第506話 武田勝頼へのKDA(小佐々家開発援助)と有用微生物群(EM)

 天正元年(元亀三年・1572年) 二月二十日 


 甲斐国と言えば黒川金山、黒川金山と言えば戦国の武田家を支えた甲州金を産出した金山として有名である。


 信玄の代に最盛期を迎えた黒川金山であるが、勝頼の代にはその産出量も減り、衰退しつつあった。黒川金山と同じく武田の経済を支えた湯之奥金山も同様である。


 また、駿河の湊としては東から江浦・沼津・吉原湊・興津・江尻湊・清水湊・久能寺浦・小河湊・石津など九つの湊がある。


 海運によって栄え、今川から引き継いだ武田もその恩恵にあずかっていた。





 ■京都 大使館


 発 権中納言(純正) 宛 治部大丞(純久)


 秘メ 武田ニ 貸シキ 五万貫ニ ツヒテハ 年ニ 一分八厘ニテ 返済ト 伝エヨ


 モトヨリ 取リ分ク(特別)ナ 扱イユヘ


 異論 ナキトハ 思フガ 支払イガ 苦シケレバ 良キニ計ラエ 秘メ





 発 権中納言(純正) 宛 治部大丞(純久)


 秘メ 甲斐 信濃 ニテ 葡萄 薩摩芋 加拉巴カラパ芋(ジャガイモ) ナド 


 寒キ 地ニテモ 育ツ 作物ヲ 選ビテ 奨メヨ 


 黒川 湯之奥 金山 奉行 並ビニ 吉原湊ノ 代官 アワセテ 話シ 


 手押シノ ポンプ ヲ 供スベシ 


 コンクリイト ヲ 用ヒ 河川 並ビニ 湊ヲ 整ヘヨ 秘メ





 発 権中納言 宛 治部大丞


 秘メ 吉原ガ 租借 ナラズバ 他ノ 八ツノウチ イズレカヲ ナセ 


 近ク 上洛ス ソノ後 東国ヲ 廻ル ヨロシク 秘メ





 純久の前には、武田の家老である曽根虎盛と金山奉行の田辺四郎左衛門、吉原湊の代官矢部美濃守の姿があった。


「さて、九郎左衛門尉殿、(え! ? なんじゃこりゃ!)ごほ、げほ」


「治部大丞殿、いかがされましたか?」


「いや、なんでもありません。お気になさらず」


 何枚もある書状を読み、最後の書状を流し読みしながら虎盛に声をかけた瞬間に、純久は咳き込んだのだ。


「ごほん。では九郎左衛門尉殿、かねてからの約束通り、五万貫は年一分八厘にてお貸しいたします。その上で条件の通り、吉原湊の租借をお願いしたい。もし能わざれば、他の八つのどれかを願いたい。いかがか?」 


 北条が臭い。臭う。まだ情報省からの連絡はないが、宣教師の件から考えると、嫌な予感しかない。


 純正は、嫌な予感がしてどうにもならず、情報収集のための前線基地として、吉原の湊を希望したのだ。


 吉原湊(静岡県田子の浦港)の開発(もしくは他の湊)⇒北条への牽制となる。


 純正にとって大事なのは力のバランスである。


 武田が小佐々への借金を返済したとしてもなお、豊かになって上杉・北条と並び、織田を牽制できなければならない。


 駿河は別として、どう考えても武田領国と織田領国では国力に差がありすぎる。祖父信虎時代から、領民に重税を課さなければならなかった重荷から、解放されてほしい。


 信長から、正直なところ文句がでるかもしれない。


 しかし、それはおかしな話だ。火薬や硝石を融通し、コンクリートの道路に情報の共有、留学生に大砲や軍艦の図面の提供。


 これだけやって、文句言われても、ねえ。それに武田は敵ではない。(なくなった)


