第15話 本家

 翌日のこと……。


 真惟は、加茂の本家を訪ねることにした。火事の後、父親と自分がそこに住んでいたような気がするのだ。もちろん、当時乳吞児だった真惟に記憶があるわけではない。焼け出されたら、一番身近な家に逃げ込むのが普通だろう。


 住んでいないまでも、その家の住人ならば、火事の真相を知っているはずだ。


 車1台がやっと通れる程度の道が小川に沿って伸びていた。その先に本家があるはずだ。


 昨日、買い物に行くときに見た本家は、そう遠くはないと感じたが、歩いてみると距離があった。都会のように建物がないので目測を誤ったようだ。小川沿いの道をひたすら進むと、大きな柿の木のある本家にたどり着いた。


 敷地内には大きなトタンぶきの母屋と、それより大きな倉庫、古い白壁造りの蔵があった。蔵の高い場所には梅の花のような家紋が描かれている。


「ごめんください」


 母屋の玄関を入って広い土間に立つと、空気の冷たさで背筋が震えた。室内を見回すと、高い天井や太い柱と梁は公共施設で保存されている古民家と同じだった。外から見た屋根はトタン葺だったが、中から見上げると、それは茅葺かやぶきだった。茅葺屋根の上にトタンを被せたようだ。


「こんにちはー!」


 大きな声を上げて人を呼んだ。


「どなた?」


 奥から声がして日に焼けた高齢の女性が顔を出した。当主の加茂洋介ようすけの妻の登紀子ときこだ。


「蓮見真惟といいます。加茂幸造の孫です」


「あら、まぁ……」登紀子が両手を広げ、顔をほころばせた。「……そうしたら、幸夫さんの娘さんだね。上がって、こっちへ」


 登紀子は、茶の間の上座に真惟を座らせた。


「ちょっと待っていてね」


 彼女は外へ駆けていく。誰かを呼びに行ったのだろう。


 古民家風の家も、茶の間は改装されていて壁や天井には時代遅れの化粧合板けしょうごうはんが張られ、大きな液晶テレビは、およそ歴史を感じさせないものだった。真惟の記憶を刺激するものはなにもなかった。


 しばらくすると、登紀子に連れられて洋介がやってきた。


 彼は簡単な挨拶を済ますと、真惟の顔をじろじろ見ながら「あまり似てないな」と、微妙に失礼なことを言った。


 茶を運んできた妻の登紀子が「そんなことないですよ」と笑う。


「柴乃さんは、美人だったがなぁ……」


 洋介は、失礼なことをはっきりと大きな声で言った。


 その声に、真惟は打ちのめされる。


「幸夫さんに似たんでしょう」


 登紀子もまた、失礼なことを言った。


「何年ぶりかな……」


 洋介が懐かしそうに目を細める。


「すみません。私は、全然記憶にないんです」


「それはそうだ。産まれたばかりの赤ん坊だったからなぁ」


「突然なんですが、私たちの家族は、どこに住んでいたのでしょうか?」


 尋ねると、老夫婦の顔が少し強張った。


「それは……」


「何も知らないの?」


 二人は話したがらなかった。


「女郎寺の途中にある焼け跡で母が亡くなったことは聞いています。私もあそこに住んでいたのですか?」


「なんだ。知っていたのか……」


 洋介の顔から緊張が消えた。


「真惟さんが生まれた日だよ。あそこが焼けたのは。もう、忘れられないわ……」


 登紀子がヤダヤダと言って首を振った。


「二人、焼け死んだのですよね。それは……」


「ああ……」


 洋介が言いかけて口を結んだ。


「教えてください。母のことを知りたいのです」


「ム……」彼の喉が声にならない音を発し、それから口を開いた。


「……柴乃さんと、玄武げんぶだ」


「ゲンブ?」


「あんた。そんなこと……」


 登紀子が夫を非難する唇を結んだ。もう手遅れだった。


「私も子供ではありません。本当のところを教えてください」


 洋介が降参したような面持ちで口を開く。


「俺たちも詳しいことは知らんのよ。幸造も幸夫も、なにも話さなかったからな。まぁ、玄武というのは、柴乃さんの叔父だ。役者のような二枚目のいい男だったが、片腕でなぁ。なんで二人が一緒に焼け死んだのか、知っているやつはおらんだろう」


