第196話 運命の岐路 阿蘇惟政と甲斐宗運
同年 九月 肥後岩尾城 阿蘇惟将
「なに?左衛門督様から文が来ていると?」
小姓がそう告げたので、持ってきた文を一読する。
『われら本来の所領と秩序を取り戻すべく豊前に出陣いたす。ついては惟将どのにおかれては、北肥後の隈部、赤星、城らとともに、秩序を破壊した小佐々の盟友である小代ならびに内古閑を殲滅されたし』。
なるほど。毛利の混乱に乗じて、奪われていた豊前と筑前の北部を取り返すという事だな。しかしてわれらはその大義の元、小佐々の盟友たる小代・内古閑を攻めよ、と。・・・では、兵を集めねばならぬが・・・。
小佐々に服属しているのは北肥後の国人衆でも少数派だ。隈部ら残りの国人衆を集めれば勝つのは容易かろう。しかし、その後どうなる?首尾よく勝って小代、内古閑の領土を奪ったとする。
小佐々との全面対決は免れぬし、第一われらの領土となるかもわからん。そもそも左衛門督様は勝てるのだろうか?しかし、われらは左衛門督様の支援あって北肥後に影響力を持ってきた。ここはよくよく考えねばなるまい。ひとつ間違えば家が滅ぶ。
「皆を集めよ!評定を開く」
わしはそう言って皆を集めた。
居並ぶ家臣の前でわしは言った。
「左衛門督様より文が参り、毛利を攻めるゆえ、われらに小佐々の配下である小代と内古閑を攻めるよう言ってきた。みなの忌憚のない意見を聞きたい」。
「考えるまでもありますまい。左衛門督様は九州探題。六カ国守護でございます。その左衛門督様が毛利を駆逐し小佐々と相まみえるというのなら、ご助力いたすのが当然でござる」。
木山惟久が言った。
「しかし勝てましょうか?小佐々は肥前だけではなく、筑前筑後、さらには天草郡の半分と玉名郡、飽田郡の半分を領しておる。どう見ても数の上では分が悪い」。
と、反論するのは村山家久である。
「戦は数だけでは決まりませぬ」。
と木山惟久。
わしは考え込んだ。
「宗運よ、そちはどう思う?」
筆頭家老である。天文十年、わしがまだ二十歳を過ぎたばかりの時に、反乱軍を討伐してくれた協力者でもあった。
「は、木山殿にそのまま返すようで申し訳ないのですが、考えるまでもありません。小佐々につくべきです」。
宗運は即答した。
「兵法に五事七計あり。まずはそのうちの道ですが、左衛門督様のどこに大義が、どこに名分がありますか」。
「そして天、確かに毛利攻めにはまたとない機会でしょう。しかし今は刈り入れの時期、民の不満が高まりまする」。
「地においては、確かに小佐々よりわれらが敵地に近うございます。しかしながら小佐々の領内の道を、ごらんになった事はございますか?幅六間に、見た事もない泥を固く敷き詰めております。雨にもぬかるまず、馬でも荷車でも早く大量に運ぶ事が出来申す」。
「将の才に関してはわしが推し量る事ではありませぬが、同じとみます」。
「そして法、小佐々の兵は士族に限らず町民や百姓も専門的な調練を受け、一年中時節に関係なく戦える仕組みになっておりまする。また、たとえ士族だろうと上役の百姓出身の兵の命令には絶対に服従であり、軍規違反は極刑にござる」。
「さらに七計においては重なる部分もござるが、主、どちらが人心を掌握しているか。筑前の国衆が親や兄弟を殺されて離反し、筑後の国衆が厳しすぎる賦役や軍役によって離反しております」。
「これらを鑑みるに、まず、大友は勝てませぬ。筑前衆や筑後の国衆は仮に戦況が苦しくなっても、降りませぬぞ。死を覚悟した兵より強いものはござらん」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
場が静まり返った。筆頭家老の甲斐宗運にここまで理路整然と説かれては、誰も何も言えない。弁が立つとか立たないとか、そういう問題ではない。みなが納得するだけの材料があるのだ。
みな、わかってはいても、新しい盟主に鞍替えする事に尻込みしていただけだ。
阿蘇家中は小佐々に与する事に決まった。
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