不審な女
目が覚めるとマミはいなかった。あいつがいなくてほっとした。でもオレを置いて帰るなんて薄情な奴だ。マミに文句を言おうとケータイを開いた。16:40だった。17:00からバイトだ。
「やっべっ! ざけんなよっ、あのクソ女!」
パンツとズボンしか脱いでいなかったのが幸いして、40秒ぐらいで部屋を出た。エレベーターがなかなか来ない。ボタンを連打しても意味がないことはわかっている。
降りてきたエレベーターにはイチャつく中年カップルが乗っていた。最悪! キモッ! そう思いながらも仕方なく乗り込む。
こんな状況にあるのは、あのバカ女がオレを起こさなかったからだ。マミを痛烈に罵りたくなる。急いでフロントに鍵を返すと「お客さん!」と呼び止められる。
「延長料金、4000円頂きます」
マジかよ。入る時にも金払ったのに。くそっ! マジありえねえし。
バイト先は駅前のビルの中にあるどこにでもある居酒屋のチェーン店だ。カラオケ屋もラブホテルもバイト先も駅から歩いて5分圏内にある。
店長が居なかったので制服に着替える前5分前にはタイムカードをきれた。鏡を見ると寝癖が最強レベルだったから慌てて濡らした手で押さえつける。マミへの怒りは増幅する。バイト終わったら文句言ってやる。
フロアに出ると、今日もバイトリーダーのオオワダさんがオレを出迎えた。
「おはよっ! 今日もよろしくな!」
甲高いその声は、寝起きに加え、マミにイラついているオレにはマジでキツすぎる。
「おはようこざいます」オレは感情を押し殺して挨拶した。
「今日は金曜だからな。気合い入れてこーぜ! なっ?」
「……あ、はい」
あのぉ……申し訳ありませんが、あいにく気合いなんてモノ、持ち合わせておりませんが……。マジ、うぜぇから。
しばらくすると次々と客がなだれ込む。さすが金曜。本当は休みたいところだが、週末休みすぎると、けっこう白い目で見られるし、シフト管理する店長も露骨に嫌な顔をする。
こんなバイト辞めたいのはやまやまだが、大学生のオレには遊ぶ金がいるし、先々月、自給が20円アップしてしまった。それに新しいバイト先で、一から人間関係を築くのも、仕事を覚えるのも面倒くさすぎる。
酒の入った客たちが騒ぐ店内でも、オオワダさんの甲高い声はよく通る。さらに徹底的に笑顔を崩さない。忙しければ忙しいほど輝きを増す。まるで高く昇れば昇るほど熱くなる太陽みたいだ。むさ苦しいよ。熱苦しい、熱くてたまんねえよ。触ったら火傷しちまうんじゃねえか?
オオワダさんよぉ、アンタいったいどうなりたいんだよ。このドM野郎。
「オオワダ! 7卓さっさと空けろよ!」
「はい、スイマセン」とオオワダさんは腰を低くして謝る。
オオワダさんに言ってきたのはちょっと前に移動してきた店長だ。オオワダさんと同い年だけど店長だ。確か25か26歳。まあ、どっちでもいいけど。
店長は18歳のときからこの居酒屋チェーンでバイトをしていたらしい。大学は卒業したもののやりたいことがなく、そのままフリーター。後に社員になり、現在に至るってわけだ。
店長はオオワダさんを顎で使う。現場では店長よりオオワダさんの方が仕事はできるし歴も長い。
猫の手もかりたいくらい忙しいのに事務所に戻るクソ店長。お前さ、オオワダさんが居るからって楽し過ぎじゃね?
オレはこれから社会人となり、こんな矛盾した世界を生きていかなきゃなんねえのだろうか。
「二名様ご来店でーす!」
オオワダさんが片付けた7卓に女性二名が通された。しばらくすると、その7卓から呼び出しがあり、俺が行くことに。
「お待たせしました」
ショートヘアーの女が、中生を注文して、ロングヘアーの女に、マーヤは? と訊ねた。
ロングヘアーの女はメニューから目を離し、こちらを見た。
「じゃあ、私はカシスオ……」
オレの顔を見て、絶句しているロングヘアーの女。
「ちょっと! マーヤ、どうしたの?」
ショートヘアーの女が促すと、マーヤと呼ばれる女はメニューに顔を隠すようにして、カシスオレンジと小声で言った。
オレは注文を繰り返している間、横目でマーヤという女をちらちらと見ていたが、それでも彼女が顔を隠す理由が分からなかった。
何処かで会ったけな……? 前にナンパした女かな……? でも地元じゃナンパなんて絶対しないし、ヤッた女の顔くらい覚えてるはずだしなあ……。
しばらくしてお通しと生ビールとカシスオレンジを持って、7卓に向かうと、ショートヘアーの女しか座っていない。
注文した品をテーブルに置いている間、ショートヘアーの女はオレのことを舐め回すように見ている。睨んでんのか?
なんだよ……何なんだよ! オレが睨まれる理由なんてないぞ。ふざけんな。チクショー。
ショートヘアーの女をひっぱたきたい衝動に駆られるが、仕事中だということを思い出し、口角を無理矢理吊り上げた。
「ごゆっくりどうぞ」
ちゃんと言えたぞ。感情を押し殺して、ちゃんと言えたぞ。オレは大人だぜ。時給20円アップのグレート三流大学生だぜ!
厨房に戻れば、出来上がった料理が溜まっている。それらを各テーブルに運び終わる頃、さっきのショートヘアーの女が会計をしているではないか。時間にして三分程度だ。
オオワダさんがレジに立ち、何か御不満な点がございましたか? と訊いている。
「べつになんでもないです」
嘘つけ、と心の中で毒づくオレに彼女は気が付いていない。マーヤと呼ばれていた女の姿はない。先に退出したのだろう。もう、いいや。二度と来んなよ、ボケ。
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