第499話 越中と越後の情勢 上杉謙信に挑む

 天正元年(元亀三年・1572年) 正月十八日 越中 井波城


「然ればおいらか(率直)に申し上げまする。越後の事にて、申し上げたき儀がござりてまかり越しました」


 日高甲斐守このむの言葉に瑞泉寺証心と勝興寺顕栄は顔を見合わせる。


「越後の儀、にございますか」


 顕栄が確認するように訊いた。


「はい、そろそろお心をお決めにならねばならぬ時期かと思いましてまかり越しました」


「これは異な事を承る。われらの心とは? そして越後とは、何のことにございますか」


 証心も顕栄も、初対面の喜に対して警戒心があるため、本音は語らない。


「一揆のただなか(代表)たるお二人には、上杉の動きが気になるのではございませぬか? こぞ(去年)は運良く退けましたが、次は厳しいと考えまするが……」


 喜は昨今の畿内の情勢を事細かに二人に教え、本腰を入れた次の上杉の攻撃には耐えきれないのではないか、と問いかけたのだ。


 事実、武田は代替わりをしてから大きな動きはない。


 ここしばらくは動かないであろうし、北条との上野の戦線も、武田が仲介となって諍いを収め、大きな動きは見せないと思われた。


 そうなれば謙信は、後顧の憂いなく越中を攻められるのだ。上野は上杉・武田・北条の勢力が入り組んでいるため、武田としては大きな騒ぎに今はしたくない。


「なるほど、それで甲斐守殿は、何をしにまいられたのですか」


「は、されば我ら小佐々家中にて謙信公と、証心様ならびに顕栄様の和睦の調停をいたしたく、参りましてございます」


「「和睦ですと?」」


 二人は顔を見合わせて言った。


「わられは能登守護の畠山や越後守護代の長尾、越中守護代の遊佐と年頃(長年)にわたり刃向こうて(敵対して)きました。謙信、いやさ祖父の能景よしかげの代より争うてきた上杉と、和睦能うのでしょうか?」


 証心が訊く。


「左様。われらとやつらは相容れませぬ。意趣(考え)の違う者がいかようにして和睦いたすのでしょうか」


 つづく顕栄。


 二人の疑問はもっともである。和睦をし、破棄しては戦いまた和睦をする。百年以上も戦い続けている。どちらが正しくどちらが悪いのか。


 そのどちらも正しいのだ。どちらかの正義はどちらかの悪になる。


「御二方は考えた事はございましょうや。なにゆえに親鸞様の教えを(いわゆる一向宗)信じる者達がいさめられ(禁止され)、封ぜられ(抑圧され)るのか」


「禅問答をしている暇はありませぬ。われらの寺の利得の権を奪いたいのでしょう」


 的を得ない質問に、証心は少しだけ表情を変える。


「それもあるでしょう。しかし一番は、怖いのです」


「怖い?」


「左様にございます。皆様の教えは、ただひたすらに南無阿弥陀仏を唱え極楽浄土を願うもの。それは時に恐ろしい力を生みまする。その力はすさまじく、政を行う者としては恐れでしかないのです」


(※浄土真宗の教えはもっと深いと思いますが、ざっくりと説明しています)


「ただひたすらに一つのことに専念する事、それゆえ一向、一向宗と呼ばれるのです」


「……」


「……」


「して、挙句(結局)は、われらは何をすればいいのですか」


「浅し(簡単な)事にございます。これは上杉にも言える事ですが、あれも要るこれも要る、お互いが言い合ってはらちがあきませぬ。捨てるものは捨て、残すものを残せば良いのです。上杉の恐れもなくなりましょう」


「何を捨てれば良いのでしょうか?」


「そうですね。例えば……先ほど証心様が仰せになった利得の権、それをいくらか渡せば良いのです」


「な!」


 顕栄は思わず声に出してしまったが、証心は黙って聴いている。


「利得の権、すなわち銭にございます。銭でもよし、その利得でもよし、相手にいくらか与えれば争いもなくなりましょう」


「信長に対して石山の御坊が五千貫を渡したというが、同じ事をわれらにもやれ、と?」


 証心が具体例をあげて訊く。


「おいらか(率直)に申さば、左様にございます。然りながらこれは、一つの例にございます。他にも……」


「是非に及びませぬ。なぜわれらが父祖伝来の利得の権を渡さねばならぬのですか」


 顕栄は少しあきれつつ喜の話を聴いている。


「そこにございます」


「?」


 二人の視線が喜に集中した。


「その利得の権はなんのためにござろうか? 古来より寺においては広し(広大な)土地を持ちて租税を免れ、それだけで利得となっておりました。さらには関を設けて関銭を取り、市を開いてはその地代、酒や油を売らば銭になりまする。土倉の利息は年に五割から七割……あげれば切りがございませぬが……」


