第482話 甲斐武田家、ハードランディング?

 元亀二年 十月五日 京都 大使館


 先日の純久の申し出どおりに関白二条晴良邸に伺うことになり、三人は午前中から手土産を選んでいた。


「関白様は甘味がお好きなので、いくつか中ノ屋の茶菓子店より持ってこさせました。一人一つずつ、進呈なさればよろしいかと存じます」


「そうだな。礼儀として進呈するとして、事は小佐々家中の一大事、そうなれば関白様にとりても一大事であろう。われらが三人にて謁見し、つぶさに事情を説明いたして、お力を借りるといたそう」


 純久は金平糖、直茂はカステラ、利三郎は『プリン』を選んだ。期せずして固い、ふんわり、ぷるんぷるんの食感になったようだ。






「大使、九郎様がお見えです」


「うむ、来たか。しばし待ってもらうのだ」


 純久は佐吉にそう伝え、利三郎や直茂の顔を見る。


「治三郎、誰が来たのだ? 来客であれば外すといたそう」


 利三郎はプリンの匂いが気になる。


 しかし晴良に献上する物を食べる訳にはいかず、またそれを他の二人に知られる訳にもいかず、ほんのり香るプリンの匂いを楽しむしかなかったのだ。


「いえ、それがしにではござりませぬ、われら三人の客にございます」


「何? いったい誰なのだ?」


「はい、先日お知らせいたしました、武田の遣い、曽根九郎左衛門尉と申す者にございます」


「な! お主、その者、来ることを知っておったのか? なぜ言わぬのだ」


 利三郎は驚き、直茂は『やれやれ、また始まった』という顔をしている。


「それがしも今日来るとは思いませなんだ。数日中に来るとは聞いておりましたが、まさか今日とは。いやはやわれらは運がいい」


「何が運が良いのだ?」


 純久の言葉に、利三郎が疑問を投げかけた。


「考えてもみてください。武田が我らと誼を通じたい、しかしわれらは織田との盟約のためそれができぬ。であれば武田が織田と和睦しなければなし得ぬ、という事にござる」


 純久は大前提の話をした。


「然もありなん(そういう事だ)。掛け合いやすくするために関白様に動いていただき、勅許を発してもらう運びであろう?」


 先日の会議で決まった事である。


「左様にございます。しかしそれでも、備えはあった方がよいのではありませぬか? 諫早での会議においても、織田が和議に応じるとして、その条件が問題にございます」


 織田と武田の和睦は正直難しい、というのが小佐々家中として出した結論であった。それを可能にするために、武田が出せる条件を事前に知っておこうというのだ。


「なるほど。われらとしても、条件を知りて弾正忠様と掛け合うのと、知らずにでは雲泥の差が出て参ります」


 直茂が腑に落ちたように手をポンと叩いて言う。


「では、会うてみるとするか」


「はは」






「武田大膳大夫様が家臣、曽根九郎左衛門尉にござりまする。このたびは謁見の場を設けていただき、誠にありがたく存じまする」


 虎盛(曽根九郎左衛門尉虎盛)は純久だけではなく、二人も知らない男がいるのに驚いたが、すぐに上座にいる利三郎に気づいて座り、あぐらで正対して平伏して挨拶をした。


 ちなみに、靴は脱いである。


 洋間とは言え外国の家ではない。現代人純正風の文化の影響を受けた大使館では、洋間であっても靴は履いていない。


 スリッパ(のようなもの)をはいているのだ。


「はじめてお目にかかる。小佐々近衛中将様が家臣、太田和(利三郎政直)治部少輔にござる。小佐々家の渉外一切を取り仕切っておる」


 利三郎をはじめとした旧沢森家(現太田和家)の人達は小佐々姓を名乗ることが許されていたが、そう簡単には名乗らない。


 与えられた特権、という訳ではないが、やはりこの時代の人達には重要な事らしい。


「鍋島左衛門大夫にござる。小佐々家の政道を決める合議の場の長を務めておる」


 鍋島直茂は小佐々家の政策決定に重要な位置づけである、戦略会議室の室長である。


「それがしは、もう知っておるな」


 純久はニコリと笑い、虎盛の緊張を和らげようとする。気圧されてはならないとわかっていても、大国小佐々の重鎮三人が目の前にいるのだ。


「ささ、面を上げられよ。畳ではないゆえ、このままだと罪人を見ているような気分になる。ささ」


 利三郎に促され、虎盛は立ち上がってテーブルの下座、利三郎と正対するように座る。大使館には謁見の間というのがない。人と会うときは小~大会議室で会うのだ。


 今回はその小会議室である。


「さて、おおよその話はこの治三郎(純久)より聞いておるが、こたびは、いかなるご用にござるか」


 武田家も由緒ある、そして大身であるが、小佐々家はいわば超大身である。そうなると必然的に武田が下にならざるを得ないが、卑屈になってはいけない。


 そう言う考えが虎盛にはあった。相手を立てるのと卑屈になるのは、意味が違うのだ。


「は、されば申し上げまする。こたび小佐々御家中の重鎮である御三方が、京の都にて一堂に会するは、ひとえにそれがしが先日願い出たる件にて、武田と織田のお取り成しをいただく事かと存じます」


