第653話 『レイテ沖海戦~伍~起死回生と窮途末路』(1578/6/23)12:00

 天正七年五月十八日(1578/6/23)12:00 接敵地点より南へ20km カバリアン湾沖東22km地点 


「提督! 前方に艦影あり! 敵艦と思われます! 多数!」


 ゴイチ艦隊旗艦の見張りが大声で報告する。


「ちくしょう。もう来やがったか」


 ゴイチは眉をひそめ、望遠鏡を覗き込む。


 一方、第45水雷戦隊の旗艦である夕張は、執拗しつように砲撃を受けている。司令官の山本は窮地に立たされていた。


「司令官、このままではいずれ沈められます!」


「くそう、敵の発見と撤退が今少し早ければ、このような事にはならなかったであろうに。せめて刺し違えてでも一矢報いるか……」


 そうではない。ゴイチの追跡スピードが尋常ではなかったのだ。


 この海域の潮流や、風の向きや強さを熟知していた。仮に撃ち合ったとしても、夕張の砲門数はわずか14門である。艦首と艦尾の砲を除けば10門だけだ。

 

 対してゴイチ艦隊はすべて、砲門数も艦の隻数も倍である。


「いや、ダメだ! ここで撃ち合っても負けは目に見えておる。得るものは何もない。せめてあと半刻(1時間)、いや四半刻(30分)でも生き延びれば、必ずや本隊が来よう。先頭艦は逃げ切って本体に知らせているであろうからな!」


 夕張は必死の抵抗を見せ、逃げ切ろうと操艦を繰り返す。


「往生際が悪い! さっさと沈め!」





 12:30

 

 絶体絶命に見えた状況は、第四艦隊の到着により一変する。


 15隻からなる合計426門の艦隊が戦場に加わり、優勢だったゴイチ艦隊は一転して劣勢に陥った。砲撃戦は新たな局面を迎えたのだ。


「くそう……3隻沈めて手土産にしたかったが仕方ねえな。ここは多勢に無勢、こっちは無傷とはいえ10対18じゃ話にならんからな」


 ゴイチの決断は素早かった。即座に旗旒きりゅう信号を揚げて全艦に撤退を指示する。


「司令官! イザベル号とレオン号が撤退に応じません!」


「馬鹿な! 死にたいのか?」


 イザベル号とレオン号はゴイチ艦隊の9番艦と10番艦である。

 

 硝煙に隠れて旗旒信号が見えなかったのか、それとも単に命令違反をして功をあせったのか? それならば厳罰だが、2艦そろってというのは考えにくい。


 ゴイチは2艦をどうするか悩んだが、はじめから選択肢などなかった。接近して手旗で知らせようものなら第四艦隊の餌食になるであろうし、応戦しようにも蜂の巣にされてしまう。


 つい1時間前の第45水雷戦隊と同じ状況、立場が逆転してしまったのだ。




 

「山本司令官、援軍が到着しました!」


 第四艦隊司令官の佐々加雲中将が第45水雷戦隊の援軍として、ゴイチ艦隊を殲滅せんめつするべく北上する。


「助かった」


 第45戦隊は本隊と入れ替わり、後方で態勢を立て直す。いつの間にか風は東から北北東へ変わっていた。予想していた事ではあったが、一転して形勢が逆転し、ゴイチは焦りを隠せない。


 北上しようにも、今度は逆風に近いのだ。


 進行方向を北にして45°以上鋭角に進むことはほぼ不可能である。条件は小佐々第四艦隊も同じであるが、ゴイチ艦隊は徐々に追いつかれ、退却の遅れたイザベル号とレオン号がまず標的となった。





 ■キャンカバト湾 スペイン艦隊本隊 13:00


 一方、キャンカバト湾ではスペイン艦隊本隊へ衝撃の報告が入った。


 哨戒しょうかいに出していた艦から『43隻からなる小佐々本隊が、レイテ湾に侵入してきた』という報告を受けたのだ。


 小佐々艦隊は本隊に先駆けてレイテ湾全域に哨戒艦を派遣し、キャンカバト湾がスペイン軍の泊地であり、現在は本隊である艦隊が停泊し、しかも分艦隊は南下しているという情報を掴んでいたのだ。


