第402話 若江三好家と摂津三好家と阿波三好家

 元亀元年 五月二十二日 摂津 ※野田城


「なんですと? 気でもふれたのですか大叔父上?」


 そう声をあげるのは阿波三好家当主であり、日本の副王と呼ばれた三好長慶の弟、三好実休の息子である※三好(彦次郎)長治である。


「気などふれておらぬ※彦次郎(三好長治)。ただでさえ今三好家は、若江の※孫六郎(三好義継)と二つにわかれて争っておる。これ以上家を弱らせてはならぬ」。


 三好と言えば三好長慶と呼ばれるほど、日本の副王として君臨した長慶であったが、息子の義興が早世した。


 そのため順当な流れで行くと、次弟の安宅冬康やその子の信康、さらに長弟である三好実休の3人の息子達が考えられたのだが、そうはならなかった。


 息子が一人しかない十河一存から養子に迎えたのだ。


 この人選は波紋を呼び、一族の不和につながっていく。結局は擁立された義継も傀儡でしかなく、三人衆とは決別している。


「さりとて、何ゆえに小佐々の者に仕えねばならんのじゃ。和議の条件も恥辱に満ちておるのに、仕えることなど考えられぬ」


 長治はなおも反論する。


「彦次郎、いえ殿、三好の家の事を第一に考えなされ。小佐々に勝てぬからこそ、和議の申し入れをしたのではありませぬか」


 感情論を話す長治に対し、長逸は論理的に話す。年の功であろうか。正論に、長治は徐々に押されていく。


「臣従ですぞ臣従。なにもかも失ってしまいまする。臣従さえしなければ、再起は図れまする」


 長治はなおもくい下がる。


「何を世迷い言を」


「な! 何が世迷い言か! いかに大叔父上でも無礼が過ぎますぞ!」


 長治が声をあげるが、長逸は気にもとめない。


「無礼を承知で申し上げておる。よいですか、小佐々の和議の条件は、阿波は勝瑞の一ヶ村のみ。和泉からは兵を引き上げ織田に返し、摂津淡路はそのままに、讃岐の国人衆は捨て置け、との事でした」


「そうじゃ、決してのめる条件ではない」


 長治はなおも感情的である。


 若さゆえなのか、能力がないのか、誰にもわからないが、当主としては冷静な判断をしなければならない。


「のむものまぬも、そもそもわれらは、条件を出せる立場にござらぬ。和議とはすなわち、条件をすりあわせ、落とし所をみつけて戦を終わらせるものにございます」


「その通りじゃ」


「しかるにこたび、小佐々にとりては和議をする必要がござらぬ。なぜか? せずとも勝てるからです。考えてもごらんなさい」。


 長逸は一呼吸置いて続ける。


「少ないとは言え阿波には守備兵を残してきたのです。それが一月も経たずして、勝瑞城以外はすべて開城しているのですぞ」


 長治が歯ぎしりをする。


「南蛮渡来の大筒に城門や城壁は壊され、火縄のない種子島をもった兵が襲ってくるのじゃ。しかも尋常な数ではない。千や二千ではないのだ。噂が噂を呼び、次々に降ったのだ」


 認めたくないのか、長治は長逸から顔を背ける。


「このまま小佐々が淡路摂津と攻め上がってきたら、織田と戦こうている今、まず、勝てませぬ。それこそ家が、阿波三好が滅びますぞ」


 長逸の諫言に、次のように重臣である篠原長房が会話に入ってくる。


「殿、確かに今、織田は四方に敵を抱え、わが方がやや優勢にございます。しかしここで小佐々に後背をつかれますと、一気に崩れまする」


「その通り、われらに残された道は小佐々と和議をし、その上で織田と有利な条件で和議をするのが得策。しかし……」


 長逸が言葉を濁す。


「しかし?」


 まだ何かあるのか? という長治とともに、同席しているものすべてが長逸の言葉を待つ。


「和議をしたとて、われらに残るは勝瑞の一ヶ村と淡路に摂津のみ。その中で直轄地はどれほどか? わずかに四万五千石ぞ。そのような落ち目の惣領(代表者)に従う国人がおるのか?」