 虎盛は気圧される事なく、正対し、はっきりと告げた。


「うむ」


 利三郎もこの若者がどのような人物かを見定めようとしている。


「その上で武田の本意をつぶさに申し上げたく、参上した次第にございます」


「ふむ。本意とな? そわすなわち、日ノ本の西半分をすべ、朝廷の覚えよろしいわが小佐々家と懇意になりて、織田家と戦うても負けぬ算段ととるためと思うておったが……違いしや?」


「然に候わず」


 利三郎は表情を変えない。


「ほう、何が違いしか?」


「は、されば我が武田家が、小佐々家と懇意になりたいというのは本意にござる。然りながら、織田に負けぬように、というのはいささか違いまする」


「ふむ」


「確かに当代の大膳大夫様におかれては、家督を継いだばかりにして、国の乱れを危ぶむ声もありましょう。然れど、武田は未だ織田に負けてはおりませぬ」


「……」


「先代より仕える名臣多く、戦における謀、精強なる騎馬ならびに戦道具の備えあり。戦いては大勝ならずとも、大負けにはなりませぬ」


 勝つか負けるか、それはやってみなければわからない部分がある。しかし、この時点で当たっている部分も多いのだ。


 信玄というカリスマが死んでおり動揺が大きいとは言え、勝頼を当主として、長篠の直前までは信玄よりも多くの領土を獲得している。


 勝頼が無能であった、とは考えにくい。


 長篠(設楽原)での決戦は失敗だったとはいえ、浅井・朝倉が勢力として残っており、本願寺や三好義継、松永弾正他の包囲網勢力があれば、信長は全力で三河方面へは向かえなかったはずである。


 要するに今の信長も万全の状態ではないのだ。


 朝倉を滅ぼし、少なくとも松永を服属させ、本願寺他を無力化した状態でなければ、圧倒的な優位性は確立しえない。


 そしていまだ奥三河の山家三方衆は寝返っていない。北遠江の天野氏も同様である。


「……結局、何が言いたいのでござるか? 今のままでも織田には負けぬが、備えとしてわれらと誼を結びたい……。はじめにそれがしが言うた事ではござらぬか?」


「然に候わず。もっとも他に先んずべきは、わが武田家を富み栄えさせる事にござる。そのためには小佐々御家中との友誼は必須と考え申した。織田家と再び相まみえるかは、その果ての事(結果論)にございます」


 要するに、小佐々の強さや得たいの知れない様子をみて、感じ、敵にするべきではないと判断したのだ。その上で三年間は領国経営に専念し、他国は攻めない。


 そして万が一織田家と再び事を構える事になっても負けぬよう、小佐々家と親交を深めることで、富国強兵をなし得ようと考えているのだ。


 どっちもどっち、言い方の違いだけのようだが、これ自体は悪い事ではない。


 武田は今までの攻め取って豊かになるという、いわゆる騎馬民族であるモンゴル帝国のようなやり方から、富国強兵に重きをおいた政策に舵をきったといえよう。


 国の存亡をかけた外交なのだ。どこでもやっている。であるならば相手に好印象を与えつつ、卑屈になってはならない。


「左様でござるか。では交易に関して言えば、お互いに足りぬ物を買い、あるものを売る。これは良いとして、われらと誼を通ずるとなれば、織田家と武田家が、少なくとも和睦せねばなし得ぬ。これは心得ておられるな?」


