第564話 和睦の題目と謙信の最後の秘策

 天正元年 四月九日 京都 大使館





 発 道雪 宛 権中納言


 秘メ 上杉ヨリ 和睦ノ 申出 アリ 然レドモ 戦況 優位ニテ 御裁可 ナラビニ 題目ヲ 知ラサレタシ 秘メ ○四○六





「御屋形様、これは……」


「ふむ、和睦の申出であるな。必ず勝てると思うておったいくさが負け筋が多きとみるや、さすがの判断よの」


「然れど今わが勢は勝ち筋に乗っておりまする。今この時、和睦するなど勝ちを捨てる様なものではござりませぬか?」


 純正天下統一論者の直茂は、このまま戦い続ければ勝てると考え、一気に越中から越後まで、小佐々の支配力を拡大しようと考えているようだ。


「うむ、そうだな。然れど、だ。直家に官兵衛、いかがか?」


「は、然れば申し上げます。左衛門大夫様(直茂)のお考え、総じてそれがしも同じ考えにございまする。然れど……」


 賛成しつつ反対意見を述べる宇喜多直家に、直茂の顔が喜びから疑問に変わる。


「然れど、なんじゃ?」


「此度の軍の大義。すなわち勅許にございますが、これは能登畠山氏の越中守護の権威をもって、越中を静謐となせ、でにございました」


「ふむ」


「然れば和睦の題目にもよりますが、いくさを続けずとも、勅書の通りに越中の静謐はなせまする。ここでかえって越後に攻め入り上杉を討たんとすれば、私利私欲の軍となり、それこそ義戦を旨とする謙信の思うつぼではないでしょうか」


「うむ、一理ある。官兵衛はどうか?」


 直茂が、しまったそれがあったか、という顔をしている。


「は。それがしも同じにございます。まずもって主上の勅書を大儀として畠山の権威を直(回復)させ、越中の静謐となす。畠山が主であり、われら小佐々家中はあくまで従にござる。世間が何と言おうと、従が主よりも表にでてはなりませぬ」


 官兵衛の言葉に、直茂が反論を考えている。


「直家と官兵衛の言も、もっともであるな。庄兵衛に弥三郎、清良はいかがか?」


 三人は直茂の顔をチラチラみながら、様子をうかがい、清良が発言する。


「それがしは左衛門大夫様(直茂)のお考えに賛同いたします。その上で、先ほどの右衛門尉様(直家)や官兵衛の考えも計らわねばならぬかと存じます。ゆえに軍を続けるを軸に、和睦の題目をいかに上杉の力を弱めるようにするか、これにつきましょう」


「すなわち(つまり)何だ?」


「は、主が畠山である上は、修理大夫様(畠山義慶)と計らわねばならぬと存じます。その上で、謙信が従わねば、止むなく成敗するという流れにございます」


 庄兵衛と弥三郎の二人は、さすが! という顔をしている。清良は折衷案を出すのが得意なのかもしれない。


「うべなるかな(なるほど)。然れば本来であれば修理大夫殿と会って話をせねばならぬが、あいにく京と七尾では離れておる。まずは文をもって修理大夫殿と考えを通わし、和睦の題目とする。その後は利三郎、頼めるか?」


「ははっ」





 発 権中納言 宛 畠山修理大夫殿


 秘メ 上杉ヨリ 和睦ノ申出アリ 越中ニオヒテ 我ラ 優勢ニテ 断ルコト能ヘドモ 此度ノ いくさハ 越中ノ 静謐ガ 当テ(目的)ノタメ 修理大夫殿ノ 考へヲ 伺イタク 名代トシテ 太田和治部少輔ヲ 遣ハシ候 秘メ





 先行して書面は送ったが、純正が考えた和睦の条件は下記の通りである。この中の何を譲歩し何を残すかは、名代の利三郎に委ねられた。


 ・能登と越中からの上杉軍の完全撤兵

 ・能登と越中に関する一切の介入を禁じる

 ・越中における上杉の所領は、すべて能登畠山の差配とする 

 ・佐渡の本間家と上杉家の断絶。一切の関わりを断つ事

 ・越後のすべての湊の小佐々籍の船の帆別銭を免除

 ・直江津、柿崎、柏崎、出雲崎、蒲原、新潟津、岩船の割譲





 ■上杉陣


「御実城様、あれから三日経っておりますが、敵は和議に応じましょうや?」


 須田満親は謙信に尋ねる。


「そ(それ)は分からぬが……然れど応じる筋があるのは確かであろう」


「あまり刻が経ちますと、兵士の士気も下がります。兵糧にも限りがありまする」


「それについては相手に頼もう」


「? いかがなされるので?」


「言葉の通りじゃ。軍場いくさばならいざ知らず、こちらは和議の申し出をしておるのだ。和議はせず、と断じたのならともかく、のらりくらりと返事を延ばして兵糧切れを狙うなど卑怯千万。ゆえに、あまりに長引くようなら融通せよと迫るのだ。この程(程度)は二心なくば応じよう。なに、京からの返事に早ければ七日、十日もかかるまい」


「は、ではそのように伝えまする」


「加えて」


「は?」


「能登と越後に夜盗組の『早足の者』を遣わすのだ。上杉と小佐々は和議の最中にて、一切の打ち合い(戦い)を禁ずとな。これはわが勢よりも、畠山や小佐々の将に伝わるようにせねばならぬぞ」


「敵勢に、でございますか?」


「無論じゃ。能登にてわが船手が負けておる。ここでさらに掛か(攻め)られれば、如何ともし難い。ゆえに、じゃ。越後も同じく、小佐々の船手は沈めておらぬ。何をするか分からぬ故な。信濃からも敵が迫っておるからの、止めねばならぬ」


「うべなるかな(なるほど)。して、和議がならぬ時はいかがいたしまするか?」


「……応じる筋はある、と言うたであろう?」


「……まさか、朝廷にございますか?」


「然なり」


「然れど朝廷は、織田と小佐々の言いなりではありませぬか?」


 満親は、謙信の発言に半信半疑である。


「然なり。然れど、主上がお求めのものは何ぞや?」


「それは、せい、静謐にございますか?」


「然なり。そも我らは幕府十五代の公方様の命により、上洛せんと出立したのだ。その公方様は未だ廃されておらぬ。故に武家の棟梁たる足利家の命にうべのうて(従って)いるのみ。織田や小佐々が何と言おうと、変わらぬ。加えて何のために二度も上洛し、朝廷と幕府に献金してきたと思うのだ。このような時のためであろう? よいか?」


「はっ」


「この世にまたし(完全な)ものなどないのだ。そは朝廷も同じ。諾いとう(従いたく)ない者もおる。畠山の権威をもって越中を静謐となせは、上杉を滅ぼせ、上杉と打ち合えに非ず、じゃ」





 根知城、上関城、竹俣城、陥落。

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