第5話 遭遇!浮気確定!?

「祥太郎さん……一体どこに『出張』に行ったんだろ……」


 誰にともなく呟きながら、夕暮れに染まる道をとぼとぼ歩く。

 重い足取りは、今のあたしの気持ちをそのまま表しているようで、まるで足下に伸びる黒い影へと引きずり込まれそうな気がした。


 信じている気持ちが無いわけではない。

 もしかしたら、何か理由があってそうしたのかもしれないという考えもあるにはある。


 けれど、なぜ真実を告げてくれないのか。

 それが疑心を深くしている。


 そりゃあさ。

 あたしは元々祥太郎さんに釣り合うような女じゃないし、もっと素敵な人がいたら、そっちの方が良いと思っても仕方がないけどさ。


 ……って、いじけてもしょうがないんだけど。


 鬱陶しい感情を頭を振って掻き消して、ふんぬっと鼻息荒くガッツポーズを決めてみせる。

 夕日に向かってやってるもんだから、さながら昭和の熱血漫画みたいな感じだけど、まあいい。


「浮気って決まったわけじゃないしっ! 祥太郎さんのこと信じてるしっ! わかんないなら聞けばいいっ! そうそう、それだけの事だよね!」


 拳をぶんぶん振りながら、自分を納得させるように意気込む。


 くよくよするのは好きじゃない。当たって砕けろじゃないけれど、悩むくらいなら正面突破があたしのモットーだ。


 家に帰ったら電話してみよう。そんで、もうストレートに聞いちゃえばいい。


 『なんで出張なんて嘘ついたの?』って。

 色々な事は、それを聞いてから考えても遅くないだろう。


「おおっし! ならば腹が減っては戦はできぬだ! 帰ったらご飯食べよーっと!」


 行き交う人の視線を無視して、人差し指を立てた手を空に掲げた。


 すれ違ったカップルに「何あれ」とか言われたけど気にしない。

 あたしの気合いはそんなことでは動じないのだ。


 ……っと、そこまで考えたところで、はたり、と気付く。


 自分が今、どこの『道』を歩いていたかを。


「あれ……考え事してて適当に歩いてきちゃったけど……ここ、って……?」


 道の真ん中で立ち止まり周囲を見回せば、ぐるりとあるのはピンク色したど派手な蛍光看板達。

 夕方だというのにこれでもかとぴっかぴかに光っていて、しかも書かれているのは『HOTEL』の文字。


 それが、休憩○分○円~とかの説明付きで、幾つも幾つも立ち並んでいる。


 こ、こりは……もしや……。


 この地区でも有名な、ホテル街じゃありませんか……っ!

 いつの間に……っ! あたしいつの間にこんなところに……っ!


 生まれてこの方、一度も入った事のない未知な施設を前に、あたしはなぜか非常に焦った。というより、カップルだらけのこの場所で、しかも『そういう事』を目的としてくる場所で、自分がガッツポーズやらキメていたのかと思うと、羞恥心で顔面が粉塵爆発しそうな勢いだった。


 は、早く帰ろう……っ!

 もう突っ切るしかないけど、とにかく一刻も早く立ち去ろう……っ!


 若干パニックを起こしながら、それでも何とか早足で真っ直ぐ前を見て突き進む。


 いやああああっ!

 なんだろうこの恥ずかしさはーーーーっ!


 すいませんっ! こんなところに女一人で来てすいませんっ!

 変にガッツポーズやらかましてすみませんっ!


 ああっ、そこのすっごく綺麗なお姉さん、お願いだからあたしを凝視しないでください今すぐ跡形も無く消え去りそうです――――っって、あれ……?


 少し進んで、見えてきた同じようなホテルの前にいる人に、あたしは進む足を止めた。

 というより、勝手に足が固まったという方が正しいかもしれない。


 自分の足の筈なのに、そうじゃない。


 だって、全然身体が動いてくれない。

 まるで凍り付いているみたいに。


 目の前の光景に、瞳を限界まで押し開く。

 思考は途絶えて、その場面だけが頭に焼き付けられる。


 あ、れ、は―――


 一目見て、すごく綺麗なお姉さんがいると思った。


 けれどその人の、隣にいる男性は。


 背を向けていても。


 顔が見えなくとも。


 その立ち方、シルエットを。

 見間違えるはずが無い。


 あれは。

 絶対に―――


 立ち止まるあたしを、お姉さんがじっと見る。


 ああ。本当に、凄く綺麗な人だ。このヒト。


 漆黒の髪は艶やかに流れ、肌は朝日に輝く雪のように白い。砂時計みたいなスタイルなんて、まるで神様から祝福を受けてるみたいだ。


 絶世の美女とは、こういう女性の事を言うんだろう。

 あたしだって常ならば、おお目の保養じゃとでも言いつつ眺め嘆息していたはずだ。


 だけど。

 今は。


 明らかに普通とは違う雰囲気を醸し出している祥太郎さんと、その女性との光景を眺めている余裕は――――あたしには無かった。


「しょ、祥太郎、さん……?」


 掠れた声で、愛する人の名前を呼んだ。


 弾かれたみたいに反応した祥太郎さんが、ばっとあたしに振り返る。

 その動きが、あたしにはまるでスローモーションみたいに見えた。


 見慣れない、祥太郎さんの驚いた顔。

 驚愕の表情というのがしっくりくるだろうか。


 「なぜ」とか「どうして」という感情がありありと映し出されている。


 それを見た瞬間、あたしの頭のどこかで声が聞こえた。


 ほらね、やっぱり。

 だってあたしが祥太郎さんを見間違うなんてこと、あるわけないもの。

 だけどこんなにも、予想通りで悲しかったことも無い。


 驚いた表情。

 穏やかな祥太郎さんにしては珍しい、ううん初めて見る顔だ。


 カップルのひしめくホテル街で、綺麗な女性といた自分の夫。

 答えなんて、一つしかない。


 昨日は、あんなに優しい顔で笑ってくれたのに。

 愛してるよって、言ってくれたのに。


「さ、くら……?」


 駄目だ。泣きそう。

 これもう決定じゃん。


 無理。

 見てらんない。


 振り向いた祥太郎さんの顔を見て、あたしの心が限界を訴える。

 凍り付いていた足ががくがく震えを起こして、その場で止まっていられなくなった。


 わけわかんなくて、とにかく痛くて。

 

 祥太郎さんと綺麗なお姉さんの二人を見ていられず、あたしはばっと背を向けた。

 そしてそのまま、走り出す。


「咲良!?」


 背にかかる声に振り向く事も出来ず、あたしはその場から逃げ出した。

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