「片腕ですか……」


 脳裏を夢で見た大善が過った。


「家が焼けた後、父と私はどこに住んだのでしょう?」


「それは幸造さんの家だ。幸夫は、すぐに若い女と再婚したが、それがどうも幸造には気に入らなかったようだ。……まさか、そのために幸夫が死んだわけでもないだろうが……」


「あんた……」


 登紀子が話をさえぎり、洋介はシマッタとてもいうように顔をひきつらせた。白々しくそっぽを向くと、茶をすする。


「お父さんは、病気で死んだのではないのですか?」


「そんなことは、あんたの母親かフユにでも聞いてくれ」


 それから洋介と登紀子が家族の話をしなくなったので、真惟は礼を言って加茂の本家を辞した。


 女郎寺へ戻る道を歩きながら、実の父親の死のことを考え続けていた。


 志穂には、実の父親は突然死だと教えられていた。そういう言葉があると知っていたので受け入れていたが、洋介の話では違っているようだ。


 病気でなければ、事故か自殺か事件だが、事故ならば隠す理由にはなりにくい。


「自殺か、殺されたのか……」


 口にすると怖くなった。その不安から逃げるつもりはなかった。


 スマホを手にして志穂に電話を掛ける。


「ママ、加茂のお父さんは、何故死んだの。自殺? それとも殺されたの?」


 たたみ掛けるように訊いた。


 電話の向こうは無音だった。


「教えて。でないと、おばあさんに訊くことになる」


 脅かすように催促すると、志穂はあきらめたようだった。


『自殺したんよ。あなたが1歳の時やった。理由は分からんの。遺書はなかったからなぁ』


「どこで死んだの?」


『焼け跡や。女郎寺の……』


「上り坂の右側ね」


『分かるん?』


「焼け跡は、そのままだったから。ママは、玄武というお母さんの叔父さんを知っている?」


『ゲンブ?』


「片腕の人だって」


『さぁー。聞いたことないなぁ。それが何か、あの人の自殺と関係あるん? それとも龍斗のほう?』


「知らないのならいい。私も調べている最中だから」


『そう、……大丈夫?』


 声だけで、志穂の案じる様子が手に取るようにわかった。それに比べたら、実の両親のことはさっぱり分からない。


「うん、私は大丈夫。リュウニイの具合はどう?」


『まだ寝てる』


「そう、……じゃあね」


 電話を切り、歩き始める。


 まずかったかな?……母の声から徐々に元気がなくなったことが気がかりだった。


 お父さんの自殺のことを話してしまったことを後悔したのだろうか?


 女郎寺に続く南側の坂を上り始めていた。足を止め、東の方に目を向ける。遠くからでも3本の大きな欅の木が見えた。


「アッ……」真惟は違うことに気付いた。


 本家の洋介が話していた。柴乃はとても美しい女性で、志穂は普通のレベルだ。ママはお父さんがお母さんを追うように自殺したことが辛いのだろう。それを私が思い出させてしまったんだ……。


 その時、頭に浮かんだのは、清楚で美しい友世と自分の比較だった。どうして自分はお母さん柴乃に似なかったのだろう。……とても残念だった。


「ママ、元気を出して。私なら大丈夫だから」


 真惟は灰色の空に向かって言った。


 ――プップ――


 クラクションの音がする。道が狭いので路肩ギリギリまで寄った。


 農協の名前の入った軽自動車が目の前を通り過ぎていく。運転していたのは知的な青年だった。


 昨日、友世と奈美世が話していたのを思い出した。ただの農協職員、……それが友世の好きな桂という青年だろう。二人が結ばれるといいなぁ。素直に願った。

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