第358話 ゲーリケとドニ・パパンと源五郎、そしてライフル銃と一貫斎

 永禄十二年 十月二十二日 諫早城 未一つ刻(1300)


「殿、まずはこれをごらんください。蒸気のからくり、それがしは機関、と命名しましたが、その機関を説明するのに必要なのです」


 うわー。なんとなく、なんとなくわかるぞ。スマホを作るには半導体が必要で、その半導体にはシリコンやら熱伝導やら様々な基礎科学? や材料の加工が必要で……って事と同じだよね。


 純正は理解しつつも、早く蒸気機関の模型が見たくて仕方がない。


「うん、わかった。見せてくれ」。


 源五郎はスタッフに合図をし、何やら真ん中の球体に繋がれたポンプのようなものを上下に動かし始めた。最初は勢いよく上下させていたものがだんだんと遅くなり、やがて止まった。


「今、真空が出来ています」


「それがしが水銀でつくった真空を、使わずに真空をつくったのです」


 忠右衛門が補足する。やがて左右に繋がれた馬が一斉に反対方向へ引っ張るも、球体は剥がれない。頑強にくっついたまま剥がれないのだ。ものすごい力で繋がっている。


 源五郎が近づき、球体のレバーを引くと、プシューっと音がして空気が入り、簡単に外れて2つに分かれてしまった。


「どうです! これが大気の、真空の力です! 見てください、何もないところから、これだけの力で引っ張っても離れない、真空をつくったのです! それがしは今、それがしは、今! あのアリストテレスの『自然は真空を嫌う』を否定したのです!」


 うーむ、これ、後世の歴史書で『源五郎の球体』とか『天久保の真空実験』とか、呼ばれるんだろうか……。純正はそんな事を考えていた。


 真空になった球には外から大気圧がかかる。


 大気圧は1平方センチメートルあたり約1キログラム(1平方メートルなら約10トン)の重さだ。真空は圧力がないが、外からそれだけの力が加わっていたので、離れなかったのである。


 純正は子供の頃に、おもちゃのプラスチックの注射器を自分の手のひらに押さえつけ、引っ張って手のひらが吸い付くのを面白がった経験があった。


 それを思い出して思わず口にだしてしまったのだ。


「あー! あれか! あれと同じか」


 また二人が怪訝な顔をする。


「殿、あれ、とは?」


「ああ、いやあ、あれ、あれえ……? あれえ、だよ。驚きの、あれえ、すごいな! うん、すげえ!」


 やばい、3~4回意味不明な発言をしている。


 自重しないと、どうやら源五郎の様子がおかしい。世紀の大発明のはずなのに、わが殿の反応が芳しくない、そう感じたのであろうか。


「では、次はこちらです」


 平静を装った源五郎は純正を実験室に案内した。


 見ると、なにやら一斗樽くらいの大きさの青銅製? の容器が置かれてあった。


 源五郎の説明では、少量の、1リットルよりも少ない量の水が入っていて、ピストン状になっているフタを被せているそうだ。


 下にはカマドのようなものがあり、フタの上からは紐が滑車で重りの近くまで伸びていた。


「ではまず」


 と源五郎は言い、スタッフに火をつけさせて水を熱する。


 水は次第に沸騰して水蒸気を作り、徐々にピストンを上へ動かしていく。そして頃合いを見てフタを動かないように固定し、たるんだ紐を調整して張らせた。重りに紐を繋げたのだ。


「次に」


 そう言って一気に樽に水をぶっかけた。こうすることで内部の蒸気が冷えてその体積が1700分の1になり、内部が真空状態となる。


「今、この樽の中は真空となっています。ここで、このフタを……」


 といってフタについていた固定レバーを外す。そうすると大気圧によってピストンが下がり、紐につながった重りが持ち上がったのだ。純正は真空や気圧の概念がわかっているから、内心は驚かない。


 しかし、当時の人間がこれを見ると、まるで妖術のように感じたであろう。


「どうです! 科学は日進月歩なのです! 誰にも何も文句は言わせません! 大気と真空と蒸気の力で、人の手を加えずに物を動かしたのです! それがしはついに! アリストテレスを超えたのです!」


 いや、超えたかどうかはわからんけど……。


「すげえ! すげえな源五郎! さすがだ、天才だ! 忠右衛門もそうだ。お主の水銀の大気と真空の発見がなければ、源五郎の発明もない! いやあ親子そろって、小佐々の宝だ、鏡だよ!」


 純正は二人に最大限の賛辞を贈った。実際に世界をゆるがる大発明だったからだ。しかし、ひとつの疑問が浮上した。


「いやあすごい! それで、……これは馬車をどのくらいで動かすのだ?」


 水を熱して冷やすのに5分ほどかかったのだ。もっとかかったかもしれない。


 クランクを使ってピストンの直線運動を回転運動に変えて、車輪として動かすのに、どのくらいの時間がかかるのだろうか。


 ピストンの上下運動に10分もかかっては、実用化など、まだまだ先だ。


「いえ、それはまだ……。しかし最初の一歩は……」


「あい分かった! 気にするでない! 二人ともようやった。本当に素晴らしい事だ」。


 二人を称え、祝賀会を開こうと提案した。原理がわかっている純正でも、実際につくろうと思えば簡単にできるだろうか?