 全員が苦虫をかみつぶした様な顔になる。


「淡路の甚太郎(安宅信康・長慶の弟安宅冬康の息子)と所領はかわらん。よしんば甚太郎が従ったとて、摂津の国衆はどうじゃ? わしはこぞって織田か小佐々に寝返ると思うぞ。讃岐は言うに及ばぬ」。


「どういう事じゃ」


 長治の言葉に長逸が続ける。


「讃岐の国人衆、特に寒川などは所領の件もあり小佐々に寝返るでしょう。中讃と西讃の国人も、塩飽や真鍋の海賊とあわせおそらく寝返りまする」


「なぜじゃ? なぜそうなるのじゃ」


「殿、お忘れか。われらが諫めたにもかかわらず強権を振りかざし、香川之景や香西佳清らから、連名で孫六郎(十河存保・三好実休の息子で長治の弟)へ離反の警告状が届いた事を」


「ぐ……」


「それゆえ讃岐はあてになりませぬ。このような状態で、いかにして三好の家を守っていくのですか」





 議論は平行線をたどり、三日三晩続いたが、やがて長逸は決断した。


「これ以上は話しても無駄にござろう。無為に時を過ごすより、われらは阿波に戻ってやるべき事をなす」


 長逸が長治に告げる。決別の時である。


「友通よ、そなたはどうするのじゃ」


 三人衆の一人で、長慶なきあとの三好政権を支えてきた岩成友通に聞く。


「わしは、わしは残るとしよう。殿はまだお若い。わしが国衆に、にらみを効かせねばなるまいて」


 事実、史実では信長が京に攻め入った際、他の城はほとんど抵抗せずに降伏した。


 しかし友通の勝竜寺城と、池田勝正が籠城する籠る摂津国池田城だけは、頑なに抗戦したのだ。


 これは友通の下で土豪達が結束していたからで、友通の統率力の高さがうかがえる。


 結局、長逸を始め三好康長父子を含めた一門の数人は、阿波に戻って純正に服属した。


 ここに、長治を当主とした摂津三好家と、十河存保を当主とした新生阿波三好家が誕生したのである。十河家は弟の存之がついだ。


 摂津三好家は和泉の占領地を放棄し信長に返却し、摂津と淡路あわせて四十四万千八百六十三石となったが、直轄地は四万五千石で、他は一族の安宅信康や国人衆のあつまりであった。

 

 一方の阿波三好家は、板野郡、阿波郡、美馬郡、名西郡の四郡で九万九千百八十五石となり、長宗我部や安芸、伊予の河野や一門の一条よりも高禄である。


 いわゆる本領安堵という訳だ。三好氏が畿内に進出する前の阿波の本領を、ほぼそのまま残した。


 禄として残す高が多すぎるのでは? との意見もでたが、純正は可とした。板野郡の五万、もしくはその中の一万石か二万石でも良かった。


 しかし、あえて残したのだ。


 滅ぼそうと思えばいつでも滅ぼせるが、旧三好派の国人や家臣団ににらみを利かさなければならないし、バランスを取らなければならない。


 それを純正は経験上学んでいたのだ。

 

 ■肥前 純アルメイダ大学附属中学校


「おまえ、大丈夫なのか?」


「なにが?」


「いや、畿内の状況が複雑みたいじゃないか」


 三好義継を兄に持つ松浦光に対して、同じ学年で(全員一年なのだが)留学生の小岐須盛経が聞く。


「まあ、うちは分家の松浦家だからね。殿(信長)の命でここに学びに来ているし、兄貴は若江をついで阿波三好とは敵になっているけど……家を守るためには仕方ない、かな」


 2人だけでなく、留学生達はしゃべり方が現代風だ。うまく言い表せないが、地方出身者が東京では標準語だが、地方に戻ると方言になる、ような感じではないだろうか。


「三好家はややこしいよね。俺も嫡男だけど殿の命で来ているし、勉学を修めて嫡男として帰ってこい、という事になってさ」


「それは俺も同じだよ。しかし、肥前様が阿波を攻めるって聞いたときは、さすがに親戚だから正直複雑だったよ。勝てるわけがない」。


「確かに。しかし、今和議の交渉が始まっているらしいじゃないか。お互いに納得のいく結果になればいいな」。


「そうだな」


 ……。


 阿波・摂津から遠く離れた肥前では、現代なら考えられない、親戚や親兄弟でも争う戦国の世のボーイズトーク(?)がされていたのだった。

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