第720話 『セバスティアン一世の治世と駐ポルトガル肥前国(大日本国)大使館』

 天正十三年九月九日(1584/10/12) リスボン王宮  


「宰相よ、今、肥前国との貿易収支はどうなっている?」


 宰相は書類に目を落とし、慎重に答える。


「陛下、現状ではかろうじて収支が0の状態です」


「……そうか。かろうじて、か。一時は肥前国の圧倒的な技術力と生産力で、貿易赤字に転落するかと思われたが、なんとか持ち直したのだな?」


「はい、陛下。ただ、彼らとの競争は依然として厳しい状況です。特に高品質な工業製品に対抗するため、我々の輸出品の品質向上が求められます」


 宰相のジョアンの顔は厳しい。基本的に自由競争である貿易だが、東アジアにおける貿易では、当初販売していた鉄砲は自国で生産されるようになり、火薬も同様であった。


 中国との中継貿易では生糸や絹織物などを輸出していたが、純正の政策によって中国産より品質の良い物を生産されて、販売するものが無くなったのだ。


 香料や香辛料はその他の小佐々の領土で栽培され、ポルトガルの優位性はすでに過去のものであった。


「どうやって貿易赤字を脱したのだ?」


 国運を左右する一大事である。セバスティアンは真剣に聞いている。


「陛下、いくつかの要因があります。まず、肥前国の需要に合わせた商品の販売と改良を行い、販売する商品と場所も考えました」


 ジョアンは大きく息を吸い、真一文字に結んでいた口を開いて答えた。


「ふむ、具体的にわが国は何を輸入し、何を輸出しているのだ?」


「はい、まずは輸入品ですが、石けんにガラス製品、そして精密な測量器具です。これらはすべて肥前国からのものです。また、彼らの新しい工業製品も多数輸入しています」


「他には?」


 ジョアンは書類を見返して答える。


「他には医薬品や高度な工芸品も含まれます。それから……」


「なんだ?」


「肥前国との貿易は特殊な形態をとりつつあります。まず輸入に関しては、マカオを拠点としている東インド会社を通じて、様々な品を輸入しております」


「うむ」


「その中には製法を含め、銃火器もあります。輸出に関しては、貴金属や工芸品、織物などの富裕層向けの品々は本土向けに輸出していますが、それだけでは赤字です。そのため、肥前国のアフリカやインドにおける領土に向けて、以下の物を輸出しております」

 

 ジョアンは続けた。


「ヤシ油、ヤシ酒、赤豆、ココナツ、石材、ヤシ繊維、トウジンビエ、ジャンブー、ゲレップ、キャッサバ、マテ茶、タマネギ、ヒツジ肉、蜂蜜、ゴマ、チーズ等の食料品。そしてさらに、工芸品や貴金属、織物もあります」


 セバスティアンは深く考え込むようにして、しばらく黙り込んだ。


「なるほど。それらの品目で収支を均衡させているのか。しかし、それだけで十分なのか?」


「もちろん、将来的に万全かと問われれば、そうではありません。かつては明国から仕入れ、日本の西国大名に販売して巨万の利を得ておりましたが、小佐々にはあるのですから売れません。しかし、全ては需要と供給にございます。肥前国の海外版図が増えれば、本国からの影響力も減ります。そこで販売し、利益を得るしか今は方法がありません」


 二人の間に沈黙が訪れる。


「貿易に関しては、今後も注意を払いながら、商品開発や販路の拡大を促さなければならぬぞ」


「はい陛下」


 両国間は友好関係を結んで久しい。隣国スペインとの兼ね合いがあるため軍事同盟は結んでいないが、通商関係はもう20年近くになるだろう。


 縁戚関係にある隣国スペインであったが、婚約を先延ばしにされ、政治利用される事に嫌気が差したセバスティアンは距離を置き、2年前にカトリーヌ・ド・ブルボンと婚約して結婚を間近に控えていた。





「陛下、肥前国大使閣下がお見えになりました」


「来たか。宰相よ、奴隷貿易の件はどうなっている?」


 ジョアンは神妙な面持ちで答える。


「陛下、肥前国は奴隷貿易に強く反対しています。……とは言っても、これはわが国の内政に関わる事ですから、大使としても公にそれを止めるべきだ、と主張してはおりません」


 セバスティアンはジョアンの答えを聞いて安心しつつも、頭を抱えている。


「そうか……肥前国の立場は理解した。しかし……しかしどうすれば良いのだ? 『未開』の奴隷たちは、改宗する事によって開化され、主人である奴隷主の庇護ひごのもとに幸福な生活を営むことができるのではないか? その強い信条が余だけではなく、我が王国の社会全体の考え方ではないのか? それならばなぜ、キリスト教徒ではない肥前王が治める国が、こうも進み栄えているのだ?」


 ジョアンは一瞬ためらいながらも慎重に答えた。


「陛下、それは肥前国の政策が人々を自由にし、彼らの能力を最大限に引き出すことに重点を置いているからです。技術や知識の共有、教育への投資、そして公正な法律の整備が、国全体の発展を促進しています」


「ジョアンよ、そなた、余の質問に答えておらぬぞ」


「陛下、まず肥前国は『未開』ではありません。彼らには彼らの秩序があり、幸せがあり、彼の国の成功は、すべての人々に教育と機会を与えることで成し遂げられたのです。彼らは自由と創造力を尊重し、その結果として技術と経済の飛躍的な進歩を遂げました」


 ジョアンは慎重に言葉を選んで答えた。


「自由と創造力か……。理解はできる……しかし、だからといって奴隷の売買を禁じれば、商人からの反発は免れまい。それに奴隷を労働力として、わが国の経済が回っているのも事実。その点はどうするのだ? どうやって商人の反発を防ぎ、今以上に経済を発展させるのだ?」





 根の深い問題であった。しかし、肥前国と貿易を継続し、良好な関係を保って行くには、奴隷売買問題を解決しなければならない事は明らかであった。


 肥前国の領有しているケープタウンやマダガスカル、カリカットやセイロンなどに、迫害を受けた近隣の部族や現地住民が集まってきていたのだ。


 しかもその規模は年々大きくなっている。脱走した奴隷も多い。いったん肥前国領内に逃げた奴隷はどうすることもできない。奴隷問題をどう解決するか、セバスティアンは重大な選択の岐路に立たされていた。





 次回 第721話 (仮)『フェリペ二世の焦りと新しい薬の話』

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