 試行錯誤を繰り返して、それでもできるかどうかわからない。それを、なにもない状態から作り上げたのだ。


 純正は安易に期待し、そして落胆した自分を恥じた。


 二人への報奨は何がいいだろうか? 加増がいいか、報奨金がいいか、どんなものが二人が喜ぶだろうか、と純正が考えていた時であった。


 ガラガラっと研究室のドアが開き、現れたのは国友一貫斎であった。


「殿、ここにおいででしたか」


 一貫斎は油汚れまみれの作業衣で立っている。


「一貫斎よ、お主そのような格好で殿に会うなど」


 忠右衛門はしかめっ面をしていたが、当の一貫斎はどこ吹く風だ。実際純正も気にはしていなかった。


「一貫斎! 聞いてくれ、忠右衛門と源五郎がすごいもの作ってな」


「知っています。聞きましたし、見ました」


 なんと、純正以上のそっけない態度である。


「なんだよ、もっと驚いてもいいだろう? すごい事だぞ」


「知っています。そして忠右衛門様と源五郎が天才だという事も。もし日の下で、天下で、全世界でそれがしに勝てる人間がいるならば、この二人だけだとも思っています」


 なんだこれ? 天才の、天才ゆえの自画自賛と他者への称賛? ムッとしているのか喜んでいるのか、傍らで聞いている二人の表情はよくわからない。


 さしずめ忠右衛門がひらめき型の天才、一貫斎が叩き上げの実践タイプの天才、そして源五郎は理論と実践と、最新のヨーロッパ知識を用いた天才。


「それで、どうしたのだ? ああ、そうか、ライフルか。おれも聞きに行こうと思っていたのだ。で、どうなのだ?」


 純正は目を輝かせ、期待に胸をふくらませる。


「あれは……だめでござるな」


 一貫斎は欧米人がよくやる肩をすくめて両手を上げる仕草をした。


 純正はこのジェスチャーの正式名称はしらないが、いわゆる『だめだこりゃ』を表すようだ。他にも意味があるのだろうが、今回はこれだ。


 どこで覚えたんだ? いや、この時代にあったんだ! そんな疑問が純正の頭をよぎったが、すぐに消えた。


「どうした、何がダメなのだ?」


「三つ、問題がございます」


 うん、なんだ? と一貫斎に聞く。忠右衛門と源五郎は、なんだなんだ? と近寄ってきた。


「まず、一つ目は、この溝ですが、非常に手間隙がかかります。量産しようと思えば、銭はかかるかもしれませんが、人を増やし新しいやり方を考えれば……」


「なんとかなるか」


 は、と短く答える一貫斎。


「そしてもう一つの、あと二つはなんだ」


「はい、これはおそらく弾に回転をかける、くるくると回るようにして打ち出す仕組みにございます」


 うむ、と純正はうなずく。


「しかしこれを飛ばすには、弾が銃身の内部にぴったりとくっついていなければなりません。そうなると……弾を込めるのがさらに難しいのです」


 ライフルの場合、銃身に刻まれたらせん型の溝が、回転をかけるために弾丸に食い込む必要があったのだ。


 弾の大きさを密着させるべく調整しなければならないが、ギリギリの大きさの弾を込めるには、極端に言えば弾を込めて木槌でたたいて押し込む必要があった。


 そうでなければ、例えば普通の弾を込めただけでは、発射された弾の軌道は安定せず、精度が不安定になる。


 さらに発射ガスがライフリングから漏れてしまうので、初速、精度、飛距離までも短くなってしまう。これでは本末転倒である。


「弾込めの面倒さ、さらに弾の形をあわせるのが難しいのです」


 これは、厳しい。要するに作れることは作れるし、発射もできるが、手間暇がかかる。今のフリントロックの銃と同じには使えない。たちまち騎兵の餌食になるのは目に見えている。


 あ! と純正がひらめいた。確か、確かそうだ。


「なあ、忠右衛門に源五郎」


 純正は二人に聞いた。


「空気が圧縮されたり、水の蒸気? が膨らんだり縮んだりするんなら、鉛や鉄も膨らむのでは?」


 一貫斎の目がキラリと光った。


「それは、まあ、検証してみなければなりませぬが、十分に考えられるかと」


 忠右衛門の言葉に源五郎もうなずく。


「それならさあ、こんな感じにできない? ちょっと紙と鉛筆もってきて」


 近習が紙と鉛筆を持ってくる。


「こんな感じの形で、底がこうへこんでいて、へこんだ穴になんでもいいけど、そこは実験して。そこにフタみたいにはめ込んで、これが火薬の爆発で弾を押し広げれば……」


 ミニエー弾。ドングリ型(椎の実型)の鉛弾で、19世紀に出現した。


 そのウィキペディアの知識。三人の顔がみるみる変わる。


「おおお! 素晴らしい! 素晴らしいですぞ殿! この一貫斎、殿のご慧眼恐れ入りましてございます!」


 遅れて二人が一貫斎にならって後ずさり、平伏する。


「いや、いやいや止めてくれよ、立って立って! 頭上げてくれよ。こんなのただのウィキペ……あー、ただの思いつきだから! 三人の知識と努力に比べたら、まったく大したことはない」


 なんとか三人を立たせて落ち着かせる。一貫斎はいてもたってもいられないようで、すぐに作業場に行きたそうだったので、無理するなよ、とだけ言ってねぎらった。


「あ、それから忠右衛門。あれ、小さくできるか?」


「あの真空ポンプ装置ですか?」


「いや、ポンプではなく、小さいこれくらいの大きさのものもできるか?」


 そういって手で缶詰くらいの大きさを表現する。


「真空は火が消えるし、音も聞こえない、それから、腐らないんだよな?」


「はい! よく覚えていらっしゃいましたね! そのとおりです」


「では小型化してつくれ、鉄の表面は錫で覆うのを忘れるなよ。缶詰をつくる」。


 ははあ! と二人は返事をして仕事に戻った。


 その後約束した簡単な慰労会を夜に開催し、真空と蒸気とライフル銃と、技術革命の波をもろにかぶった純正は、翌日駅馬車にのって諫早に帰ったのであった。

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