人物紹介③(51話~126話)

( )内は転生時、永禄4年(1561年)時点での数え年齢です。基本的に架空・史実の両方記載しますが、史実の人物の生没年、内容、記載の有無は筆者の任意なのでご了承ください。※は史実人物(本作ストーリー上内容修正あり)


橘屋又三郎(38)※

堺の鉄砲鍛冶職人で商人。堺での鉄砲製造の増産に寄与した一人で、鉄砲の売買でも財をなした。新九郎の招聘で期間限定で肥前沢森城下に来ている。


樗木(おうてき)三郎右衛門(31)

薩摩の造船職人。樗木(おうてき)家※は史実で実際に薩摩藩の造船を担った家柄。もしかしたら、先祖に同じ名前の人がいたかもしれない。橘屋と同じで平九郎の招聘に応じて滞在している。


沢村 舞(12)

政忠の妻。小佐々甚八純俊の長女。永禄五年に沢村家へ輿入れ。政忠の自分に対する、どの様に捉えればいいのかわからない態度にとまどいながらも、理解しようと務めている。


姉川 結(15)

六太の姉。人買いより政忠に助けられ、沢村幸の侍女となる。小田増光の妻。


姉川 六太(13)信安

姉川結の弟、政忠の小姓。姉同様、政忠に救われる。小平太とは先輩、後輩の仲だが、自分が年上なのでついタメ口になる。


姉川 里(8)

六太の妹。雪姫の侍女となる。


姉川 惟安(52)※

元少弐家臣。沢森艦隊 旗艦 艦長


姉川 延安(36)※

元少弐家臣。沢森艦隊 二番艦 艦長

惟安の弟


姉川 信秀(32)※

元少弐家臣。沢森艦隊 三番艦 艦長

延安の弟


小田鎮光(28)※

元少弐家臣。第一即応旅団 第一連隊長


小田賢光(ともみつ 25)※

元少弐家臣。第一即応旅団 第二連隊長

鎮光の弟


小田増光(21)※

元少弐家臣。第一即応旅団 第三連隊長

賢光の弟


小佐々甚五郎純吉(34)※

小佐々弾正純勝の次男で純俊の弟。葛の峠の戦いで大村軍の殿を務め、戦死する。


小佐々次郎左衛門純定(32)※

小佐々弾正純勝の三男で純吉の弟。兄二人と同じく、葛の峠の戦いで大村軍の殿を務め、戦死する。


松浦鎮信(12)※

肥前国平戸藩初代藩主。官位は従四位下・肥前守、式部卿。平戸松浦氏26代当主。松浦隆信の嫡男。


松浦九郎親(9)※

肥前国飯盛城主。平戸松浦氏当主・松浦隆信の三男。永禄9年(1566年)、父・隆信と長年争ってきた相神浦松浦氏16代目・松浦親が隆信に敗れ、降伏。和睦の条件として隆信の三男・九郎を養子に迎えた。九郎は義父と同名の親を名乗り17代を継ぐ。


針尾三郎左衛門(28)※

針尾伊賀守嫡男。


針尾九左衛門(2)※

針尾伊賀守の次男。三郎左衛門の弟。


針尾太郎兵衛昌治(9)※

三郎左衛門嫡男。


日高資(51)※

波多盛の死後、弟波多志摩守を担ごうとした一派の頭。大和守。息子は喜(甲斐守)波多家中でも勢力を持つ。


日高喜(21)※左衛門少尉

資の嫡男。甲斐守。


志佐純昌(31)※

志佐純昌の長男。直谷城主。才十郎。


伊万里純(51)※

松浦郡伊万里城主。


伊万里治(11)※

伊万里城主。平戸条約調印後、当主の純が没したため家督をつぐ。


相神浦松浦親(67)※

丹後守。法名宗金。16代当主。政忠の母方の祖父。


相神浦松浦盛(11)※

有馬晴純の四男(松浦親の養子)。官途は丹後守。室は松浦親の娘。


曽根九郎次郎定政(42)

