第351話 薩州島津家と伊東祐青、御教書の真偽とくすぶる火種

 永禄十二年(1569年) 十月二十二日 都於郡城


 伊東家に対する幕府の御教書の真偽を確かめるため、小佐々の使者がその書状を幕府へ持参した。


 しかし祐青すけきよは純正の言葉に従いつつも、もし偽書だった場合の処罰を考えていたのだ。仮に偽書だったとしても、祐青自身は一切関わっていない。


 十年近く前、元服して間もない頃に亡き義父が起こした事である。しかしそれでも、もし偽書だった場合、知らなかったではすまされない。


 幼い当主と伊東家はどうなる? そればかりを考えた。祐青の武将としての能力は義祐に及ばない。しかし、京文化に傾倒するわけでも贅沢をする訳でもなかった。


 自らも若いが故に先走る事はあるが、家の事、ひいては領民の事を大事に考えていたのも事実である。


 立場を逆にして考えてみれば、実入りとなる直轄地は一石でも多いに越したことはない。奉行や代官、用人はあとで召し抱えるとして、国人の領地は少ないほうがいいのだ。


 御教書が嘘か本当なのかはこの際どうでもいい。取り潰しの種になる御教書など、災いでしかない。


 難癖をつけ、根回しをして偽物だとされれば、弁明のしようがない。そうなれば幕府を騙った大罪人の家門として、改易されるかもしれない。


 祐青は考えた。純正が与えた期間は一ヶ月。十一月の末か十二月の初旬には幕府の決定が出て、それに従わざるをえない。それまでになんとかしなければ。


 純正に説明するか?


『教書は真実なれど、既に十年前に先の殿が成したことにつき、仮令偽書たりとも、責められるべきは今の殿にあらず』


 いや、純正の考えがわからぬ以上、浅はかな事はできない。


『咎めは受けねど益は得る、と申すのか』などと言われかねない。祐青が思案を巡らし、それでも答えが出ずに考え込んでいた時であった。


「との」


「なんじゃ」


「は、されば島津の阿久根義有と……が、謁見を願いでております」


「なに? ……の? 誠に島津と申したのか」


「は、誠にございます。いかがいたしますか」


 この時期に、小佐々に負けた島津が? しかも打ち負かしたわれらに何の用だ? 


 祐青は怪訝に思ったが、余計な情報に頭を悩ましたくないと思いつつも、なにかあり得ぬ事が起きた時、常識を捨てて考える事も必要である。


 そう思って会う事にした。


「お人払いをお願いします」


「なに?」


「されば、家中の大事にて」


 祐青は考えたが、命の危険をおかしてここまで来ているのだ。中途半端な話ではないだろう。そう考えて近習を下がらせ、使者と二人だけになり話を聞くことにした。


「ご挨拶申し上げまする。島津家が家臣、阿久根義有と申します」


「うむ、望み通り人払いとした。何用じゃ? 家中の大事というからには、よほどの事であろう」


「は、されば小佐々純正の事にございます」


「ほう? 弾正大弼の事で? 事と次第によってはこの場で首が飛ぶぞ」


 祐青は使者の真意をはかりながら、慎重に話を聞く。

 

