第555話 反転攻勢の立花道雪

 天正元年(元亀三年・1572) 四月五日 岐阜城


 発 権中納言 宛 兵部卿


 秘メ 守護代ノ勢 加賀ヘ 討チ入リケリ(攻め入った)ト 聞キ及ビ候ヘドモ ソハ(そこは)貴殿ノ所領ニ非ズ かたシ事ナレド マズハ言問こととい(話し合い)ニテ 解ク(解決)ベキト存ジ候 秘メ


 秘メ 争ヒノ 加賀ヘノ 拡ガリノ種(原因) 何ゾ知リタリ候哉(知っていますか) 我 上杉ノ 離間ノ計ニアラズヤト 思ヒ集メ候間そうろうあいだ(いろいろと考えているので) 両家ノ結ビ(結束) ヨリ重シト 存ジ候 秘メ





「ふむ、上杉の調略とな……。ふふふ、純正にはそう映るか。いずれにしても、加賀に討ち入るはまだ先の話ゆえな」





 発 兵部卿 宛 権中納言


 秘メ 件ノ儀 全ク与リ知ラヌ事ゆえ 唯唯ただただ驚ク事バカリニ候 然レドモ 上杉ニハ 荷留津留ノ 知ラセヲ 送リケリ候間(送っているので) 調略ノ儀 考フかんがうベシ(考慮すべき)ト存ジ候 秘メ





 実際には信長が考えていた事と、謙信の計略が偶然重なった訳だが、純正に対しては、信長は知らぬ存ぜぬで通したのである。


 加賀や越中への侵攻策を練っていた信長にとっては、いわば棚からぼた餅的な出来事でもあったのだ。信長にとっては、加賀侵攻の大義名分ができる。


『隣国にて騒乱やまず、越前にも影響が多々あるので、やむを得ず軍を派遣する』というような具合であろうか。





 ■射水郡 火宮城 上杉本陣


 火宮城に入城し、それを囲むように防御の陣形をとった上杉謙信は、次々と報告を受けていた。


「申し上げます! 隠尾かくりょう城、鉢伏山城を落とした一揆勢、加賀に戻りましてございます!」


「うむ、然もありなん」


「申し上げます! 敵は放生津の備えを残し、川向かいの水戸田村、明徳寺に本陣をおいてございます! 数はおよそ三万三千!」


「うべなるかな(なるほど)、こちらは西に下条川に南に薬師寺池、平山城とてやりようによっては堅固な陣となる」


「申し上げます! 我らの船手衆、能登所口湊を封じましてございます」


「ふふふふふ、さてもさても(なんとまあ)弱し事よ。七万と号してもその実は三万にして、城を本陣となしたる我らに勝る道理は何処いずこにあらんや」


 増山城の備えとしている一条隊は五千二百。


 城に詰めている神保と椎名の四千と千二百しか変わらない。隠尾かくりょう城他に備えている龍造寺隊も、上杉軍(城兵残党、地侍他)の城の奪還に備えなければならない。


 そのため、純粋に謙信の軍勢と対峙できるのは三万三千なのである。





 ■射水郡 水戸田村 小佐々軍(道雪)本陣


「道雪殿、このままでは埒があきませぬ。われら一隊、奇襲をもって敵を乱し、謙信を城より誘いて打ち合いたく存ずる」


 意見具申してきたのは、島津隊大将の島津義弘である。伊東隊と上杉軍の対決で勝負を決められなかった事で、挽回したいと考えているのだ。


「兵庫助殿、お気持ちはよく分きて(分かって)おります。然りながら奇襲とは、奇をもって襲う故、奇襲となる。いま謙信は守りを固め、いつ如何なる時にわれらが掛かりても、処する事能うよう、備えておろう」


 防御の陣形を組んでいるのだ。攻められることを前提にしている事は当然である。


 何かの拍子に緊張の糸が切れ、それを襲う、またはそうなるよう仕向けるのが奇襲であろうが、謙信もその事は十分にわかっている。


 そのため奇襲が奇襲にならない、と道雪は言っているのだ。


 いかにして火宮城、上杉軍を攻めるか? という軍議を続けていると、報告が立て続けに入った。


「申し上げます! 龍造寺肥前守様(純家)が郎党、成松遠江守様、長沢城を抜きましてございます!」


「何! ? 龍造寺勢じゃと?」


「同じく、百武志摩守様、富崎城ならびに銀納砦、抜きましてございます!」


「またも龍造寺か? ほほう……若いと聞いておったが、なかなかにやるではないか」


「申し上げます! 一条様が郎党 入江左近様、白鳥城を抜きましてございます!」


 龍造寺純家の指揮は予想外であったが、隠尾城や他の城の防衛に負担のない形で軍を動かし、上杉方の城を攻略したのだ。


 さらに道雪が指示していた一条軍別働隊の戦果である。


 夜陰に乗じて移動していたのは、謙信だけではなかったのだ。


 道雪は謙信が目の前からいなくなった事に驚いてはいたが、それとは関係なく、上杉軍の糧道を断つ戦術をとっていた。


「ふふふ、予想通り百も詰めておらなんだか。密かに命じておったが、かくも上手く成せりとは。兵法に曰く、動かざる事山の如し、動く事雷霆らいてい(激しい雷)の如し。声東撃西とはちと違うが、謙信よ、われらも案山子かかしではないのだ」


 龍造寺別働隊が落とした長沢城も富崎城も、隠尾城の裏手の山田川を川沿いに下ったところにある城である。


 山田川は神通川と合流している。


 神通川東にある富山城は上杉軍の前線基地であるが、神通川西にある白鳥城を道雪が奪った事により、完全ではないものの、上杉軍の糧道を断った形になったのだ。 


 越中の婦負郡(神通川沿い)、射水郡(海沿いを能登国境まで)の国人衆は、神保長住に従わず日和見を決め込むか、上杉方として参陣している。


 特に射水郡は神保長住が謙信に言ったように動員が出来ていない。道雪は謙信が噂をばら撒くと同時に、噂を流した。


 越中において謙信の知名度は高く、また影響力も大きかったため、小佐々海軍敗戦の噂の広がりは早かった。


 しかし、あくまで噂である。対して道雪が流布したのは事実なのだ。


 小佐々の海軍など聞いた事も見たこともないし、それにはるか遠い海の上の出来事である。


 だが、白鳥城や長沢城は実在し、城主や城兵も実在するのだ。


 知り合いもいれば見たこともある城なのだ。近隣の土豪や地侍が、どちらを信じるかは誰が見ても明らかである。


 そして道雪の次の一手は早かった。


「ははははは、良きかな良きかな。では島津殿、お聞きの通り富山城の西、川を挟んだ白鳥城が落ちたようにござる。上杉の糧道をことごと(完全に)塞ぐため、ここより東の願海寺城を落としてくだされ。おそらく謙信は後詰めに行くであろうから、当時(その時)は思う存分打ち合うてくだされて構わぬ」


「承知した!」


「三好殿、聞いての通り島津勢を除けば、わが勢は二万足らずとなり謙信と同じほどとなる。いかほど謙信が後詰めに向かうかわからぬが、当時(その時)に掛かる(攻める)べく、備えをお願いいたす」


「委細承知した!」





 ■上杉本陣


「申し上げます! 白鳥城、落ちましてございます!」


「なんと! ……いかん!」

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