 もちろん、対価は得る。十分過ぎるほど得る。


「われら金山衆としましても、近頃は……その、出づる金の量も減っておりますゆえ、新しき小佐々家の匠の技をお教えいただくならば、粉骨砕身励みまする」


 金山奉行の田辺四郎左衛門は言った。


「湊を整えていただける上に、新しき産物と船や荷の行き来が増えるのならば、異を唱えるわけがございませぬ。軍船の往来はやむなしかと存じます」


 吉原湊の代官矢部美濃守も同じく同意した。





 ■諫早城


 ようやく、完成した。苦節~年……。


 純正は転生した時から考え、行動に移していた。


 それは何か? トイレだ! 水洗トイレのウォシュレットに慣れた純正にとっては、そのにおいは苦痛でしかなかったのだ。


 実家が地方で農家だったというのもあるが、全国の下水処理人口普及率は平成に入っても五割に満たなかった。いわゆるぼっとん便所だったわけだ。


 しかし成人して都心部に出て働き出すと、もう戻れない。


 確か古代ローマやその辺では、都市計画で下水道が整備されていた、という記憶がある。しかし、なぜか廃れ、中世から近世・近代にいたるまで劣悪な下水環境があった。


 衛生面においても、臭いの面でも改善したかった純正は、下水道の整備を考えた。しかし、家畜の糞尿も人糞も肥料にしていた時代である。


 都心部ならまだしも、農村部では厳しい。


 そこで、農村部では民家自体も離れているし、肥料として使うのでひとまずは放置した。


 上水道は、江戸の上水道を参考にした。蒸気機関が実用化してポンプが使えるようになると関係なくなるのだろう。


 しかしまだ先の話だ。頑張れ忠右衛門に秀政、科技省のみんな。


 諫早には本明川と東大川という川がある。


 本明川は五家原岳を水源として有明海に流れ込む一級河川で、東大川は八天岳を水源として大村湾に注いでいるのだ。


 問題は下水道である。


 上水道とは逆に、各戸から集めて川に流せばいいかもしれないのだが、純正にとってはどうにもそれが許容できなかった。


 まず、見た目が悪いし臭いもするだろう。なんといっても垂れ流しというのがいただけない。


 最悪、一番下流もしくは海に流せば上水道の衛生的・生理的問題は解決されるだろうが、やはり気になった。


 そこで、生活排水を一カ所に集め、麹菌・乳酸菌・酵母・納豆などの発酵食品を入れて放置した。おがくずなどもあわせて混入し放置したのだ。


 もちろん、効果が出るのは数ヶ月後なので、排水タンクは民家の少ない場所を選んで研究を行った。おぼろげな知識では、単純にうんちやおしっこに混ぜればいいだろうと思っていたのだ。


 しかし事はそう簡単ではなかった。適切な温度や湿度、それからどのくらいの分量で混入すれば効果的な肥料になるのかが分からなかったからだ。


 全部混ぜるのか? 単品で混ぜるのか? 組み合わせの相性はあるのか?


 そもそも、化学者(科学者?)たちからの反発がすごかった。反発というか、嫌な感情をヒシヒシと感じたのだ。


 なんせ『うんち』であり、『おしっこ』なのだから。


 現在でも肥料として使っているのに、なぜ? という疑問が沸いたはずだ。


 これに食べ物である醤油や味噌、酒やパンなどを作る際に発生するカビを混ぜる? 培養する? など考えられないのだろう。


 しかし、忠右衛門ならわかってくれるはずだ。


 そう信じて、委ねた。


 幸い人畜し尿は硝石をつくるために大量に必要だったため、それとは別に運搬されて貯蔵されたので、日常生活に問題はなかった。


 もともとし尿を放置したりため込む文化がなく、肥料として古来より使ってきた日本では、公衆衛生という面では中世ヨーロッパより環境は良かったのだろうが、これでまた改善された。


 ポンプが使えるようになったり、化学的に処理できるようになれば、もっと便利になるだろう。人畜し尿に替わる肥料が一般的になれば、全てを近代的な下水道にできる。


 ともあれ、有用微生物群? だったっけな? EMの誕生である。


 生きているうちに、どれだけ現代に近づけるだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る