 敵の泊地がカバリアン湾だと思っていた純正は、あるいは敵の策略か? と疑問を抱いたが、敵が我らの動きを察知して移動したと考えれば、何の問題もない。


 仮に策略だったとして、兵力は加雲の第四艦隊を除いても1.5倍なのである。


「さて、これで仕舞おうかの」


 純正は全軍にキャンカバト湾の封鎖を命じ、サン・ファニーコ海峡への退路をも塞ぎ、降伏など許さぬ決意で戦いを挑んだ。


 

 


 オニャーテは報告を聞いて気が気ではない。


「おい、パブロよ! お前が言っていたようにせよ! 艦隊を全部湾外へ出し、敵の包囲を突破するのだ!」


(包囲を突破するだと? 仮に突破したとして、どこへいくと言うのだ?)


 パブロは返事をする。


「恐れながら閣下、それは不可能でございます」


「な! 何を言うか。お前がそうしろと言ったのではないか!」


「閣下。それは午前中の話です。あれから風向きは変わり、今となっては帆を揚げて湾外に出たとして、とても包囲を突破するなどできません」


「ではどうすれば良いのだ?」


 自分が副官の意見を無視して動かなかったせいで、艦隊は動きを封じられたのだ。朝のうちに艦隊を動かしておけば、勝てないまでも五分の戦いができる可能性はあっただろう。


 それが、一斉に南下して第四艦隊を殲滅し、返す刀で小佐々海軍本隊と決戦をする戦術である。しかし、今となってはどうにもできない。


「もし提督が、艦隊の将兵の命を大事に思うのであれば、降伏なさいませ。命まではとられないでしょう」


「降伏だと? そんな恥辱は受けられん!」


 やはりな、とパブロは思った。


(以前はもう少し、人の話に耳を傾けるお人であったが……)


「では、決戦なさいますか」


「当たり前だ! ここでむざむざ虜となっては末代までの恥である!」


 オニャーテはそう言い放ち、全軍に湾外へ出て小佐々艦隊と接戦するように命じたのであった。


「……」





 ■13:30 カバリアン湾沖 


 ゴイチ艦隊が接敵し、戦闘中であろうと考えたフアンは、急ぎ南下してきた。


 その到着はイザベル号とレオン号を失い、さらに1隻を失って1隻が航行不能となっているゴイチ艦隊の戦局を、大きく変える事になる。戦闘可能艦は、18隻対6隻が18隻対16隻となるのだ。


 この2時間の状況変化はめまぐるしい。

 

「司令官! 北方より敵艦隊の増援!」


「ようし、釣れた! 敵の分断に成功したぞ!」

 

 報告を受けた加雲はそう叫び、手を握りしめた。スペイン軍の増援により状況は悪くなるが、それでも戦力差はある。風向きが相手側に味方しているとは言え、負ける事はない。


 それに加雲の艦隊は、敵の分断という作戦目標自体は達成しているのだ。

 

 加雲は冷静に状況を分析する。フアン艦隊を合わせても、18対16の戦力差がある。だが、風上を取られた不利は大きい。一方、ゴイチとフアンは合流し、反撃態勢を整えた。

 

「よし、こちらは風上だ。兵力では劣るが、一方的な負けはない!」

 

 フアン・ゴイチ連合艦隊が攻勢に出る。北風に乗って、勢いよく第四艦隊に肉薄していく。




 

 16:30

 

 巻き返しを図るフアン・ゴイチ艦隊に、加雲は冷静に対処する。

 

「各艦、陣形を崩すな! 焦らず反撃だ!」

 

 落ち着いた加雲の指揮で、第四艦隊は陣形を維持。風上をとって戦うべく、巧みな艦隊運動でスペイン艦隊の攻撃をかわしつつ、砲撃戦が始まる。両軍入り乱れての激戦だ。

 

