第549話 謙信を囲む
天正元年 四月三日 卯の一つ刻(0500) 庄川東岸(大門新村) 上杉軍本陣 小雨
「申し上げます! 一里(3.927km)南に敵多数! 川を渡ってございます!」
「何い! ? 馬鹿な! 夜のうちに渡ったと申すか?」
昨日、日没後から降り始めた雨は一晩中降り続き、その雨が行軍の音を消していた。雨の降る中、しかも夜間の渡河を道雪は敢行したのだ。
「は、その数八千にございます!」
「何と! 御実城様、いかがなさいますか?」
「……ふむ。道雪とやら、陣が離れておるゆえ、川を渡った方が良いと考えたのであろう。然れどこちらが何かをせねばならぬ事はない」
謙信は落ち着いている。昨夜、島津軍が夜襲をかけていたのだが、謙信はそれを読んで撃退していたのだ。
「正面の三好の勢が掛かって(攻撃して)くればそれに臨み、北の島津とわれらの右翼を挟まんとするならば、それを阻めばよいのだ。良いか? 何も打ち合う事のみが
「然れど御実城様、このままでは兵の士気も落ちまする」
「今少し待つのだ。今少しで敵は自ずと退かねばならぬ事となる」
■庄川東岸(広上村) 道雪本陣 小雨
「道雪様、策というのはこの儀でございましたか」
「何度も言うが策というほどの事ではない。南北に長く、それも各々が
道雪は当初、渡河をすることを考えていなかったが、できることなら渡河したほうが全軍を指揮しやすいと考えていたのだ。
しかし普通に渡河をすれば時間もかかり、攻撃される恐れもあった。
そのため雨の日に決行を考えていたが、二日目にして雨が降ったのは奇跡であった。
「道雪様、小荷駄隊はようやく川を渡っておりますが、これも策なのですか?」
「小荷駄は致し方あるまい。万が一流されでもしたら大事ゆえ、腰兵糧のみ持たせて渡らせたのだ。幸い雨も小降りになっておるゆえ、昼過ぎには渡りきろう」
川を渡りきった兵達は陣を整え、純正が派遣した工兵と通信兵は櫓を新しく設置している。
■午三つ刻(1200) 庄川東岸(吉久新村) 島津本陣 曇り
「面目ございませぬ!」
「頭を上げてくだされ、次郎三郎殿(山田宗昌)。勝敗は兵家の常にござる。半日にらみ合いが続いたのです。雨と夜陰に乗じて奇襲を行う事、その裏を読んで備えてあった謙信が上手だっただけの事にござる」
夜襲に失敗した山田宗昌が、渡河を終えた島津隊本陣で頭を下げている。
「されど兄者、このままでは埒があきませぬぞ」
「そうよの。放生津の兵への抑えは肝付を残しておくとして、我らは三好勢と成合う(合流する)といたすか」
「上杉勢が二万としても、三好の一万二千とわれらの一万三千で二万五千。数では我らが上回っております」
「うむ。道雪殿も渡河を済ませたと聞き及んでおる。増山城の兵は気になる所ではあるが、一条勢の五千を充てれば取り合う事もなかろう(問題ない)」
「立花隊の八千が加わり、畠山の三千と国衆の二千を入れれば、上杉勢を取籠む事(包囲)能うでしょう。然すれば上杉勢の倍近くなります故、勝ち筋は見えてくるかと存じます」
「良し、では三好隊ならびに本隊に伝令をだすのじゃ」
「はは」
「上杉勢の五千はいかが致すでしょうか?」
「我らが挟み込むようにして南へ進めば、やつらもそれに合わせて南へ進むしかなかろう。ここにいて肝付の後ろを突いたとて、われらにさらに後ろを取られる故な」
島津隊は三好、立花隊と合流すべく、南下を開始した。
■申三つ刻(1600)
隠尾城唯一の虎口である北口に到着するまでの山道で、かなりの伏兵にあい兵力を削がれた杉浦軍であったが、さすがの大軍である。
用心し、兵を交替で休憩させながらの用兵で、昨日の日没までには到着していた。
折からの雨で士気は下がりつつあったが、玄任は鼓舞し、鉢伏山城攻めのための別動隊が到着するのを待った。
昼過ぎに別働隊が鉢伏山城に到着し、狼煙を合図に鉢伏山城と隠尾城に対して、同時に総攻めを仕掛けたのだ。
一つしかない攻め口に最初は苦戦したものの衆寡敵せず、夕刻には両城ともに開城し、城主である南部源左衛門尚吉ならびに息子の源右衛門は、城兵の助命を条件に自刃して果てた。
「ようやく落ちたか。残るは神保の増山城であるが、以後はゆるりと構えておればよかろう。千代ヶ
「は、武功も少しは残してやりませぬと」
「ははは、その通りじゃ」
■壇の城 龍造寺軍
龍造寺純家は千代ヶ様城攻めには伊万里・相神浦松浦・波多の二千に任せ、本隊の三千は分断を図るため、すぐ北側にある壇の城を攻めるよう指示を出した。
城兵は五百あまりであったが、この城も隠尾城と同じく攻め口は一つしかなく、それ以外の三方は切り立った崖と急峻な斜面である。
日の出と共に移動し、一隊が攻めかかった。
決死の城兵の抵抗はすさまじく士気も高かったため、交替しながら激しく攻撃したのであるが、あっけなく主郭に火の手が上がった。
城の西側からよじ登ってきた決死隊に火をかけられたのだ。
少ない城兵である。虎口の守りで手一杯であり、西と南の崖側の守備に割く兵がいなかったのだ。
「申し上げます! 西より敵が入りましてございます!」
「なに! あの崖をよじ登ったというのか?」
六倍の兵を持つ側の攻め方ではない。なぜそのような危険な攻め方をあえてしたのか?
攻めあぐんでいる千代ヶ様城の城兵の、士気を下げるのが目的であった。
早めに決着をつけたいという純家の目論見はあたった。
観念した城主の石黒成綱は自刃し、壇の城に火の手が上がったのを見た千代ヶ様城の城主であり弟の与三右衛門も、後を追うように自刃したのだ。
わずか半刻(1時間)後の事であった。
■酉三つ刻(1800) 庄川東岸(広上村) 道雪本陣 曇り
「申し上げます! 杉浦壱岐守(玄任)様、隠尾城ならびに鉢伏山城、抜きましてございます!」
「申し上げます! 龍造寺民部大輔(純家)様、千代ヶ様城ならびに壇の城、抜きましてございます!」
「おお、上々上々! 増山城は一条殿に任せるとして、これでわれらが明日より謙信を取籠めば、勝ちは間違いないぞ!」
四城の陥落の報せを受け、道雪は上機嫌である。
油断している訳ではない。兵力において勝っているのだ。急がなくても徐々に圧倒していけばよい。そう道雪は考えていた。
「申し上げます! 阿尾城、落ちましてございます!」
「「なんじゃと! ?」」
道雪よりも驚嘆の声をあげたのは他でもない、阿尾城主の菊池武勝であった。
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