第十話 それ以上言うな

 河川敷沿いをラフェに続いて走る。出来るだけ目を凝らしてみるが、犬どころか、人の姿もない。これでは聞き込みもできない。

「ラフェ、行き先になにか目星はあるのか?」

 この走って行った先に何かあるのだろうか。

「ない! 一生懸命探して走ってる!」

 はぁ……?

「ラフェ、ストップ!」

 俺が声をかけるとラフェは足を止めた。そして不満そうな顔で振り向く。

「なんだよ日生! 探すのはやめようってか? 私は止めないぞ! だって彼女は早く家族を……」

「いや、犬を探すことに関してはもうやるしかないと思ってる。でも、どうせ探し回るなら、もっと効率よくいきたい」

「効率……?」

「いなくなったのが一昨日なら、お腹を空かせてご飯の匂いがする繁華街なんかをうろついてるかもしれない。せめて人が集まる場所に行けば、その犬を見たことがあるか聞き込みだってできる。情報が集まるほど捜索の範囲を狭めて、より集中して探すことが出来る。そう言うのを効率がいいって言うんだ」

「……日生、お前頭いいな」

「それはどうも」

 俺の話に納得してもらえたみたいだったから、まずはこのあたりで一番大きな公園に向かった。


 公園の中には犬を連れている人も多く、こういう犬飼いコミュニティの間では一匹でうろついてる失踪犬についてなにか目撃情報を持っているかもしれない。

「これから聞き込みをするから、ラフェは黙って俺の後ろについてきてくれ」

「それじゃ、日生の言う効率が悪いんじゃないか? せっかく二人いるんだから別々に聞き込みしたほうがいいだろ」

 それはもちろんそうなんだけど、俺はラフェを野放しにしておくのが怖いんだよ……!

「早く家族に会わせてあげよう」

 そう言うラフェの表情には、「一人で自由にしたい」みたいな邪念は見て取れなかった。もしかすると、「家族」っていうワードに共感しているのかもしれない。

「分かった。くれぐれも変な行動はするなよ」

「当たり前だ!」

 俺達は別々の方向に歩き出した。


 あたりを見回すと、犬を連れて歩いているおばさんを見つけた。まずはあの人でいいか。

「すいません、ちょっと聞きたいんですけど……」

「なんですか?」 

 その人は立ち止まってくれた。よしよし、いい感じだ。

「行方不明になった犬を探してて、茶色のトイプードルで、赤い首輪をしてるんですけど、見たことないですか?」

「うーん、見たことないわねぇ」

 ダメか…まあそう簡単に上手くいくとは思ってない。次だ次。

「分かりました。ありが……」

「その子、名前なんて言うの?」

「え?」

「だから、な・ま・え」

「え、えーっと……わんたん……」

 名前を言うのはちょっと恥ずかしい……俺が名付けたわけじゃないのに……!

「え? よく聞こえなかったわ」

 おばさんは声が小さいとばかりにグイっと迫ってくる。ええい、どうにでもなれ!

「わんたんです!」

 恥ずかしさを振り切ったらつい大きな声が出てしまった。顔が熱い。

「わんたんちゃんね。素敵な名前だわ。もし近くにいたら、名前を呼べば帰ってくるかもしれないわよ。おばちゃんも手伝ってあげるから、一緒に呼ぶわよ」

「え、ちょ、それは……」

「わんたーん!」

 おばさんが大きな声で叫ぶ。

「ほら、あなたも」

「わ……わんたーん!」

「もっとお腹から声出して!」

「わ、わんたーん!」

 これ、周りの人たちはどう思ってるんだろ……異国の料理名を叫ぶ男女。

 羞恥地獄のような時間はしばらく続いた。

「これだけ呼んでも来ないってことは、近くにはいないってことね」

「そう……みたいですね……」

 俺はもうHPゲージが真っ赤になるほどげっそりしていた。とにかく早く、この場所からいなくなりたい……

「力になれなくてごめんねぇ。それじゃあ頑張って」

「あの、ありがとうございました」

「早く見つかるといいわね」

 そう言って歩いて行った。恥ずかしい思いをしたが、これだけ他人の犬のために力を貸してくれるのはいい人だと思った。


 それから力を振り絞って五人ほど聞き込みをしたが、得られたのは「ワンタンっていう叫び声が聞こえた」っていう情報だけで、捜索している犬に関わるものはなかった。

「はぁ……」

 思わずため息が出る。せめてもの救いは「ジャージを着た女子高生らしき女の子が暴れてる」みたいな情報が出てこないことだ。

「ひなせー! いたぞー!」

 声をする方を向くと、ラフェが髪を振り乱して走ってきた。

「日生! この近くの商店街で犬を見たって!」

「でかした、ラフェ!」

 ラフェは照れたように毛先を指でくるくると巻いた。

「ま、まあ私は完璧だからな! ……ところで日生」

「どうした?」

「わんたんって叫ぶ声が聞こえたんだが、あれはもしかして……」

「それ以上言うな! 立ち直れなくなる!」

「そんなに!?」

「早く行くぞ!」

「わ、分かった……」

 ラフェはしぶしぶ俺の後に続いた。


 俺達は商店街に移動した。

「商店街のどこらへんで見たとか言ってたか?」

「八百屋の前に座ってたって聞いたぞ」

 八百屋か……もしかしたらそこで野菜を分けてもらったのかもしれない。一度エサをもらえれば、また現れる可能性は高い。これは期待できるぞ……

「それなら犬を探しながら八百屋を目指そう」

「おう!」

 商店街は夕方ということもあり、主婦や学生で賑わっている。ここは家から歩いて三十分くらいだけど、家のすぐ近くには大きなスーパーもあるし、一度も来たことなかったな。

「日生! すっごくいい匂いがするぞ! あっちだ!」

「ちょっと、ラフェ!」

 勝手に走り出すラフェの背中を追いかけた。確かに油と肉の香りが食欲を刺激してくる。

 ラフェが立ち止まったのは精肉店の前だった。匂いの強さからしてここが発生源みたいだ。

 ラフェは店先のショーケースに近づく。中にはコロッケやメンチカツ、とんかつなんかが並んでいる。

「なんか、すっごく美味しそう……」

「一つなら買ってやるぞ」

「え!? いいの?」

 ラフェは嬉しそうに振り向いた。

「さっきはお手柄だったからな」

「やったぁ! どれにしよっかなー?」

 今回の犬騒動は俺がラフェを制御しきれなかったせいで発生したイベントだ。だから、高木先輩達に領収書を経費で落としてもらうわけにはいかない。ラフェはよく食べるから、数を決めておかないと、とんでもないことになりそうだしな。

「決めた! 私、メンチカツ!」

「じゃあ、俺はコロッケ」

 支払いを済ませ、メンチカツをラフェに差し出した。

「熱いぞ」

「うわっ、うわっ、ほんとにあっつい」

 ラフェは熱そうに両手でお手玉した。

「でも美味しそう。いただきます!」

 がぶっと大きな口でかぶりつく。

「お、おい! 熱いって……」

「あ……あふいあふい……」

 はふはふと熱気を逃がそうとする。そして何とか飲み込んだ後、舌先を出した。

「ひたやへどひた……」

 お店の人が気を利かせて水を出してくれた。それで舌を冷やす。

「食べる前に熱いって分かってただろ?」

「だって早く食べたかったんだもん!」

「はぁ……」

 そう言われたらどうしようもないな。

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