 フアン・ゴイチ艦隊は風を利して、第四艦隊の側面を衝くが、第四艦隊は射程の長さと高い精度で、これをしのぎきる。

 

「くそっ、なぜ当たらない! やはりフアンの言うように、やつらの大砲はたちが悪い! あれをかわして近づくのは……!」

 

 ゴイチは、徐々に現れる戦力差に焦りを隠せない。一方の加雲は、冷静に敵の出方をみる。

 

「敵は風を頼みに攻めてくる。射程の差を活かし、少しずつ削り取るのだ」

 

 加雲の判断は的確だった。遠距離からの集中砲火が、フアン・ゴイチ艦隊を着実に削っていく。




 

 17:30


 戦闘開始から6時間。戦況は第四艦隊の優位に傾いている。フアン・ゴイチ艦隊は、合流時の16隻からさらに3隻を失った。対する第四艦隊の被害は、2隻の小破のみである。


「くそう。縮まらねえか……」


 ゴイチは火力の差を痛感していた。


 射程の短さがあだとなり、満足な反撃ができないのだ。さらに第四艦隊は、巧みに回避して被弾を免れる。風下とはいえその操艦術には目を見張るものがあった。


「情報通り、敵の砲は旧式だ! 確実に当てていけ!」


 加雲のげきが、艦隊の士気を高める。優位に立つ連合艦隊の攻撃は、さらにえを増していく。




 

 18:00

 

 日没まで約1時間。フアン・ゴイチ艦隊の劣勢は、覆すべくもなかった。すでに6隻を失い、残る10隻も小破・中破が相次ぐ。対して第四艦隊は、わずか小破3隻である。


 戦闘可能艦の比は18隻対10隻となった。

 

「よし、あと半刻(1時間)だ。このまま押し通せ!」

 

 勝利を確信した加雲。その言葉に、連合艦隊は一層の勢いを見せる。フアン・ゴイチ艦隊も、必死の抵抗を見せるが、火力の差は覆せない。風上を活かしても、射程内に入る前に撃ち崩されてしまうのだ。

 

「提督、このままでは……!」

 

「わかっている! だが、退いたとて、状況はさらに悪いであろう! 最後まで戦うぞ!」

 

 フアンもゴイチも敢然と抗戦の姿勢を見せるが、その言葉とは裏腹に、艦隊の戦意は徐々に削がれつつあった。




 

 18:30

 

 日没が近づく中、戦局は決した。フアン・ゴイチ艦隊は、わずか7隻を残すのみ。ゴイチ艦隊にいたっては旗艦1隻のみである。投降するしか選択肢はない。


 一方の第四艦隊は、18隻を保っていた。戦力の優位は揺るぎなかった。

 

「よし、あともう一押しだ! 敵を完全に包囲しろ!」


 加雲の号令で、第四艦隊が最後の攻勢をかける。四方から迫る砲火に、フアンは観念した。

 

「これまでだ……投降だ」

 

 フアンは、悔しさにうちひしがれながら、白旗を掲げるのだった。




 

 19:00

 

 日没。カバリアン沖海戦は、第四艦隊の勝利に終わった。海面に夕日が映り、戦火の余韻が漂う。勝者と敗者の運命が、はっきりと分かれた瞬間だった。

 

 加雲は、ゴイチとフアンを自らの前に引き出した。

 

「敵ながらあっぱれであった。いやはや、南蛮の地でもこのような勇者がいたとは」


 傍らの通訳が二人に加雲の言葉を伝える。加雲は敵将の勇敢さをたたえたのだ。

 

「だが、わしには敵わなかった。これが戦いの結果だ」

 

 ゴイチは潔く敗北を認めた。フアンも、それに同意を示す。

 

「これから我らをどうするつもりだ? できれば兵達には寛大な処置をお願いしたい」


「無論だ。うちの殿様は、仕方なく戦をやっておる御仁だからな!」


 わあっはっはっはっは! と加雲は笑う。

 

 こうして、カバリアン沖の戦いは幕を閉じた。さて、北の戦況やいかに。





 次回 第654話 (仮)『レイテ沖海戦~終~艦隊合流と有終の美』

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