第614話 条件を出せる立場と出せない立場(1574/10/26)

 天正三年十月十二日(1574/10/26) 交渉2日目 茂木城


 北条氏と里見氏の間の和睦は、北条氏が里見氏に対して安房・上総・下総(千葉氏の佐倉城以東)の領有を認める事で成立した。もっとも下総に関しては書面上だけの事である。


 それは氏政もわかっていた事であろう。


 下総においては千葉氏とその一族の影響力を排除するなど、並大抵の事ではない。今回の戦いの目的ではないと、義弘もわかっていたのだ。


 氏政はそれを見越して、譲歩した形をとったのかもしれない。

 

 勝行は忠棟と同じく氏政の真意を測りかねたが、調停者としてきている以上、詮索するのはよろしくない。


 残る問題は北条対宇都宮・佐竹と、蘆名・那須対宇都宮の交渉である。





「さて続いては、宇都宮勢と佐竹勢、それに北条勢の領地の国分くにわけ(領土分割・国境協定)にござる。陸奥守(氏照)殿、下野守(宇都宮広綱)殿、常陸介(佐竹義重)殿、よろしいか?」


「「「異論ござらぬ」」」


「ではまず、下野守殿、題目(条件)をどうぞ」


 勝行は広綱へ聞いた。


「われらはこたびの北条の討ち入りに際し、すべての所領をお返しいただく事を所望いたす」


「それがしも、同じにござる」


 宇都宮広綱への問いにもかかわらず、佐竹義重も追従するように答えた。


「常陸介殿(義重)、いまは下野守殿(広綱)に伺っておるのです。しばし待たれよ」


 勝行は義重を制止したが、氏照は意に介していないようだ。


「よろしいのです、肥前介殿(勝行)。それがしの答えは決まっておりますゆえ」


 全員が氏照の顔を見た。


「それはいかなる答えにござろうか」


「……その題目には、応じかねまする」


 それはそうだろう、と誰もが思った。

 

 占領地をすべて返還するなど、それではなんのために攻め入ったのか意味がない。条件のすりあわせだと誰もが思ったのだ。


「うべなるかな(なるほど)。では下野守殿、いかがされるか?」


 勝行の言葉に広綱が答える。


「されば申し上げる。益子・芳賀・多功・壬生みぶの他、国人の所領のいずれかを返していただくとして、いずれの土地をいかほどかと考えねばなりませぬな」


「うむ」

 

 と勝行が答え、氏照の方を向く。


「これは異な事を承る。そのような事を論ずるなど、詮無き事にござる」


「な、に? 陸奥守殿、戯れ言を言うてもらっては困る」


 広綱が敏感に反応した。


「戯れ言ではございませぬ。そもそもこの和議、当方が望んだものに非ず。内府様(純正)の仰せにて、我が殿の命によりここにいるに過ぎませぬ。それにさきほどの国衆は、われらが掛かりて(攻めて)降り、または調略にて降っておる。その国衆らの所領にござろう。それがしが返す返さぬの話ではござらぬ」


 これも、下総の論理や武田家の三河や遠江の論理と同じである。


 完全に北条の郎党となって、北条領内の知行としてあてがわれているわけではない。所有権はあくまで国人にあるのだ。

 

 宇都宮家は勢力の三分の二が国人衆であった。逆に北条家は三分の二が直轄地である。


 氏照は国人が降伏する際に、完全に本領を安堵あんどしたものもいれば、減封して取り込んだものもいる。後者は戦って降伏した国人だ。

 

 その際に吸収した所領はあるが、飛び地である。


 返還したとて、統治が難しい土地ばかりだ。


「われらに一旦服したものが、手のひらを返すように貴殿に従いましょうか? また貴殿も一旦離反した者を、以前と同じように扱えますか?」


「……」


「仮にそれがしが返す、と申して、国衆らを説かねばならぬのですか? ……ふたたび話を戻しますが、和睦とはすなわち双方が戦を止めることを望む場合に行いまする。こたびは我らに、そもそも和睦の意思はなかった。戦を止める、そうすればこれ以上所領を失う事はありませぬ。これこそ重し題目ではござらぬか」


「それでは身も蓋もない!」


「そうじゃ! この上は戻って一戦も止むなし!」





 ■里見軍宿舎


「さて、なにやら騒がしくなってきたの」


「は。されど我らにとってはあずかり知らぬ事。上総と残りの下総の事のみ考えれば良いのではありませぬか」


 里見義弘と正木頼忠は高みの見物である。


「そうよの。氏照はああ言っておるが、まあ、多少は譲るであろう。あまりに厳しい題目じゃと、ほれ、窮鼠きゅうそ猫を噛むというではないか」


 義弘は反北条のために佐竹と宇都宮と組んだ。

 

