島津と四国と南方戦線

第292話 長宗我部元親と一条兼定、そして宗麟の嘆願

 永禄十二年 四月五日 府内館 辰三つ刻(0800)


 臼杵城は佐伯湊とともに軍港と商用、両方の港として運用が決まったので、宗麟は府内に戻って政務を行っていた。旧臣には大きな転封もなく、豊後はほぼ大友旧臣の所領で占められている。


 将来的には変更もありなのだろうが、代替わりくらいを目処に考えていたほうが無難かもしれない。そんな宗麟のもとに、息をきらせた使者がやってきた。


「申し上げます。伊予の一条兼定様の家臣、小島政章と申す者が謁見を申し込んでおります」


 なに? 土佐一条家からわしに? 宗麟はそう思った。五年前ならいざしらず、今は小佐々氏麾下の一大名にすぎないのだ。力になどなれようか。しかし義理の息子の頼みである。ともかく会うために時間をつくり、謁見の間に通す。


「初めて御意を得まする、土佐一条兼定が家臣、小島政章にござる。急ぎの用にて、ご無礼つかまつる」


 宗麟はそのまま面を上げさせ話を聞く。


「実は土佐郡の※長宗我部元親が、長岡郡の本山攻めにわれらが助力した恩義も忘れ、吾川郡に攻め入り、高岡郡まで侵攻してきております。※蓮池城、※長岡城はすでに落とされ、このままでは姫野々城も危のうございます」


 宗麟は何も言わず、黙って聞いている。


「姫野々城が落ちれば、北部の鷺ケ森城は孤立、南の久礼城とともに降伏するやもしれませぬ。そうなってはわが一条は風前の灯火、なにとぞご助力をお願いいたします」


「相わかった。しかしながら知っての通り、大友は往時の大友ではない、小佐々家中となったのだ。殿の裁可を仰がねばならない、しばし待たれよ」



『ハツ ブンゴセ アテ ソウシ ヒメ トサ ヰチジヤウヨリ チヤウソカベ カウセヰニテ ヱングン ヤウセヰ アリ ワガ ヰンセキニテ タスケタク サヒカヲ ネガウ ヒメ マルゴ タツヨン(0830)』



 通信の返信がきたのが日付が変わった、五日の子の四つ刻(0030)であった。

『ハツ ソウシ アテ ブンゴセ ヒメ カクリヨウ カヰギヲ ヲコナウ サウリンドノ サンカ スベシ ヒメ マルゴ トリヒト(1700)ヰサハヤ』


 深夜であったが、使者を呼びその旨を伝えた。そして宗麟は身支度を整え、使者を従えて、早朝に肥前諫早へ向けて出発したのだった。使者である小島政章は、その通信の速さに驚きつつも、それが序の口であることを知るのである。


 ■永禄十二年 四月六日 巳の一つ刻(0900) 諫早城


 大友宗麟は、小佐々純正の新しく居城となった肥前諫早城に赴き、救援要請についての裁可を求めた。


 諫早城は政庁である建物と宿泊設備は完成しており、完全に完成するのは秋口くらいの予定であったが、引っ越しを終わらせてすでに純正は諫早で政務を執り行っていた。純正は昨日通信を受けてすぐに、閣僚と有力国人を集め、戦略会議を開いた。


 純正としては行政改革を行い、国人枠ではなくなんらかの閣僚として招き、会議を開きたかった。しかし性急な改革は反発を招く。幸いにして戦時の軍編制に影響があるのと、産業の振興や税収に関わる事が気になるくらいだ。まだまだ我慢か?


 宗麟殿、どうされた? と純正が全員がそろっているのを確認して聞いた。


「はい、土佐一条氏から救援要請がございました。長宗我部元親が土佐と西伊予を制圧しようとしており、一条氏は危機に陥っています。一条兼定はわが息子、恥ずかしながら殿のご裁可とご協力をいただきたく、参りましてございます」と宗麟は言った。


 ふむ、と小さくうなずき純正は考えている。四国か……。讃岐と阿波で三好が勢力をもっているくらいで、しかも所司代が叩いた。今すぐ動くことはないだろう。他は土佐の長宗我部と一条、伊予の河野と宇都宮と西園寺、どれも大きな勢力ではない。


