第448話 信玄、動く。
元亀二年 三月四日 諫早城
発 純久 宛 近衛中将
秘メ ◯二二六 信玄 甲府ヲ 発テリ 東美濃ヨリ 三河 ナラビニ 駿河ヨリ 遠江ヘ 二手ニ ワカレ 進ム模樣 コノ報セ 弾正忠様ニモ 送リケリ 秘メ ◯三◯一
京都大使館の純正から、信玄が挙兵し美濃経由で三河、駿河から遠江へ進軍を開始したという連絡が入った。
おそらく、最後のパーツ、山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)の寝返りが確実となったからだろう。
山家三方衆は、奥三河で勢力をふるった三河有数の国人衆である。
家康にとってかなりの痛手であるとともに、(史実では)やすやすと侵攻を許す一端となった、許すべからざる者たちであった。
純正は現時点での情報を精査し、信長へ書状を送った。
弾正忠殿
拝啓 雛月の候 弾正忠殿におかれましては、益々ご清祥のことと心よりお慶び申し上げ候。
さて、すでにお聞きおよびと存じ候へども、武田信玄入道甲斐より出て、三河遠江へと兵を進めて候。
いまだ畿内の諸大名の動き確かざるとも、京の守りは万全にて、心配は無用に候。
また、われの知りたる報せは、別に記しており候。
敬具
近衛中将
織田軍の動きに関して介入はせず、ただ、小佐々軍が守るので京の心配は無用だと言う事を伝えたのだ。本願寺にそそのかされた大名達の事は後回しにして問題ないでしょう? という意味合いも含んでいる。
第一次包囲網の時のように、京都を守るために野田城・福島城の戦いを行い、浅井朝倉勢に後背をつかれる事もないのだ。
本圀寺の変ならぬ大坂天王寺の戦いの時は、小佐々家の所司代軍単独であったが、今回は大局的に見ると織田と徳川、そして小佐々軍の共同軍事作戦とも言える。
一万二千の軍勢が京都を守り、阿波三好と水軍衆が石山本願寺を牽制する。それにより信長は、長政の一万五千を越前に残し、残りの四万五千を徳川の援軍に回すことができるのだ。
徳川軍の一万とあわせて五万五千。
対する武田軍は信玄本隊が二万五千に、山県昌景が率いる別働隊の五千をあわせて三万である。数の上では、織田徳川連合軍が圧倒的に有利である。
しかし、二倍程度の戦力差を覆した戦は古今東西いくらでもある。
それに甲斐兵は、一人で尾張兵五人に匹敵すると言われるくらいに精強である。
その総帥たる信玄は戦国最強軍団を束ねる名将であり、またその麾下の四将も、他国であれば大名に匹敵する実力者だ。
予断を許さない。
発 近衛中将 宛 純久
秘メ 純久指揮ノモト 京ヲ守ルベシ 松永 三好 ナラズトモ 帝ノ 宸襟ヲ寒カラシメル 事ノ ナキヤウ 守リヲ 固メルベシ 阿波三好 ナラビニ 陸海軍ニテ 摂津和泉ノ 敵ヲ 圧スル 織田水軍ニモ 助力ヲ 願フ 秘メ ◯三◯四
本願寺と朝倉義景からの再三の催促はあったようだが、すべての準備が整って、信玄は満を持しての進軍というところだろう。
史実での信長の援軍の数は定かではなく、しかし越前の軍をまわせない状態であったのは確かである。その結果、家康は三方原で完膚なきまでに叩きのめされた。
前世の史実では、来年の元亀三年(1572年)九月二十九日に出陣するのだが、一年半ほど早まっている。しかし、織田・徳川連合軍にとって不利な状況ばかりでもない。
史実とは違い、現世では純正たち小佐々家が西日本を支配下においている事だ。それに浅井朝倉連合軍ではなく、朝倉軍は単独であり、すでに内部分裂をしていた。
発 総司令部 宛 第一師団第一旅団司令部(美保関)
秘メ ◯二二六 武田信玄 甲府ヲ 発チテ 徳川領ヘ 攻メ入レリ 弥生ノ ウチニ 御教書 発給サルル 恐レアリ 万カ一 発給 セラレタナラバ 駿河守(吉川元春) 兵ヲアゲントスルデアラウ 尼子ト協力シ 防ギ 努メヨ 秘メ ◯三◯四
美保関に派遣した第一師団の第一旅団司令部ヘは、吉川元春の離反に備えるように指令をだした。もし元春が挙兵したならば、天敵である尼子をまず滅ぼそうとするだろう。
その前哨戦ではないが、石見銀山と美保関、そして宇竜の湊に奥出雲。
まずはこれらを確保して、各地の反小佐々勢力を糾合し、山陽山陰全域をまたいだ大乱を起こすと純正は予想していた。
速く、正確な情報の取得と精査、そして分析を行って決断をくだす。
反乱を速やかに鎮圧し、新しい秩序を構築するために、薩摩の島津義弘と豊後の大友宗麟にも文書を送った。コンクリートによる街道の整備は道半ばであったが、信号所と伝馬宿は先んじて造らせていたのだ。
発 近衛中将 宛 島津兵庫頭殿
秘メ 様々ナ報セヲ ヨクヨク吟味シタトコロ チカク 弥生ノウチニ 山陽山陰ニテ 反乱ノ 兆シアリ 陸海軍ノミデ 事足リルト考ヘルモ 念ノ為 後詰メノ 必要アリト 認ム 報セアレバ 薩隅日肥ノ兵 三万ヲモツテ 北上シ 豊後ヨリ 長門ヘ 渡ルベシ 秘メ
同じ様な文書を宗麟にも送った。宗麟は筑前と豊後、そして伊予と土佐をあわせた兵力だ。どちらも三万程度にはなるであろう。陸軍の兵力とあわせれば十万となる。
吉川元春をはじめ、反乱が予想される大名国人の兵力をあわせても二万程度である。
周到な準備をする純正であり、その勝利は揺るぎないもののように思えた。
兵数が上回っている上に、分散している。各個撃破して討っていけば、自ずと見えてくる勝利であった。
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