第379話 遠い西の彼方へ。長宗我部元親の驚嘆の九州肥前紀行

 永禄十二年 十一月十八日 辰三つ刻(0800) 浦戸城


「これは宮内少輔様、いかがされましたか?」


 佐伯惟忠は知っていたがわざと聞いた。先日の件をどう思っているのか聞きたかったのだ。


「無礼ですぞ、いかに小佐々家中の方といえど、許せませぬ」


 家老の谷忠澄は元親と惟忠の間に割って入る。


「よい、別にわしらは争いに来たわけではないのじゃから」


 長期間国元を空けるので、親泰と親貞は残した。


 随行するのは家老の谷忠澄と吉田貞重で、その他には近習が十名ほどの少人数である。一揆勢に対峙している軍勢には、手出しせぬよう指示をだしていた。


「それで、こたびの御用向きはなんでしょう」


「肥前へ行きたい。弾正大弼殿と、一度腹を割って話したいと思うてな」


 惟忠は驚いた。まさか元親自身が肥前の諫早まで出向くとは。惟忠でさえ、純正とは二、三度しか会ったことがない。


 肥前の諫早、惟忠も一度は行ってみたいと思っていたのだ。


「さようでございますか、それは良き事にございます。豊後の佐伯湊では父が長官をしております。文をしたためますゆえ、しばらくお待ちください」


 そう言うと惟忠は、佐伯湊の鎮守府の長官をしている父の佐伯惟教宛てに手紙を書き、忠澄に渡した。


「では、湊へ参りましょうか。和泉堺と豊後佐伯には定期船が出ておりますゆえ、それに乗れば早いかと存じます」


 純正に会いに行くという目的がわかってからの、惟忠の態度の豹変に、家老二人は驚いていたが、元親は気にせずに聞いていた。


 ■十一月十八日 巳の一つ刻(0900) 浦戸湊


「少々お待ちくださいませ」


 惟忠はそう言うと船着き場の受付所に行き、到着予定を確認する。


「今から乗れば、今日中に興津岬の興津湊につくようです。明日の朝一に出ますから、風がよければ明日の夜には佐伯湊へ着きまする」


 そう惟忠は説明するが、一行は目の前の巨大な船に目を奪われていた。


「貞重よ、これは、どのくらいあるか」


「はい、五百石(1石150キロ計算で75トン)、いえ千石(150トン。※100トン型曳船で25.64m幅7.8m井筒造船所・長崎※九鬼嘉隆の大安宅船は約30m※)近くはあると思われます」


「なんじゃ……これは、安宅船ほどの大きさではないか」


 元親は急いで惟忠に聞く。あまり興奮しているように見えないように、必死で隠す。


「惟忠どの、浦戸にはこれ一隻だけか?」


 何隻就役しているのか確認する。


「いえ、全部で六隻でござる。佐伯湊と浦戸湊、そして堺湊にそれぞれ常に一隻停泊しております。船が着いたら風をみて、すぐにもう一隻が出港できるようになっております」


「六隻……」


(なにい、常に船が行き来しているだと!?)


 この定期船は小佐々家が運営しているが、そのほかに商人が運営している貨物用の船も多数就航していた。


 湊には小佐々海軍の軍艦が一隻と、この定期連絡船、その他にも雑多な船が多数停泊していた。


 運賃は四十文から六十文で、堺湊と佐伯湊どちらも同じである。


 ■十九日 酉四つ刻(1830) 佐伯湊


 惟忠が言ったように、途中で興津湊で一泊し、翌朝早く出て夕方に豊後の佐伯湊に到着した。


 浦戸で見た軍艦と同じか、それよりも一回り大きな軍艦があわせて五隻。整然と停泊している。


 浦戸も別世界のような様相であったが、船内もある種異質な雰囲気であった。


 夜航行することを想定していないために寝室はなかったが、客室には本当に雑多な人達がいたのだ。


 元親と同じように武士もいれば商人もいた。


 中小規模の商人が多かったのかもしれない。大商人と呼ばれる者達は自前の船を持っているので、このような乗り合いの船は使わない。


 町人や裕福そうな農民の姿もあった。こぎれいにはしているが、元親達には、やはり立ち居振る舞いでわかるものだ。


 そういった人達が、これだけ一緒にいて争いも起こらない。


 あまり身分の上下がないようだ。


 船室の端では座っている武士に町人らしい男が声をかけていたし、かけられた男も普通に話をしていた。土佐では考えられない事である。


 こんなところでも純正の為政の影響が出ているのだろうか? そう元親は思わざるをえなかった。


 日も暮れたので宿で一泊し、翌朝惟忠の父親である惟教に挨拶をして、府内へ向かう。


 ■二十日 午一つ刻(1100) 府内


 風が良かったのもあるが、海路で一刻半(3時間)ほどで大友氏の本拠地府内へ到着した。


「殿、あそこにいるのは日の本の民ではありませぬぞ! 髪の色も違いまする」


 湊近くにある商館の周りに人が集まっており、日本人とポルトガルの商人が、商談なのだろうか、通訳を交えて会話をしている。


「では、そういう事で。必ず量はそろえますので、今後ともよろしゅうに。あ、ああ! そこにいらっしゃるのは土佐の殿様でございますか?」


 年の頃は四十。精悍な顔立ちで、商談が終わったようで元親達に近寄ってくる。


「はじめてお目にかかります。豊後府内で商いをやらせてもろうております、仲屋乾通が子、仲屋宗悦にございます。以後、お見知りおきをお願いいたします」


 宗悦の父である乾通は、宗麟の父大友義鑑の時代から、大友氏の御用商人として巨万の富を得ていた。還暦となった父に代わって主要な取引は宗悦が取り仕切っている。


「谷忠兵衛(忠澄)にござる」


「吉田次郎左衛門(貞重)にござる。こちらはわが主君、長宗我部宮内少輔様にあらせられます」


 家老二人が自己紹介をし、主君を紹介する。


「宗悦にございます」


 佐伯の惟教からの指示なのだろうか? それともどこかでかぎつけたのか、土佐は和紙や木材の産地でもある。商売の匂いを嗅ぎつけたのだろうか。


「さあ、長旅でお疲れでしょう。ささやかですが、昼食の準備がございます。どうぞこちらへ。わたくしはその前に、肥前様(純正の愛称)へ到着の連絡を入れておきます。夜には諫早につくでしょう」。


 従者に一行を食事処へ連れて行くよう指示をだす宗悦に、元親が尋ねた。


「待て、待たれよ宗悦どの。今、なんと申した?」


「え、それはどういう?」


「さきほど、なんと申したか聞いておる」


「昼食の準備……」


「その後じゃ」


「肥前様に連絡を……」


「最後!」


「夜には届くと思います」


「そう、それじゃ! 馬鹿なことを申すでない。今から送って夜になど、どう考えても付くはずがない」


「嘘ではありません。すぐ返事を書いてもらえれば、明日中にはこの府内に着きまする」


「馬鹿な」





 発 宗悦 宛 肥前様 メ 長宗我部宮内少輔様 ゴ到着 ニテ ゴ昼食 駅馬車 用ヒタレバ 明日 午三つ刻(1200) ヨリ 申一つ刻(1500) マデニハ 諫早二 至ラントス メ 二十日 午二つ刻(1130) 府内

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