「もう良いでしょう。結局(要するに)何がいいたいのですか」


「その銭で、鉄砲などの戦道具をそろえ、兵糧矢弾を蓄えるゆえ、戦が起きるのです。備えのためにしては、いささか過ぎし量にござりませぬか」


 本願寺をはじめ、比叡山延暦寺や奈良の興福寺に代表される寺社勢力は、大名の領国経営を危うくする、いわゆる武力をもった財閥のようなものであった。


 僧兵や傭兵を常時かかえていなくても、その資金力は不気味な存在だったのだ。


「然れど、備えねば奪われまする。誰がわれらの自在(自由)を守るのですか」


「そこは、根気よく言問を続けるしかございませぬ。相手も戦は望まぬでしょう。その調停をわれらが行おうというのです」


 ……。


 二人はしばらく黙っていたが、結局日高喜の勧めに従って、上杉との和睦の調停を頼む事となった。


 いずれにしても攻め込んできたら戦わなければならないし、戦わないに越したことはない。


 要するに上杉の出す条件が、能登畠山や守護代の出す条件が、のめるか否か、なのである。






 ■越後 春日山城


「御実城様、小佐々家中、太田和治部少輔様がお越しになっています」


 近習が謙信に伝える。


「ほう、小佐々の……。さて、何のようであろうの」


 須田相模守満親も、様々な予想をしながら謙信の答えを待つ。


「……。せっかくおいでになったのだ。通すが良い」


 謙信と満親の前に、小佐々の狐、利三郎が相まみえる。






 ■諫早城


「直茂よ、越中は、越後はどうなるかな?」


 鍋島直茂と将棋を指しながら、越中と越後間の、和睦交渉の進捗の予想を訊く純正である。


「然れば、和議はなるでしょうが、和睦となると題目(条件)においてはすこぶる(かなり)あざわる(揉める)かと存じます」


「成るかな?」


「わかりませぬ。不識庵殿が何を望まれ、越中の一向一揆がどこまで許すか、にございましょう」


「越中の寺の住職達は、利権、利得を手放すだろうか」


「恐らくは、うちまかせては(簡単には)ゆかぬでしょう。これは、わが領国の寺も変わりませぬ。御屋形様は自在(自由)に商売をさせ、石けんなどを売りし時も、彼の者らに利のあるようにされております。それゆえ一揆が起きぬのです」


「そうだな……。しかしもし、上手くいかない場合は……」


「その時は、いかがなさいますか?」


「その時は、利得など持っていても仕方がないと思えるほどにするしかあるまい」


「と、おっしゃいますと?」


「まずは放生津の湊より越前の敦賀や若狭の小浜に船を往来させる。そこで利を考えずに商人や旅人を乗せるのよ。京へ向うのなら、陸より海の方が早いし休めるであろう?」


「それで馬借や関銭からの利得を奪う、というのですか?」


「その通り。放生津は岩清水八幡宮が司って(支配して)おるから本願寺はなにも出来まい。高利貸しにしてもそうだ。年五割とかありえん。しかと証文を交わし、低利で肩代わりする。酒も油も、越中産のものに負けるとは思わぬ。同じ値で売っても売れるであろうし、値引けばさらに売れるわ。それでも十分に利はとれよう」


「まさに、武をもってではなく、銭で統べるのでございますね」


「その通り。そしてこれは謙信にも言える事」


「越後の龍を、敵に回すのでございますか?」


 直茂は少し驚いたようだ。


「そうではない。加賀と越中は、そのままの方が良い。上杉と織田の緩衝地帯に……ええと、国境を接しないようにじゃ」


「なるほど。織田を大きくせず、上杉もしかり、と?」


「そうだ。お主らが散々言ってきた事だろう? 事ここにいたっては、織田、武田、上杉、北条が、ほどよく在るのが望ましいのだ」


 直茂はどことなく、嬉しそうだ。


「なんだ? どうしたのだ?」


「いえ、何でもありませぬ」


「ともかく、越後と言えば青苧が知られておるが、青苧は西国にもどこにでも生えておる。職人をかき集めてつくらせれば良いし、越後の湊という湊より、物が安く買えて高く売れるようにすれば良い。そのための蝦夷地交易でもあるのだからな」


 直茂がニコニコ笑っている。


「ご慧眼恐れ入りまする」


 純正と直茂の将棋を指しながらの会話はつづく。

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