがしに国外へ出たのち、一花と引き換えに消息を絶っていた、黒須景一。彼は十五年の時を経てふたたびここへもどってきた──。

 もしかすると、一花を取り巻く一連の事件は、こちらがおもうよりもずっと複雑な構造をしているのかもしれない。将臣は知らず知らずのうちに立ち止まり、ムッとくちびるを噛みしめていた。

 ふと気が付くと、恭太郎と一花がいない。

 考えに耽るあまりはぐれたらしい。とはいえ、講義室がどこかは分かっているため、特段焦ることもない。唯一まずったなあとおもうのは、肝心の該当講義室がどこにあるかが分かっていながらたどり着けないという、自身の特技くらいだろうか。

 まあいい。出席予定の二限講義までにはすこし時間がある。ゆっくり探そう。

 たしかこの棟だったはず、と将臣がふらりと一号館に足を踏み入れようとしたとき、ポンと肩に手が乗った。振り返る。そこには爽やかな笑みを浮かべた三橋綾乃が立っていた。

「三橋さん」

「おはよう。元気?」

「ぼちぼちですが、どうしてここに」

「恭太郎くんに助力してもらった事件が、一応の終息を迎えたんでお礼を言おうとおもって。ちょっと覗きに来たのよ。ホラ、ここわたしの母校でもあるし」

「ああなるほど。ただこれから授業があるんですが」

「あっ、そうよね。この時間なら二限か。なんの授業?」

「宗教学」

「ラッキー。大講堂での授業じゃん、一番うしろ忍び込んで聞いちゃお」

 と、上機嫌にわらう三橋のブラウスの袖をつかみ、今度は将臣がにっこりわらう。

「卒業生の三橋先輩に質問です。大講堂の場所はどこでしょう?」

「やだあ。なめんじゃないわよ、四号館のとこでしょ!」

 というや、三橋は長い脚を方向転換させて、一号館の横からさらに奥へとつづく階段を颯爽とのぼりはじめた。

(四号館だったか)

 将臣は、いままさに入ろうとしていた一号館を見上げて、徒労を回避したことに安堵の笑みを浮かべた。


「またおまえはァ」

 恭太郎の怒号がとぶ。

 宗教学がおこなわれる大講堂うしろでふんぞり返り、三人分の席を確保する恭太郎が、将臣を見るなり発した。

「はぐれるなと言っとるだろーがッ。危うくあのおぞましいアプリを使うところだったッ」

「気色わるいからさっさとそいつをアンインストールしてくれ。だいたい、ちゃんと来られたんだからいいだろう──」

「あれエなんでっ。綾さんだア!」

 となりでは一花が三橋に気が付いてキャッと声をあげる。

「おはようイッカちゃん。元気そうね」

「エ? なんで綾さんがここに? まあなんでもいいか。それより将臣、たしかにおまえよくここまでたどり着いたな」

「おれだって講堂の場所くらいもう覚えた」

「────」

 三橋はにこにこ笑ったまましゃべらない。

 将臣が方向音痴であること、ついさっき一号館に入ろうとしていたことなどをおもい出しつつも、将臣の名誉のためか黙っているつもりらしい。しかし、彼の耳に沈黙は意味がない。

 恭太郎はハアと悲観的な顔で天井を見上げた。

「そうか。綾さんはここの卒業生だった。命拾いしたなこの永遠の迷い子め」

「やあねえ、恭太郎くんったらそうそうレディの声を聞くもんじゃなくてよ。それよりそのアプリってなんなの?」

「迷子の仔猫ちゃんがどこにいるか分かる優れもの」

「カップルアプリ。将臣がどこにいるか分かんなくなっちゃったら困るでしょオ、だからGPS仕込んでんのョ」

「へえ──」

「それより、どうして綾さんがここに。──ああ、そう。犯人死んだの」

 ぼそりとつぶやいた恭太郎のことばに、三橋の顔がわずかに曇る。

 もはや心の声を聞かれることには抵抗もない。

「まったく胸糞悪いったら。トカゲの尻尾切りですって、人の命なんだとおもってんのよって、ね」

「ふうん。『六曜会』──ねえ」

「ロクヨーカイって?」

 ふと、一花がめずらしく口を挟んできた。

 それに答えたのは三橋ではなく、すでに三橋の声を聞きとった恭太郎だった。

「なんだか物騒な組織らしいぜ。銃も刺殺も毒殺も、なんでも手慣れたころしのプロ集団」

「フーン……」

 というなり一花はちいさな口をへの字に曲げた。

 聞いたことがあるのかと確認すると、彼女は「いや?」と首をかしげる。

「あるような、ないような──アッハ、あるわけないか。そんなころしのプロの名前なんてサ」

「知らなくって当然よ。警察の専門部署だって聞いたことがなかったんだから」

 三橋は講堂の椅子に深く腰かけ、疲労の残る目元を指で揉みながら、ちいさく微笑んだ。

「でもまあ、とりあえず。恭太郎くんのおかげであの男も沈黙を破って、事件に進展が生まれたのは事実だから。それについてお礼が言いたかったの。ありがとうね」

 ふたりも、と三橋が将臣と一花へ交互に笑みを向けるかたわら、恭太郎は向けられた謝辞などそっちのけに首を左へかしげた。彼が、意図して人心の音や声を聞きたいときにとるポーズである。

「じゃあ、そっちの事件は?」

「え?」

 三橋の肩が揺れる。

 恭太郎は首をもどして、彼女に詰め寄った。

「両腕。両脚──毒殺されて、とられた。そっちもプロの仕業なんだな」

「────恭太郎くん、その件はまだ」

「あかりの両親は、どうしてころされたんだろう?」

「え?」

「やっぱりおかしい。──景さん、まだなにか隠してるよ」

「け、景さんって」

 と、三橋が言いかけたとき、講堂に宗教学を担当する准教授が入って来た。一気に静まり返った講堂内の空気をうけて口をつぐむ彼女に、恭太郎は顔を寄せ、ささやいた。


「すべての講義が終わったらまほろばに行く。綾さん、足になって?」


 天使のような微笑みだった。

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