第726話 『上知か転封か減封か』

 天正十四年三月二十五日(1585/4/24) 京都


「お久しゅうございます治部少輔じぶのしょう(純久)殿」


「おお、これは……直江殿、これはこれは……十年以上、天正の初め以来にござろうか」


 肥前国の庁舎と新政府の庁舎は近い。

 

 そのため純久は以前と同じように旧大使館で働いている。大使館は新政府(肥前国)地方行財政庁庁舎となって、人員が割り振られるようになった。


 純粋な外務省職員(日本国外が対象)は全員諫早へ行き、その業務も完全に諫早に移行した。旧大使館は純然たる内務省の管轄となったのだ。

 

 そしてそこに、新たに加盟を希望する上杉の名代として、兼続が来た。


 上杉は小佐々に敗れて十三年も独立独歩でやってきたのだが、御館の乱による疲弊が致命的で、これ以上は無理だとの判断で加入を決めたようだ。


 純久は嫌みで言ったのではない。本当に、そのままの意味で言ったのだ。義の将謙信はすでになく、朝廷は純正(新政府)に感謝こそすれ恨むなどありえない。


 掲げていた大義の象徴である室町幕府は滅んだのだ。

 

 拠り所にする物もなくなり、争いがなくなったのだから、この上は独立独歩も何もない。越後の領国を繁栄させるための、遅ればせながらの決断であった。





 ■諫早城


「さて、海軍と陸軍、以前話していた三個艦隊と三個師団の増強は……問題ないか?」


 純正は陸軍大臣の長与純平と海軍大臣の深堀純賢に対して質問した。


「は、陸軍については滞りなく進んでおります。前回ご説明しましたとおり人員については子細ありませぬ(問題ない)ゆえ、順次部隊を編成し、海軍の協力の下一個師団を北方へ、二個師団を印阿国へ派遣しております。北方は年内、印阿国は来年初頭には完了する見通しにござる」


「うむ、あい分かった」


 海軍では第一次スペイン戦役後、輸送の重要性を考え、国内は佐世保・長崎(民間)・佐伯・呉・餝磨津(姫路・民間)、国外は基隆・マニラの造船所で二千トン級輸送船を建造しており、合計で39隻が就役していた。


 一隻につき約千名の移送が可能であったが、馬や大砲等も移送しなければならず、各地で補給・休息をとりながらの移送である。


「海軍は如何いかがじゃ?」


「は、船につきましては、国内外の七カ所の海軍工廠こうしょうにて蒸気機関を積んだ新型艦を造っております。二年で十四隻を計画しておりますが、おおよそ七年から八年にて完全に三個艦隊分の船が就役となります」


「七年から八年か……長いの……」


「申し訳ありません。新しき蒸気機関を積みますので、一隻につき、如何いかにしても二年は要りまする」


 純正は考えている。

 

 確かに早急な海軍力の増強は必要だが、差し迫った脅威があるわけではない。もちろん早いに越したことはないが、海軍大臣が言う期間が正しいならば許容範囲とするしかない。


「もう少し早くできないのか? 例えば五年とか」


「ご、五年にございますか……確かに小樽と越中岩瀬にそれぞれ船渠せんきょは一基ございますが……」


「おおそうか! ではそれを使おう。然すればもっと早く造れるであろう」


 純正はふとももをポンと叩いて言った。


「恐れながら御屋形様、修繕用の船渠を確保しませんと、故障の際に処す事能いませぬ」


 こういう事ならもう少し早い時期から軍拡の計画をたて、戦争をするためではないが、国土がインド洋に広がった時点から艦艇建造計画を立てていればよかった。


 経済や新政府樹立、その前のスペイン戦役の頃から予測してやっていれば良かったのだ。何も蒸気船でなければならない訳ではない。日本以外はすべて帆船なのだから。


「……ふむ。終わった事を悔やんでも仕方あるまい。では、一基を修繕用として残し、一基は造船に用いよ。また小樽と岩瀬の工廠も、他と同じように船渠を二基とするべく計画をたて、新たに造るのだ」