マツばあちゃんの推薦で任官した。商務、農務両方の知識があり、各方面に顔が利く。商家の三男だが、昔々、沢森から分家した家らしい。物怖じしない。


空閑三河守光家(30)※

龍造寺隆信の重臣(知行5千石程)で、度々武功を挙げ、隆信の信頼も厚かった。常に忍びを多く抱え、ある時は敵城に単身乗り込み、大将を捉える事もあった。三河屋森之助。


後藤弥二郎惟明(16)※

実父は平戸松浦氏の松浦隆信。後に後藤貴明の養子となるが、養父と対立し後藤氏を去った。正室は須古城主・平井経治の娘。


平井経治(41)※

肥前国の豪族平井氏の当主。須古城主。官位は治部大輔、権大夫。


一瀬栄正(39)※

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・キリシタン。大村氏の家臣。


長崎純景(13)※

戦国時代・安土桃山時代の肥前長崎の鶴城城主。キリシタン大名。洗礼名は「ドン・ベルナルド」。大村純忠は岳父。


西郷純堯(46)※

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。高城城主。妻は有馬義貞の姉(娘とも)。武雄の後藤貴明、龍造寺隆信とたびたび争った。ある時、有馬方からの援軍がないとわかると、それ以降有馬氏から離れた。


深堀純賢(43)※

西郷純堯の弟。肥前俵石城城主。兄の西郷純堯とともに長崎氏の鶴城をたびたび攻めた。龍造寺氏が台頭してくると龍造寺氏に従い、兄純堯の降伏、帰順をとりなした。


波多志摩守(51)※

波多盛の弟で、自分の息子の誰かを波多家の跡取りに、というお家騒動に巻き込まれる。隆(31)、重(25)、正(21)。


有浦大和守高(41)※

波多氏の重臣。盛の死後、跡目争いにて先代盛の後室である真芳に睨まれる。家中の主導権争いで勝つべく、対龍造寺にて主戦論者となる。


上泉喜兵衛延利(32)

文部卿。かつて純正が沢森当主時代、南蛮船に売られる子どもたちを助けた。それが縁で仕え、教育を司る文部省の責任者となっている。柔和な印象だが、やるときはやる、そんな感じ。


志佐純意(35)※

志佐純昌の弟。官途は壱岐守。通称源七郎。志佐純量の叔父。


福田丹波守忠長(23)

肥前波佐見 松山城主 福田丹波守の嫡孫。弥右衛門忠長。


宗義調(よししげ・29)※

対馬国の守護大名・戦国大名。宗氏の第17代当主。刑部少輔、讃岐守。


神屋宗湛(10)※

博多商人、茶人。神屋氏の第6代当主。出家前の諱は貞清。島井宗室・大賀宗九とともに「博多三傑」と呼ばれる。博多の貿易商人・豪商神屋家5代当主・神屋紹策の子として誕生。天正10年(1582年)5月、同じ博多の豪商島井宗室と共に上洛し、織田信長と謁見した。


島井宗室(22)※

博多商人、茶人。「宗叱」(読み同じ)とも表記される。名は茂勝。号は虚白軒。神屋宗湛・大賀宗九と並び「博多の三傑」と呼ばれる。「武士とキリシタンには絶対になるな」などの遺訓一七ヵ条が有名。神屋宗湛とは親族関係にあたる。


大賀宗九(1)※

島井宗室・神屋宗湛とともに「博多の三傑」と呼ばれる。名は信好(のぶよし)。子孫は代々福岡藩黒田家の国元御用商人をつとめた。子の二代目は、茶人でもあった大賀宗伯。ベトナム、シャム(タイ)、琉球、李氏朝鮮などとの交易により巨万の富を得る。福岡藩筆頭御用商人となり優遇を受ける。

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