「首は飛ぶどころか、つなげる話になりまする」


 ■薩摩 出水城


 先日の錦江湾での島津宗家の惨敗、そして降伏は薩州島津家にも大きな影響をもたらした。


 島津義虎は分家である薩州島津家の六代当主である。父である島津実久は薩摩守護職の座をめぐって相州家の島津忠良・貴久親子と戦った。


 しかし実久が敗れて隠居すると、島津義久の娘を妻にして和解し、臣従していたのだ。


 あの宗家が、戦わずに下るのか? 信じられない結末である。確かに小佐々の水軍の力は凄まじい。しかし野戦はどうなのか? それすらもせずに下ったのである。


 宗家はわれらの事をどう考えているのだ? 自らは本領安堵を約束されたのだろうか。われらの知行はどうなるのだ。義虎の不安はつきない。


 しかし、不安を募らせているのは義虎だけではなかった。


「との、宗家から書状が届いております」


「うむ」


 義虎は宗家から届いた書状を読む。


 内容は三日後に内城にて状況の説明を行うため登城せよ、との事であった。なるほど、これで宗家が何を考えているのかがわかる。


 義虎は返書をしたため、近習に渡した。ほどなくして、近習が部屋の外から声をかけてきた。


「今後はなんじゃ」


「は、伊東家家臣、荒武宗並と……、ならびに山田宗昌と……がお目通りを願っております」


「なに? もう一度申せ、伊東じゃと?」


「は、間違いなくそう申しておりました」


 伊東の使者が何のようじゃ? 宗家ならまだしも、分家などに用はなかろう。ましてや手ひどく負けた後。恨みこそあれ、話すことなどなかろうに。


 なにゆえ参ったのであろうか。


 義虎はそう思いつつも、怖いもの見たさと、疑問は全て取り除いておきたいとの考えもあった。昨日と今日で状況がまったく違うのだ。


 有益な情報であれば知っておいたほうが良い。


「伊東家家臣、荒波宗並にございます」


「山田宗昌にございます」


 両名は義虎に口上を述べ、すぐに人払いを願い出た。近習は義虎に無視するように言ったが、義虎はそれを制し人払いをさせた。


「さて、もうわし一人じゃ。さあ、敵であったその方らが、いったい何をしに参ったのじゃ」


「されば、御家中の事にございます」


「家中だと? 家中とはどういう事じゃ」


「はい、われら伊東家は小佐々と結び、相良や肝付と通じて島津の御家中と戦をしてまいりました」


「うむ」


「そして幸いにして……は、勝つことができ申した。しかし、その後にござる。小佐々純正はわれらの知行をとりあげ、服属を迫ってきたのでございます」


「なんと!」


 義虎は驚いた。敗れた側の自分たちが知行地を減らされるのは致し方ない。しかし、勝った側である伊東が領地を取られるとは、聞いたことがない。


「しかも、われらだけではございませぬ。相良や肝付も領地を減らされるのでございます」。


「それは誠か?」


「誠にございます。嘘ならば、殺される危険を冒してまで参りませぬ」


 二人は真剣な眼差しである。


「味方で……われらでさえこうなのです。いわんや敵であった島津の御家中なれば、どのような処遇となるか容易に考えられまする」


 確かに一理ある。宗家がどんな事を言われたかは、内城に行ってみなければならない。しかし、取り潰しや減封は十分に考えられる事だ。


 宗家でさえ減らされるのであれば、分家などさらに厳しいだろう。


「それでこの話、他には」


「は、菱刈重久どのにはお話いたしました。これから入来院、東郷、佐田、頴娃、加治木肝付など主要な国人へ話を持ちかけまする」


「話とは……まさか、謀反か!」


 二人は平然としている。


「謀反ではありませぬ。挙兵にござる。誰もが不満に思うておりますので、各地の国人も皆おなじように兵を挙げましょう」


 義虎は考える。聞きながら考えている。

 

「ご宗家もこたびは不本意にござろう。日隅薩肥いっせいに立ち上がれば、さしもの純正も動けますまい。さらに四国、南方へと兵を出しておりますれば、いずれ和平を乞うてくるのは必定」


「待て、待て。そう急いてはならぬ」。


「われらも命を賭して来ておりまする」


 義虎は二人を落ち着かせようとする。


「相良と肝付には同意を得ておるゆえ、義虎様が動こうと動くまいと、四カ国で挙兵はなるのです。事がなったとき、一番の功となるか後塵を拝するか、お心次第でござる」


「わかった、わかった。二人の決意と伊東家ならびに相良や肝付、薩摩大隅の国人の様子もわかった。しかし、大事ゆえ、即決はできぬ。考えるゆえ時間をくれぬか」。


「はい、さきほども申しましたが、これはもう決した事でございます。義虎様が行動を起こすか否かは、どうぞそれまでにお決めください。挙兵は師走、十二月の一日にございます」。


 二人は最後にそう言って退座し、出光城を後にした。義虎はまず、三日後に国衆が一堂に会する内城で、状況を見定めようと決心したのであった。

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