第453話 駿河守の策略と忠義の試金石:吉川駿河守と鍋島加賀守の運命
元亀二年 四月八日 吉田郡山城
「駿河守殿、それは一体どういう事かな? 直茂、よいな?」
「は、ははあ」
さすがの鍋島直茂も、歯切れが悪い。純正の恩情で不問にされた事であるが、元春が言った事が本当ならば、自分も罪を負わなければならないからだ。
「中将様は畿内から西を治むるにあたり、謀反や騒乱、一揆を防ぐ事を大事と考えておられます。されば、各諸大名が大きな力を持ちたるは好ましからざる事にございます」
うむ、とうなずく純正。
直茂は自分の行為は間違った事だとは思っていない。しかし、純正に知らせず行動したことは、罰するに値するのだ。それは直茂もわかっている。
「力を持ち過ぎたるは騒乱の元となり、中将様をないがしろに勝手な振る舞いをしまする。ゆえに中将様の力を強め、大名の力を弱めることが肝要にござりました」
「続けよ」
「は、そして忠義を試すために、謀反の種をあぶり出し、大乱になるのを未然に防いだのでございます」
「大乱が起きると?」
「はい。起こらぬとは言えませぬ」
「ふむ」
「先日の湯築城で行われた言問の場での中将様のなさりようは、それがしをわざと怒らせ、毛利家中に亀裂を入れて、反乱を起こさせるのが狙いだったのではござりませぬか」
純正はそれには答えない。
「もしそうであるならば、半分は成功で、半分は失敗いたしました。それがしは、毛利が小佐々家中に対して、過去に行った事は信義にもとる事なれど、到底呑めぬ条件と考えてございました」
元春はさらに続け、純正も黙って聞いている。
「さりながらその後の隆景の話を聞き、職人を遣わす事や無利子の銭の融通、様々な生業を育つるを助く事、得心いたしました。されど言問があると聞き、尼子の一件でおそらくまた難題を課されるとも考えておりました」
「うん」
「はたして能義郡の割譲の話が出て参り、それがしは怒りを露わに一戦も辞さぬような振りをいたしました」
振り、という言葉に純正が少し反応する。
「当主右衛門督様と弟に抑えられいったん退座した際は、この駿河守は気でも触れたのか、はたまた真に戦を起こすのか、と全員が思われたに相違ありませぬ」
「あれは……あの言問の場でのその方の振る舞いは、すべて振りだと申すのか?」
「はい、さようにございます。すべて駿河守は本気だと思わせるための振りにございます。果たして赤松や浦上は、すぐに書状を送って参りました」
「ほう、何と書いてあったのだ?」
「駿河守殿の立ち居振る舞い、実に見事、胸のすく思いでござった、と」
ふふふ、と純正は苦笑いする。まあ確かにそうだろう。自分からすすんで服属するのではない。やむにやまれず、力に屈して服属するのだ。実に痛快であったろう。
そう純正は思った。
「なるほど、では次だが」
純正はこの議題を変え次に進めるつもりだ。直茂はまな板の鯉のような気持ちであったが、事を起こしたことに関しては不問なのか? と思った。
しかし潔く沙汰を待つしかない。
「駿河守殿、なるほどこれで疑わしき輩は全て討ち滅ぼしたとしよう。しかしまだ、毛利が残っておるぞ」
場に緊張が走った。輝元も隆景も、その場にいる全員が息を呑んだ。
「毛利が大国である事に変わりはない。この後わが小佐々に刃向かわぬ、と言う証はあるのか?」
しばらくの沈黙の後、元春は自信ありげに堂々と答えた。
「ございます。しかしながらそれは、目に見える証ではございませぬ」
「どういう事だ?」
純正は尋ねる。
「およそ戦を起こすとき、謀反を起こすときというのは、天の刻が肝要かと存じます。そして天の刻とは今にございます」
純正をはじめ全員が元春の言葉に耳を傾ける。
「公方様の毛利が播磨、美作、備前を治めよとの御教書しかり、弾正忠様を倒せとの御内書が諸大名に行き渡り、武田信玄の西上によりて今は織田家の瀬戸際にございます」
「うむ」
「したがって東からの後詰めはありませぬ。また、中将様は南に大敵を抱えておりますれば、小佐々家に勝たんとすれば、今をおいてございませぬ」
いわんや、と元春は続ける。
「いわんやその有り様にても、小佐々に吉川が、山陰山陽の諸大名が勝てるわけがございませぬ。これが毛利が逆らわぬ理由にございます」
