黒い天使

橋の欄干に持たれて、椎野 美以華は眼下に流れる川をぼんやり見ていた。

いや。正確には薄暗いのと物思いにふけていて、ほとんど見えていなかった。ただ、眼下に川が流れているだけで。

昼間は散歩をする人々や犬でぼつぼつとにぎ合うが、夕方からはほとんど人通りがない。それも、すこし前になるがテレビを賑わす若い男による殺傷事件が起きたためだ。


未以華が、ここに来るにはチャンスだったが。水の音だけが聞こえる時間が少しずつ過ぎていく。それを打ち破るように、突然に欄干の上に載せてある手に力を入れて、身体を持ち上げて前につき出すと、身体の重心は下に向かって落ちていく…はず。 


「今から、泳ぐには暗すぎるよね」私の身体は、何者かに受け止められていた。

「……えっ。えっ⁈」

「なんで、人間は死にたがるの?」

「あ、あなたは…」自分の他に誰もいなかったはず。それに、それなのにこの不自然な体制?私の身体は、どう考えても真下に落ちていくはずなのに…。誰かにしっかりと抱えられていた。

「きゃあ。何、何。離してぇー」自分の身に何がおこったのか、訳が分からないがおかしいということはわかる。

「あっ、そう。離していいんだ。じゃあ、そうするわ」そう言って、私の身体が再び下に落ちて言った。

「えっ、でも。きゃあー」咄嗟のできごとで、私の思考はパニックをおこしていた。


◇◇◇


次の瞬間、私は欄干に持たれていた。そして、隣には私を抱えていただろう声の主が横にたっていた。

「なぁーんてね。さっきのは、シュミレーションね」声の主に目がいくと横に立っていたのは、テレビで見たことがある背中に大きな翼がある天使だった。

(私の目や頭が錯覚を見ているのだろうか⁈ 何度確かめても、間違いない天使だ。しかも、全身まっ黒の…)

「…私、どうかしちゃったんだわ。変な妄想が見える」

「妄想ではないよ。本当は、人間にはこの姿を見せたらいけないんだけどね。今日は記念日だし」端正な顔をした若い男は人間ならばかなりもてるだろう。

非日常でないことが、おきたら人はどうなるのだろう。とにかく、この場から立ち去ろうと考えていた。この妄想男がみえない所へ。

「君とはまた会えると思うけど…」意味深な言葉を残して、男の方から突然目の前から消えた。

◇◇◇


私の頭の中から、完全に死というものが消え去った。それでも、その出来事を他人や母には話す気もおきなかった。誰も、本気にしてはくれないから。










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