 讃岐と阿波は別として、伊予と土佐は中小勢力が割拠していたので、あまり重要視していなかった。しかし、ここにきて長宗我部が攻勢をかけてきた。


「みな、どう思う?」

 出席者を見回し、意見を募る。


「私は賛成です」と立花道雪が言い、続けて


「※島津との戦は不可避でございましょう。日薩隅の三州統一後はその野心は九州全土に向かうでしょう。勢力拡大には北上しかありませぬ。それゆえ必然的にわれらと戦になりまする。その戦闘に備え、後顧の憂いを取り除く必要がございます」


 考えられる島津の行動予測を述べた。これは純正、いやここにいる全員が考えている事であろう。そして肝付、伊東は必ずや小佐々家中に助けを求めてくる、と。


「四国の長宗我部元親が土佐と西伊予を制すると、われらは頭を押さえられる恐れがあります。牽制の兵を豊後におかねばならぬため、全力で島津に当たる事ができませぬ」

 と続けたのは臼杵鑑速である。


「また、豊後に侵攻を企てるかも知れません。そしてさらに将来、われらが島津を降したとしましょう。毛利氏や長宗我部氏と攻守の盟を成したとしても、中央からの勢力には抗えませぬ」


 中央からの勢力か……。純正は考えた。今は織田が最有力だ。このままいけば畿内を席巻するだろう。信玄が死ぬまでは苦労するだろうが、それ以降は拡大路線だ。そうなった時に長曾我部元親はどうだ? 確か、まだ同盟は結んでいないはずだ。


 おそらく一条を滅ぼして土佐を統一した後に、正室の縁で信長と同盟を結ぶはず。確か正室は、光秀の重臣、斎藤利三の異母妹だった。


 しかし……これは同盟を結ばれてはまずいな。信長は光秀の勧めで盟を結んでいるが、長曾我部元親はそれを利用して四国統一を進める。小佐々、織田、長曾我部で良好な関係が成って続けばいいが、確か後年、織田と長宗我部の盟は破棄されている。


 そしてあわや織田対長宗我部になるか? そこで本能寺だ。その後は秀吉と対立して負け、土佐一国になる。それを考えると、本能寺の変が起きても起きなくても、長宗我部は織田か秀吉と対立する。しかし問題はそれまでの過程だ。


 四国制圧に邁進するのはいいが、負けてしまえば、小佐々と織田(豊臣)が消極的に領地を接する事になる。小佐々の領地が拡大して積極的に(小佐々が領地を増やし勢力を拡大した状態で)領地を接するなら良い。


 しかし、相手に勢いがある状態で隣接されるとやっかいだ。軍備、技術的に勝っていても、物量でこられると、負けはしなくても不利な条件で講和しなくてはならなくなるかもしれない。


 ここは、長宗我部を押さえつつ、毛利を刺激しないように河野には手をださない。そして肝心なのは、まだ尼子に兵力を割かなくてはいけない段階の今、行動する事であろうか……。


「それがしも同じです。一条を助け、その後、東土佐の長宗我部を監視しつつ、西園寺を攻略することで、一条と同盟関係の宇都宮も従属させることが可能であると考えます」と吉弘鑑理は言う。


「南方、島津、そして四国と、兵力の分散は避けたいですが、島津の北上攻勢が始まってない今なら、四国に力をいれて制圧し、勢力を拡充させつつ中央を伺い、島津に備える事ができます。また、もし援軍を送らずに戦が長引けば、毛利は尼子を降伏させ、河野に援軍を送るでしょう。そうなれば、長宗我部は土佐と南西伊予を勢力下に置き、豊後を脅かす存在になります。その状況で三方面展開で島津に当たるのは厳しい」。


 宗麟がまとめた。


 理路整然と話している宗麟、道雪、鑑速、鑑理の四人の説明に、一同が息を飲みながら聞き入っていた。しばらくの沈黙の後、ふいに、


「私は反対です」と鍋島直茂が言った。


「島津は今のところわれらの直接的な脅威ではありません。敵となるのは早くても一年から二年後でしょう。その間に備えを固めるべきです。艦隊整備や陸軍の調練、街道の整備に兵站計画。台湾、フィリピンに兵を割いた上で、島津に対する兵を残しておかなければなりません」


 大友衆とは真逆の論理を、これもまた整然と語る。時間があるのなら、余計な事は考えず、島津一本で防衛体制を敷くべきだ、との論調である。


「これ以上南方戦線には兵力を割くのは避けたいですが、南方から援軍要請があった場合は、現地住民を見殺しにはできず派兵は避けられません。四国出兵が長引き、その時に島津が攻勢北上してきたならば、南方、島津、そして四国と、三方に兵を分散させる事になります」


