第590話 信長の悪あがきと純正の妥協

 天正二年 一月十七日(1573/02/19) 近江国蒲生郡  日ノ本大同盟合議所


「拒否権の儀、ならびにその他の題目についてもおおよそ得心しておる。然れど一つだけ、一つだけ発議いたしたい」


「なんでござろう」


 信長は拒否権にしばりをつけられ、あせりを感じたのだろうか? それとも織り込み済みの発言だろうか。


「拒否権を発する際の題目、委細承知したが、そもそもの草案にひとつ、変えるべき案がござる」


 ほぼ決まり決まりかけていた草案に、何を変更、追加するのだろうか? 純正は信長がこの状況を脱するための案を持っているのか気になった。


「他国に討ち入る儀にござるが、そもそも大義名分の有無について、合議にかける要ありやなしや? 仮に合議の後大義ありとして、討ち入るといたそう。必ずしも全ての国が討ち入らねばならぬのか? あくまで例だが、武田家が仮に上野に討ち入ったとして、われらが助勢する由ははたしてあるのだろうか?」


 信長が言わんとしている事は、誰もが理解できた。


「うべなるかな(なるほど)。兵部卿殿は、そもそもの合議の在り方に疑いの念がおありなのですな?」


 軍事行動合議制の、根本たる概念の可否である。


 なんとなく、では済まされない。


 なぜ合議をしなければならないのか? ここではっきりさせ、しっかりと全員に理解してもらわなければ絵に描いた餅になり、新しい戦乱の火種になる。


「では一つ、兵部卿殿にお伺いいたします。兵部卿殿はいくさはお好きですか? 人を殺めるのはお好きでしょうか?」


「何を仰せかと思えば。軍は一つの術にござる。例えば外交において難しとなり、国を守り栄えさせるための最後の術である。人を殺めるのが好きな者などいようか」


 第六天魔王は、やっぱり仕方なく、長島の根切りをしたのだろう。比叡山は今世では焼き討ちされていない。浅井朝倉をかくまってないからね。


「それを聞いて安心しました。合議にてはかるというのは、これすなわち無益な軍を止めるためにござる。大義名分とはその国その国、その時その時で変って参ります。では討ち入る国の大義名分が、誠に軍をせねばく事(解決)のできぬ事の様(状況)なのでしょうか? 皆ではかり、その事の様を良き方へ導くことあたえば、軍をせずともすみまする」


「それでは間に合わぬ場合も、往々にしてあるかと思うが?」


 信長は引き下がらない。


れば討ち入るにはそれ相応の時がいりましょう? そのような重し(重要な・緊急な)事の様になる前に、われら七家で諮るのです。遠く離れた大名家には関わる事少なしかと存じます。然れど明日は我が身にござる。如何いかにして解くか、案を出し合い、相手に示すのです。それでも変らねば、軍も致し方ございませぬ」


 ふむ、と信長はつぶやいた。


 他の面々も納得できない理由がない。反対する理由がないのだ。自らの私利私欲で領土を得たいなど、この場で言えるはずがない。


 逆に言えば、自らの存続を危うくする者、脅威が間近にあるならば、全軍をもって対処すると言う安全保障でもある。


 貧しさゆえに他国を攻めた武田。


 天下布武のもとに従わない勢力を力でねじ伏せた織田。


 しかし武田は小佐々の援助により豊かになる道筋が見え、織田は神輿みこしの義昭とたもとを分かち、義昭は行方不明となった。


「あい分かった。では討ち入りの可否に関わる合議については、すべて得心いたした。もう一つ、その討ち入る勢(軍勢)は、必ず七ヶ国全ての勢でなくてはならないのか、という事にござる」


 ふむ、そう来たか、と純正は思った。


 確かに、影響力を及ぼす範囲が限定的であれば、全軍で攻めなくてもいい。加賀に攻め入るなら、織田軍だけで事足りる、と言っても問題はない。


 それに、全軍を集めようとすれば時間もかかる。遠方の小国にとっては負担が大きい割りに実入りが少ない、という問題もあった。


「では討ち入りに関しては、多国籍軍(以下、このように表示)にて行うのではなく、例えば織田家一力(単独)にて討ち入ると?」


「左様。あくまで例にござるが、我らにとっては加賀、紀伊、そして丹波の三ヶ国のみにござる。ああ、摂津の本願寺もござったか。いずれも一力にて処する事能うゆえ、わざわざ多国籍軍の出動は要りませぬ」


「うべなるかな……」


 さて、どうするべきか?


 純正は悩んだ。


 断る明確な理由がない。合議でOKがでた軍事行動だ。単独戦争で問題ないと言っているのに、わざわざ遠国の大名の参陣も強制するのか?


「皆様はいかがお考えでしょうか?」


 純正は全員を見回して意見を聞く。


 織田と武田の勢力拡張を防ぐというのが、純正的な大同盟の目的の一つである。認めてしまえば加賀・紀伊・丹波が織田の領土になっても文句は言えない。


「よろしいでしょうか」


 里見義弘が発言した。


「正直なところ、兵部卿殿のお考えに同意したいというのが本音にござる。我らは東国にて畿内の軍には銭も時もかかります。参陣せずとも、われらの危機には助けていただけるとなれば、渡りに船でございます」


 攻められた場合の防衛出動については協議されていなかったが、いずれ問題になるだろう事を義弘は先に提議したのだ。


 攻めるときは多国籍軍で、攻められた時には知らぬ存ぜぬなど道理に反している。


「修理大夫殿はいかがか?」


 畠山義慶にふる。


「それがしは……」


 申し訳なさそうに、話し始めた。


「越中の儀は、中納言殿に大変お世話になり申した。その上で、申し上げにくい事ではありますが、それがしも佐馬頭(里見義弘)殿と同じ考えにござます」


「いえ、構いませぬ。それがしは反対しているのではなく、皆様の御存念を伺いたかったまでにござる」


 他の武田、浅井、徳川も同じ意見であった。





 参加兵力については、都度合議することで決まった。


 次回 第591話 北方探険艦隊の帰還と暗躍・北条氏政

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