「はい」


「されば古今東西において和睦の条件とは、それを言い出したる側が譲りて出すものにござるが、よろしいか?」


「は、されば、能うるならば如何様にもいたしまするが、あまりに譲りては家中が納得いたしませぬ」


 虎盛の言葉に利三郎は考え、直茂と純久の顔を交互に見る。


「それは一体どういう事にござるか? あまり条件を出したくないように聞こえるが」


 利三郎は虎盛に聞くが、意に介さない。


「然に候わず。出したくないのではなく、あえてただちに、出すまでもないのではないか、と申しておるのです」


「意味がわからぬ。なぜ和睦を申し出る側がそのような事を……条件を出すまでもないとは何なのでござるか?」


 それは……と虎盛は純久をチラッと見て答える。


「弾正忠様も中将様も、それを望んでいるからにございます。少なくとも今、われらと戦いたいとは考えていますまい」


「なにゆえそのように考えるのでござるか? 弾正忠様と会うた事もなければ、どのような方かも知らぬのでござろう?」


「はい、存じ上げませぬ。然りながら、もしそれがしが弾正忠様なら、今、武田家とは戦いたいとは思いませぬ。武田家と戦うならば、織田家中の全てをかけねば、勝てますまい」


 虎盛はさらに詳細に、武田家を取り巻く状況や織田家の状況を利三郎に話した。


 それに対する自身の分析と小佐々家の今後や織田家との関わり合い、純正の基本方針と、織田家が大きくなりすぎた場合の危険性なども含めてである。


 織田家にとっても今、武田家とは和睦しておいた方が良いこと、小佐々家にとっては織田家のこれ以上の勢力拡張を抑える意味でも、織田と武田の和睦が必要な事を暗にほのめかしたのだ。


 ……。


「治三郎(純久)よ、お主は一体どこまで喋ったのだ。余計なことをべらべらと喋ったのではあるまいな?」


 少しきつめの顔で、利三郎は純久を見る。


「とんでもありませぬ! それがしはただ『わが主は戦は好みませぬ。それは弾正忠様も同じ事』とだけ申し上げたのです」


「ふう……。……。わかり申した。貴殿の慧眼には恐れ入った。然りながら、これは誠に武田の御家中の総意にござるか?」


 利三郎は虎盛に、究極かつ根本的な質問を投げかけた。


 信玄が死んだ、死んでいないなどは、もはや議題にも上らない。織田や小佐々は死んだと断定して動いているし、武田はあくまで病気療養で隠居。


 この期に及んでは、信玄の生死はどちらでも良かったのだ。大きく政策を転換すると言うことは、信玄の意は存在しないという事を意味している。


 ここで政策転換するなら、そもそも西上作戦など起こしていない。


「それは……どう言う意味にござるか?」


「そのままの意味にござる。そうですな。例えば……穴山玄蕃頭(信君・梅雪)殿や木曽佐馬頭(義昌)殿、それから……小山田左兵衛尉(信茂)殿などは、いかがにござろうか?」


 名門甲斐武田家の一門としての誇りがある穴山梅雪、独立領主としての立場の強い小山田信茂、そして織田と国境を接している木曽義昌などは、早々に調略の手が伸びているかも知れなかった。


「……その心配はご無用にございます。織田家に関しては、御三方の思われる良いようにお取りなしいただきますよう、お願いいたします」


 結局、武田家の織田家に対する具体的な譲歩案は出てこなかったが、最終的にはいくらかの譲歩はするだろう。考えられる点は以下のとおりである。


 ・美濃、三河、遠江の領地返還

 ・起請文ないし人質

 ・賠償金

 ・武田領国のうち一部を割譲


 三年で国力を増大させると言っても、織田家の国力を凌駕するとは思えない。


 状況としては時間が経てば経つほど、武田家は不利になっていくのだ。それは虎盛も、利三郎ら三人もわかっていた。


 現実的に考えて、武田もいくらかの譲歩は必要だ。


 武田は不利になっていくが、織田は有利になる。織田が有利になる、という事は小佐々にとっては不利(ではないが、望まない状態)になることを意味する。


 それに虎盛は、もし和睦がならないのであれば、一年のうちにでも兵を整え、一戦交える覚悟があると態度で示したのである。


 それは仮に織田家だけでなく、小佐々家が敵となっても同じであったろう。


 いっその事武田を攻めて滅ぼすか? 


 いや、地の利で考えれば楽勝だとは言い難い。利三郎は一瞬その考えが浮かんだが、会議で決まった路線方針とは著しく乖離している。


 史実では、長篠の戦いの敗北からあれよあれよと凋落し、一門衆からも見放されたが、最後まで抵抗して自害して果てたのだ。


 降伏はしないだろう。決死の覚悟で山中でゲリラ戦を戦われれば、こちらも無傷ではすまない。


 新生武田家の門出は前途多難ではあったが、小佐々家にとっても織田家のこれ以上の拡大は隠れた脅威であったのだ。


 大国となった小佐々家であるが、力任せではなく、慎重に考えていかなければならなかった。

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