 そして幸運な事にスペイン、つまり北条戦を見据えた純正の思わくと重なって、小佐々と同盟を結ぶことができたのだ。


 佐竹と宇都宮とはよしみを通わせてはいたものの、それは共通の敵である北条と戦うためである。結局は自分が一番大事なのだ。

 

 それに、里見家は(北条と宇都宮・佐竹との戦いの)当事者ではない。

 




 ■宇都宮軍宿舎


「ぐぬぬぬぬぬ……! 氏照め、ほざきおって! この上は城を枕に討死覚悟で一矢報いようではないか」


「殿、それはあまりにも無謀にすぎまする。いったん心を鎮め、事の様(状況)を見定めねばなりませぬ」


 広綱は怒り心頭で、家老の今泉泰光はそれを抑えるべく声をかけた。


「事の様も何も、氏照はとりつく島もないではないか。一切返さぬと言うておろう」


「そこにございます。誠に氏照は返す気がないのでしょうか」


「その気がないゆえ、あのような物言いになったのであろう?」


 ようやく怒りが収まりかけた広綱は答えた。


「されど、誠にそうだとして、我らが呑めば、この上ない屈辱にございます。それは佐竹も同じでござろう。必ずや禍根を残し、以後の戦の種になるのは必定。それをわかった上で、無理に通しましょうや?」


「ふむ……」


「それにこたびは、内府様の扱い(調停)にございます。紛糾すれば顔に泥を塗ることにもなりまする。氏照、いや氏政がそこまで浅慮だとは思えませぬが」


「であれば、わざと我らを怒らせるために、ああ言ったというのか?」


「は。明日、つぶさ(詳細)な題目を示せば、何とかなるかと存じます。と、その前に肥前介(勝行)殿に口添えを頼まねばなりませぬ」


「あいわかった」

 

 ■佐竹軍宿舎


「おのれ、氏照め! 禅哲よ、誠に氏照は譲らぬと思うか?」


「は。確たることは申せませぬが、いささかおかしな点がございます」


 僧籍にありながら佐竹義篤・義昭・義重の3代に仕える禅哲は、佐竹の外交僧として活躍していた。


「おかしな点?」


「おかしな点と申しますか、あのような和睦を壊すような強引な題目では、我らが応じぬ事はわかっておったはずにございます。北条としても、ああはいったものの、内府様の手前、落とし所を探っているかと思われます」


「和睦が破談になれば、面目がないからの」


「ゆえに我らは、北条が許すであろう、できうる限りの題目を導きださねばなりませぬ」


 ■蘆名軍宿舎


「題目は、後からあれもこれもと、付け加えるものではございませぬ。まずはっきりと態度を示し、それから徐々に緩めていくのが肝要かと」


 宿老の佐瀬大和守種常は、若き当主盛興の質問に答え、蘆名も北条と同じく、条件は譲らない路線である。

 

 ■那須軍宿舎


「わが那須家にとっては千載一遇の機会である。一歩(一坪)たりとも譲る気はない」


 那須資胤は意気揚々としている。


「仰せの通りにございます。されど、北条がもし譲るのであれば、我らも多少は譲らねばなりますまい」


 その資胤をたしなめるのは家老の千本資俊すけとしである。那須家の実力者で、資胤は資俊に擁立された。

 

 ■北条軍宿舎


「落とし所は決めてある。これで納得せねば、再び戦をするまでじゃ」


 氏照は氏政に指示された提示条件を考え、絵図に印を入れながら考えている。


「殿、これで両家は乗ってくるでしょうか?」


「わからぬ。されどもし乗ってこないのなら、知恵者がおらぬのだろう。その時は致し方あるまい。いずれにしても、内府様の顔に泥を塗ることにはなるまいて」

 

 ■小佐々軍宿舎


「肥前介殿、これは宇都宮と佐竹が題目をまねば、和睦はなりませぬぞ」


「そうですな。されど呑まぬでしょう。北条もそれをわかった上であのような題目を出したのでは?」


 忠棟の問いに勝行が答えた。


「それはあり得ますな。確かに、北条としては戦を続けるという道もある。されどそれでは我らの顔に泥を塗る事になる。加えて、われらの盟友である里見とは、北条はすでに話がついております」


 小佐々の盟友である里見には、北条は大幅に譲歩している。

 

 これで十分に小佐々の顔を立てたと考えれば、宇都宮や佐竹に多少無理をいっても、呑んでもらえるだろう、という考えなのだろうか。


 それとも最初に過大な条件を突きつけ、徐々に落として、最適な条件で締結するという手法なのだろうか。


 そんな話を二人でしている時に、宇都宮と佐竹の使者が入ってきた。



 


 次回 関東騒乱終結。北条の勢力拡大と、宇都宮と佐竹の弱体化

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