第732話 『吉原県吉原湊』
天正十六年一月十八日(1587/2/25)
地震発生から1年と2か月が経ったが、純正は地震が発生してすぐに決定をした。
向こう10年間を復旧期間とし、全域の復旧ならびに新規の高層建築の建造を禁止したのだ。もちろん、計画していた大阪城も例外ではない。
純正自身の発案だとはいえ、以前は議会で可決されたものを中止にするわけにはいかなかったのだ。
しかし、一昨年の天正十四年十一月に、歴史通りに天正地震が起きた。幸いにして工期が遅れており、大阪の城郭都市整備のみ完了して、城自体の建設に入っていなかった事も幸いした。
純正自身が父親に提案しておいて、はしごを降ろすようなものだが、地震の兼ね合いもあり、政種は快く了承したのだ。この地震の経験と、起こるであろう慶長伏見地震の経験から、より強固な大阪城を建築してもらう事となった。
それまでは研究である。
現在のように耐震設計の研究設備があるわけではない。しかし石工や大工と相談しながら、できるだけの事はやってほしい。
■吉原湊
吉原湊は武田勝頼から租借、そして割譲させてから随分とたつが、やはり東海において一番の
富士川や潤井川をはじめとする大小河川が流れ、東海道と並行する街道と富士大宮を経由して
重要な渡し場として交通の要地を占めるとともに、商品流通の重要な拠点でもあった湊であるが、小佐々の資本と技術が投下されることで、さらに発展した形である。
海上交通と陸上交通、そして河川を利用した交通の三つが合わさっているのである。この吉原湊が栄えているということは、川の上流にある武田領も栄えているという事になる。
「ようこそおいで下さいました」
港で出迎えてくれたのは、鎮守府司令長官の五島孫次郎中将である。
純正は就役したばかりの汽帆船に搭乗して視察を行っている。視察といっても長期間家を空けるので、家族も一緒の長期旅行の様相である。
もちろん公務はしっかりとこなし、宿舎に家族がいるだけだ。
「長官、海軍の事はおいおい聞くとして、湊としてはこの吉原湊はどうだ?」
「は。吉原湊は、まさに東海道の要衝として大いに賑わっております。陸と海の交通が交わる湊として、その値は日に日に高まっていると言えましょう」
純正はうなずきながら港の活気ある様子を見渡した。
船の出入りが頻繁で、荷物を運ぶ人々の往来も絶えない。目の前には整然とした埠頭と、賑わいを見せる市場が広がっていた。岸壁には多くの商船が停泊し、船員たちが忙しそうに荷物を積み下ろしている。
純正はその光景を眺めながら、吉原湊が小佐々にとって東海地方の東西の起点という重要な役割を果たしていることを改めて実感した。
「ただ、問題がないとは言えませぬ」
「なに? 問題とはなんじゃ?」
五島孫次郎中将は少し言葉を選びながら続けた。
「湊が栄えるにつれて働き口を求める者は無論の事、定住する者もこの十五年で二倍三倍、それ以上となりました。人口が増えれば増えたで問題が出てきたのでございます。武田領よりも良い賃金の仕事に惹かれて、多くの者が定住を希望するようになったのですが、住まいは足りず、悪しき様となっておるのです」
流入人口の増加は経済の成長を意味するが、同時に多くの問題も引き起こすことは容易に想像できた。
「つぶさには、
「まず、住居が密に集まる事で、
「何? 糞尿の処理については下水を整え、飲み水とは混じらぬよう工事が行われたのではないのか? それに、昨日今日始まったものではあるまい?
孫次郎は、重々しい口調で答える。
「確かに、然様に処されております。然れど急なる栄えは我らのあらまし事(予想)を遥かに超え、その設けはすでに限りに達しております。人口の増加により、下水路はあふれかえり、一部の地では悪臭が漂い始めております」
純正は目を細めながら考え込んだ。過去に施した対策が、今や十分ではなくなっていることを理解した。
「ではなぜすぐに陳情をしなかったのだ? いや、すまぬ。海軍のお主は鎮守府の長官であり、行政の長は朝倉殿であったな。……して、朝倉殿はいかがした? 何故おらぬのだ?」
純正はすべてにおいて問題が大きくならぬよう、そうなる前に陳情をさせ、解決できるようにしてきたつもりであった。
しかし、どうしても純正に心配をかけたくないとの思いから、自らの処理能力を超えて問題が表面化するまでそのまま、という事も起きていたのだ。
「それが、朝倉殿は病に伏せっており、御屋形様がお越しになることも知らせてはいたのですが、起き上がれず……」
孫次郎は、一瞬口をつぐんでから静かに続けた。
「朝倉殿はこの湊の栄えを誰よりも喜んでおられましたが、その分責に感じる事も強く、無理を重ねられていたようです。昨年の秋頃からお体の具合がよろしくなく、冬に入る頃には病床から起き上がれぬほどに。湊の現状を憂いておられました」
「然様か……ではすぐに見舞いに参るとしよう。下水の問題はすぐに処し工事を計らう。いま一つ、食料の問題もあると言っておったな?」
純正は病床にある県知事に深く聞く事はせず、詳細は孫次郎と副官に聞いておこうと決めた。孫次郎は純正の問いに答えるべく、冷静に説明を続ける。
「はい、御屋形様。もとよりこの湊は田畑がございませぬ。それゆえ湊が栄えるにつれて、近隣の村々から供する事が能うようにいたしたのでございますが、それにより一時は湊の市場は潤いました。然れど人口の増える事急にして、追いつかなくなっておりまする」
? 純正は不思議な顔をした。
「何故じゃ? 小佐々の領内には米が余っておる。新米とはいかぬが、他の領内からもってくれば、事足りよう? それに隣は武田領、というより駿河県ではないか。足りぬはずはあるまい。……まさか、商人が買い占めて、不当な値で売っておるのか?」
孫次郎は、少しうつむきながら答えた。
「お察しの通りでございます、御屋形様。一部の商人たちが米を買い占め、市場に出回らぬようにしてから、高値で売りつけております。湊の栄えるを用いて利を貪ろうとする輩が増えているのです。これにより、米の値が上がり、庶民が手に入れられぬ事態となっております」
「何たることだ! 商人は利を求める者ゆえ高値で売ることは構わぬ。然れど人の弱みにつけ込んで然様な商売をするとは……即刻取り締まらねばならぬ。官吏は何をしておったのだ?」
純正はそう言い放った後に、冷静に対応を考えた。
「商人たちがそのような行いをしているとなれば、厳しく取り締まらねばならぬ」
「それが……副官の原殿も同じ考えにて処罰をいたしたのでございますが、どうにも袖の下をもらっている者が何人かいたようでございます」
癒着である。賄賂を渡すことで商売を見逃してきたのだ。
「何たる事だ……。その商人は即刻出入り禁止にせよ。官吏も処罰し二度と同じ職にはつけぬようにな! 俺も手を回すが、複数の商人を出入りさせ、特に商人を定める事はせぬように」
「はは」
純正は太田和屋はもちろんの事だが、道喜や宗湛、宗室や宗九といった大商人には徹底していた。
領民の事を第一に考えるようにと、念を押していたのだ。商人であるから利を求めるのは当然であるが、高級品や
吉原湊以外にも、大いに考えられる事案であった。
次回 第733話 (仮)『常陸国、太田』
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