全員が狐につままれたような顔をしていたが、純正は理解した。しばらく考えた後に純正は言う。
「……なるほど。勝ち味のない戦の上、千載一遇のこの機会にさえ兵を起こさぬのであるから、この後謀反など起こすはずもない、と?」
「仰せの通りにございます」
「ふむ、みな、どう思う?」
純正は幕僚に対して順に聞いていく。
「は、形のないものゆえ、証とするかどうかは御屋形様のお心次第かと存じますが、叛意の有無はわかりませぬ。しかしながら、起こすかどうかを利をもって考えるのであれば、この先に機はないかと」
直茂は理路整然と答えた。起請文さえ反故にされる時代である。直茂は実利で考えたのだ。
「恐れながら申し上げます。こたびの件、駿河守殿がおっしゃること、得心いたしました。しかしながら、その行いの末に謀反の輩がわかりても、それすなわち毛利の逆心なしとは言い難いかと存じます」
佐志方庄兵衛は、利によって謀反するも、義によって謀反するも、両方あると言っているのだ。理屈ではない、感情論である。
「正直なところ、わかりませぬ」
尾和谷弥三郎は言う。
「謀反するかしないか、わからないという事か?」
「左様にございます。謀反とは、主君に義なし、と思う時、はたまた私利私欲に走るとき、様々にございます。されば、叛意があるかどうか、これから起こすかどうかなど、わかりませぬ」
「ふむ、清良はどうか」
「それがしも同じにございます。物事の良し悪しを、行いの末の有り様のみにて決めるは、淡そか(軽率)にして、国の大事を誤りかねませぬ」
「直家はどうか?」
「は、結びから申さば、良きことかと存じまする。それが小佐々家中の事を案じてか、はたまた吉川毛利の事を考えてかは、正直駿河守殿にしか、わからぬ事にて」
「うむ」
「さらばそれをここで論ずるは、詮無きこと。ただ偽りて行うは、褒めらるる事にはござりませぬ」
「そうだな。官兵衛、お主はどう思う?」
「は、駿河守殿のおっしゃるように、御屋形様に弓矢をむけるは、今をおいて他にありますまい。ゆえにこの先、よほどの禍事や厄災がない限り、起こらぬと存じます」
第一師団長の小田鎮光少将、第二師団長の小田賢光少将も同じ意見であった。
「そうか……」
純正は考えた。目をつぶり、じっくりと考えたのだ。
「よし、あいわかった。こたびの件、謀反人が明らかになったため、不問とする。しかし、俺に偽りを申した事においては、捨て置いては、後々禍根を残すことにもなりかねぬ」
純正は輝元、隆景、元春に目をやり、そして直茂をはじめとした幕僚を見る。
「直茂よ、駿河守の沙汰はいかがする?」
ここで純正は直茂にあえてふった。
「は、はは、されば……」
直茂は戸惑いながらも、居住まいを正し、純正に正対して答えた。
「されば駿河守殿においては、御屋形様の臣下にあらず、さりとて盟約を結びし毛利の柱石。毛利家中との盟約は五分にあらず。小佐々が六分にござれば、下の者が上の者に、不忠ならざるとも不義を働いたのは確かにござる」
「うむ」
「切腹ならびに所領を召し上げるは、余りに重き仕置きかと存じます。この上は戦にて二心なきを証とし、その後蟄居にてしかるべき刻を過ごすのが、妥当かと存じまする」
「なるほど、わかった。……では、臣下が主君に対して偽りを申し、謀るような行いをしていたなら、なんとする」
直茂は凍り付いた。しかし、仕方がない。いつかは来るだろうと、どこかで覚悟していた事であった。意を決したかのように静かに、はっきりと答えた。
「は、臣下となれば話は別にございます。不義にあわせて不忠も重なりまする。切腹または所領召し上げ、流罪ならびに蟄居等、重き裁きをせねばならぬかと存じまするが、全ては御屋形様のお心次第かと存じます」
直茂は覚悟するほかなかった。一昨年島津との件を不問に付されたとは言え、今回の元春のような純正を騙すような行為が、再び起きないとは言い切れない。
「そうか……。あいわかった。まずは謀反人の討伐じゃ」
純正はそう言って会議を終わらせた。
結局直茂は一年間の減俸と一ヶ月の蟄居となり、元春は謀反人討伐戦の尖兵となり忠誠心を示す事となったのだった。
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