「はは」


 現在の主力戦闘艦である74門戦列艦は約1,500トンであるが、蒸気機関を搭載し石炭の積載場所を考えれば、どうしても船体が大きくなったのだ。





「さて、陸相(長与権平純平・純正から偏諱へんき)、そして内相(太田小兵太利行・純正の幼なじみ)。予備役と各大名の保持兵力についてはどうだ?」


 純正は小佐々を継ぐ前から中央集権の考え方を実践しており、ようやく肥前国内で形になってきていたのだが、問題もないわけではなかった。


 十万石以上の大名は九州に三家あり、龍造寺家の十三万石と大友家の二十万石、そして薩摩の島津家の十四万石である。


 四国にはない。


 伊予は河野家、土佐は一条家が国主として治めたが、ともに十万石以下なのだ。讃岐と阿波の阿波三好家、摂津と淡路の摂津三好家も、服属している国人を全部あわせた石高では十万石以上であったが、本領は五万石前後であった。


 一部の例外はあったが、一万石以下の国人は服属すると同時に被官化している。十万石未満の小大名も、国主クラスを除いては順次被官化していったのだ。


 いま残っている問題と言えば毛利である。もちろん、全てが服属しているし、国力に圧倒的な差があるので、反乱が起きたとしても鎮圧は可能だ。


 しかし、心配の芽は摘んでおかなくてはならない。この中央集権化は、もう、二十年やってきた事なのだ。


 毛利は完全ではないものの、中小の国人は半被官化していると言って良かった。しかしこれは小佐々に、ではなく毛利・吉川・小早川に、である。

 

 それぞれが三十万石以上の石高を有し、全部で百万石を超える。


 備後は十三万石の三村氏が統治しており、美作と備中は浦上氏のかわりに八万石の宇喜多氏が治めている。播磨は別所氏であるが、こちらも六万石であり、問題はない。


 山名に関して言えば十万石を超えているが、因幡と但馬の二ヶ国を統治するという事もあり、容認している。


 全てに共通して言える事だが、領内すべてに警察機構を置き、小佐々の管轄下としている。火薬と弾薬、鉄砲ならびに火器の製造は禁止し、肥前諫早と純正が定めた場所で厳重に管理して製造しているのだ。


 外敵がいないのだから、備える必要もない。各大名が有する兵力(人員)は、あくまで治安維持であり、それですら警察があるので、有事の際の予備役である。





「上記のように十分な予備役兵がおり、有事の際も兵力として投入能います」


 陸軍大臣の権平は潤沢な予備役の存在に満足げだが、内務大臣の利行はそうではなかった。


「他は子細(問題)ございませんが、毛利のみが今なお力を持っております。無論、戦道具に玉薬はこちらが上であり、あちらは槍や刀しかありませぬ。然れど、一度彼の者等の謀反がおきますと、数の差は歴然としております。こちらも被害甚大となる恐れも御座います」


 現状、毛利領内は治安もよく落ち着いている。税収も安定しており、問題はないように思えるが、唯一残った大大名なのだ。肥前国内では一位から三位までを毛利一族が占めている。


 毛利が小佐々に服属し従属同盟を結んだのは、織田と小佐々が同盟を結び、織田が様々な技術供与や産業の恩恵を受けた後である。しかし、小佐々の版図の中にあって経済は飛躍的に発展し、織田をも凌駕りょうがするほどである。


 必然的に経済格差は少なく(同じ肥前国内)、領民も豊かになっている。毛利には既に(表向き)独自の陸軍もなければ海軍もない。しかし肥前国の中にもう一つの肥前国があるような形が続いていたのだ。





「御屋形様は大名国人に被官となる事を強いる事なく、高き志を持ってここまで来られました。然れど元亀元年に毛利がわが家中となりて既に十五年。大同盟をつくり、大日本国を造られました。ここは万が一にでも、間違いがあってはならぬのです」


「……」


「……上知令、または厳封にて転封。しかるべき沙汰をなさいますよう、上書いたします」





 次回 第727話 (仮)『毛利輝元、小早川隆景、吉川元春』

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