 どちらも正しい、そう純正は考えた。対島津を軸にして考えると、間違いなく鍋島直茂の言うとおりなのだ。四国になど出兵するべきではない。


「そうです。一条を助けると、間違いなく毛利が出てまいりましょう。そうなれば大友衆も言われましたが、毛利、小佐々、宇都宮、河野、西園寺、一条、長宗我部の泥沼の戦になる可能性があります」


 と龍造寺純家が言った。さらに純家は続ける。


「戦いが長引けば兵力の分散はもとより、日薩隅を押さえて力をつけてきた島津との厳しい戦いになります。そして、朝廷からの仲裁が入る可能性があります。万が一不利な条件であれば、四国に出兵した意味がありません」


「それがしも反対です」


 深作治郎兵衛が続いた。どうやら賛成派と反対派は勢力が拮抗しているようだ。


「一条はわれらとは直接的な関係はありません。すなわち救援する義理もありません。むしろ一条を助けることで、われらの敵を増やす事になります。私情によって軍を動かすなどもってのほか」。


「私情だと!!??」


 立花道雪が立ち上がり叫んだ。次郎兵衛は身じろぎもせず、黙って道雪を見据えている。


「バカなことを申すな! 私情ならばこのようなところで時間など潰しておらぬ! わが殿と共に海を渡り、敵と一戦交えておるわ!」

 道雪が治郎兵衛に向かって怒鳴る。


「わが殿だと!? いったいそのわが殿は、誰のことを言っておられるのか!? わが殿弾正大弼様の事か! それともそこにおわす宗麟公の事か!? いかに!?」

 治郎兵衛も負けてはいない。


「知れた事! わしの殿は一人しかおらぬ! そ……」

「控えよ! 道雪!」

 道雪が言い終わる前に宗麟が制す。場が張り詰め、一触即発の空気が漂う。


「みな、静まれ」

 純正が、静かに告げた。能面のように無表情で、まったく感情が感じられない。不気味である。しかし怒りに満ちあふれている事はわかった。何度か深呼吸をして、ゆっくり、そしてはっきりと言った。


「わが小佐々は、若い。わずか八年で九州の半分を治めるまでになった。これもひとえに皆のおかげである。おれはそう思っている。感謝している。だからこそ、仲違いはして欲しくない。平和のために戦っているのだ。犠牲を出さないために、和議をし、大友はわが傘下に入った。ここで争うような真似はするな、よいな」


 全員が純正に正対し、ははあ、と平伏する。


「よし、では俺の決定を伝える。しかし期限を決めるぞ」。

 全員が純正の顔を注視し、真剣に聴いている。


「宗麟殿、出せる兵はいかほどか」

「は、五千は」

「道雪、そちは」

「は、千五百は出せまする」

「鑑速はどうだ」

「千ほど」

「鑑理は」

「同じく」


 純正はしばらく考えた後に、

「よし、ではその八千五百はすぐに陣触れを出し、渡海の準備をさせよ。海軍は台湾とフィリピンの人員輸送は終わっておるな?」


「はい、終了しております」

 勝行が即座に答える。

「では佐伯の山南鎮守府ならびに第三艦隊は、輸送計画を策定し、すみやかに渡海を実行できるようにせよ。後詰めは陸軍二個旅団一万二千とする。第三艦隊は輸送終了後、長宗我部の後背を攻めるなど撹乱を行い、作戦遂行を支援せよ」


 頭の中でまとまった作戦行動の概略を素早く伝達する。


「宗麟殿、これで、一条の旧領回復と西園寺、宇都宮の服属、そしてできれば長宗我部の服属、どのくらいでできるか」。


 長期化は避けなければならない。どのくらいで終結できるかがもっとも大事なのだ。


「は、一条の旧領回復のみであれば、半年もあれば出来ましょう。西園寺、宇都宮は七ヶ月もしくは八ヶ月、長宗我部は一年はかかるかと」

「遅い、一条は二月でなせ。残りで伊予の西園寺、宇都宮を降し、そして長曽我部だ。よいか、最低でも土佐半国と伊予半国だ」


「はは、必ずやご期待にそえるよう、粉骨砕身努めまする」


 紛糾した戦略会議はこれにて終了した。

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