第32話 リバイバル

「バサッ!!」

「タッ、タッ、タッ」

 郁斗に対し、標準を合わせたように体勢を低く構える大羆。やっとのことで獲物にありつける。そんな眼光が、薄暗い部屋の中でも不気味に輝いていた。

 マズい、こんなデカい獣、まともに相手などできない……できるはずがない。

 じりじりと後ろへ下がる郁斗だが、双方の距離は遠のくどころか、大羆は着実に郁斗へと狙いを定め歩き始めていた。

 ここから階段まで五十メートル近くある。だとすればもう、コイツを相手にする他ない……のか。

 寒気を感じながらも、心臓の鼓動が高速する。

 とその時、真っ黒な大羆の身体がピタリと静止し、蹲るような体勢に移った。決して、それは休息ではない。まるでスタートラインに立つ陸上選手かの如く……。

 来る!

「ガウッ——」

 巨体とは思えない速度。常識の範疇を超えていた。それほどまでに並外れた速さで、大羆が郁斗へと突進してきた。

「バサッ……」

「バリバリバリバリンッッ!!」

 間一髪、郁斗は前転するように床の上を滑り込む。すると猪突猛進した大羆は、郁斗の背後に置かれていたショーケースへと突入。衝撃によりガラスケースが粉々に砕け散り、床一面に大小様々なガラス片が散乱した。

 一度は避けることに成功。だが息つく暇も許されず、獣はすぐさま方向転換。そして再び郁斗の喉元めがけて飛び込んできた。

 僅かにダメージを負ったのだろうか、先程より少しだけ速度が低下している。それでも神速の範疇。郁斗は飛び掛かる大羆を捉えると、床擦れ擦れの体勢で攻撃をかわした。

「ガッシャーーンッ!!」

 再びショーケースのガラスに衝突し、破片が郁斗の全身に降り注ぐ。立ち上がる隙をも与えてはくれず、郁斗はそのまま芋虫の様にして後ずさりした。

 もう、これまでか……。立ち上がって走るほどの余裕も時間も無い。獣との距離は三メートルあるかないか。頭をブルブルと揺さぶった大羆は、次こそは逃すまいと体勢を郁斗の正面に合わせ向かって来た。

 後ろにもう展示物は無い。ガラ空き状態。

 低姿勢の郁斗に対し、大羆は前足に力を込めダイブするようにして襲い掛かった。

「っ……!」

 郁斗は咄嗟に、先程の衝撃でゆらゆらと揺れていたスタンドライトに手を伸ばし、獣が大きく口を開いたと同じタイミングでライトのポール部分を横に向け猿轡さるぐつわのようにして口元に構えた。

「ガッ、ガウッ、ガアアッ!」

 郁斗の鼻先から数十センチ手前、大羆は差し出した金属のポールに牙を引っ掛け、何とか攻撃を阻止するに留まった。決して知能までは高くないのか、顔を引っ込めることなくそのまま力ずくで前進してくる。

 苦悶を浮かべながら郁斗は、次の手段を思考した。このままこうしてても、埒が明かない。意味が無い。他に何か……。

 そんな中、ポールを咥えた状態のまま顔を左右に揺らす獣の力で、郁斗の右手が手汗も相まって鉄棒から離れてしまった。

 床に着いてしまったてのひら

 だがその時。固く、鋭利な感触が。

 郁斗を、一筋の思考の先へと導いた。

 左手は未だポールを掴んだまま。だがほどこうとする大羆の力によって、すぐにでも振り落されそうになる。

 今しかない。

 郁斗は右手に先程の衝撃で飛び散ったガラスの破片をナイフのようにしてグッと掴み、獣の右目へと突き刺した。

「ガアアアアア!!」

 大羆はのけぞり、地響きのような鳴き声を放った。後ずさりしたことで、遂にはスタンドライトのポールから牙が外れる。その際、噛み千切られたスタンドライトのがバサッと床にしなだれ落ちた。

 今だ、一気にトドメを……。郁斗はライトの傘部分を蹴り飛ばし剥がすと、鉄パイプの様にポールを両手で持ち変え、今度は獣の左目めがけ大きく振りかぶった。

 結果は見事に命中、クリーンヒット。

 大羆は顔面を真下に向け、悲痛の鳴き声と共にうずくまった。

 クソッ……しまった。

 けれど動きが止まったとはいえ、獣の喉元が隠れてしまう。

 ガラスのナイフで別の箇所を刺したとしても、これでは絶命までには至らないだろう。郁斗はそれからできるだけ弱らせるべく、ポールで大羆の顔面を殴り付けた。太く濁った鳴音により、鼓膜が激しく痛めつけられる。それでも立て続けに振りかぶり、追い打ちをかけ、構えた……その直後。

 あれは……。

 何気なく、ふいに目に留まった正面奥のショーケース。その中で展示されていたに、郁斗は焦点を合わす。

 そうか……コレだ。

 両目を潰され、その場で静止したまま戦慄くケダモノをよそに、郁斗は展示物へと向かって行った。


 コレがあれば……。

 このステージ、乗り切ることができるかもしれない。


 郁斗は興奮一色だった脳内を冷ますように、攻撃を止め現状を俯瞰する。そしてポールで目的物が飾られたショーケースのガラスを叩き割ると、根こそぎ掻っ攫うようにしてを肩に抱えた。

 弱ってはいるが、獣は未だ息をしている。でも、もういい。あの炎の中さえ超えれば、追っては来れない。

 それに……コイツはもしかしたら、利用できるかもしれない。

 規格外の巨獣を前に、自分自身こんな発想が浮かぶ事に、郁斗は鳥肌が立っていた。


 そして——。

 郁斗はこの先の展開図を、脳内で描いていく。


 二階の炎上階を抜けるとして……。 

 だけどその前に……彼女の安否だ。

 郁斗は決心し、獣を置き去りにしたまま。

 必要なモノを手に、五階を後にした。


 



 

  









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